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投稿者:とら
グレーな細郭手も、T様同様、穿内の4面全てにきれいに鑢掛けされている物と、本座同様の処理がされている物があります。 掲載しました2枚の画像、穿内の画像が良く現わせなかったのですが、ほとんど同様と思ってください。 サイズ、極印は全く同じ、右は材質がやや異なるようです。 出来損ないの本座銭なのか、流出した母銭から製作されたものなのかむずかしいところですが、穿内がきれいに処理されている物は、後者の可能性が大と考えています。 その流出時期ですが、まず、天保や嘉永など幕府の力が残っていた時代は考えられません。 派閥争いとは言え、最強の島津家の執政、調所庄左エ門が切腹させられる時代です。その他の大名が、設備投資に金がかかり、たいしてもうけにならぬ天保銭の密造などやるはずがありません。この時代だと、儲かる2分金の贋造も行っていなかったはずです。 最も可能性があるのは、官軍の接収時随分略奪され、資料なども灰燼に帰した維新でしょう。ただ、その時期、インフレも進みこのようなものを作っても採算が合わぬ気がしますが。 後は、後藤三右衛門死罪ののち、細郭や広郭など鋳造され長郭が目立たなくなった時か? 勝手に想像するのは楽しいけど、謎の解明には至りません。 因みに英泉師は、2枚とも不知銭と考えていたようで、左は分類譜上P42の8、英泉譜1321。 右は、細郭手覆輪刔輪高足宝とタグが付いていますが、私には覆輪刔輪には見えません。 サイズは、左49.42mm、32.69mm、41.4mm、21.06g。      右49.42mm、32.69mm、41.4mm、21.06g。 私見では、不知銭の可能性、左、45パーセント。右60パーセントくらいと自信が持てません。
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