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投稿者:BA10-2407291
53様 すごいですね、お母様は30年以上勤続なさったんですね。 貸切時代の386の写真、有難うございます。 隣は4台の兄弟の中で1年早く廃車になった387ですね。 6RA111は江ノ電の他に関東自動車でも乗った事がありますが、UD4やUD5と比較するとやや大人しめの音でしたよ。 国鉄のV8RA120は乗った事がありませんが、体験者の談話によると、やはり迫力を欠き4Rや5Rの方が良い音(マニア的に)だったそうです。 私はUD3~UD6の中では、UD5の音が一番迫力があって好きでした。 草軽の5RAは、さんざん乗りに行きました。 4Rは、江ノ電で消滅したのが85年11月で、全て神奈中古の4R95が8台(70~72年式)が同時に11月14~15日にかけて除籍されました。 15日朝の最終営業運行に乗車した他、3日の文化の日に6RAの時と同じメンバーで路線内貸切で出して頂き、片瀬山や鎌倉湖畔等急勾配路線を中心に走行して、この時はエンジンルーム内にマイクをセットして全行程の走行音を録音しました。 ところで、今回出して下さった123号ですが、このスレNo.215で掲載した初のデラバス仕様車67年式5RA110(289)の最期の姿です。 183→124(相模2こ624)と289→123(横浜2き1164→相模22か1130)の2台が在籍しましたが、289は事故でフロントガラスが割れて、復旧の際に上部明り取り窓タイプから、通常の3Bタイプに改造され、フロントグリルも交換されました。 結果的に183→124の1台のみが原形のまま残存し、これはT自動車学校至近の解体業者(現存せず)に後年まで廃車体が残っていたと以前に述べましたが、解体される際に「江ノ島鎌倉観光」と入った明り取り窓のガラスを頂いて来ました。 うちで保存していたのですが、江ノ電本社に「記念すべき車両の象徴的な部品だから保存しないか?」と問い合わせたところ、「要らない」と素っ気ない返答でした。 そこで立川バス某営業所の助役氏で、小田急グループ各社の現物資料を後世に遺すべく収集保存に尽力なさっておられる方に、数年前にお渡ししました。 改造後の289→123は他の6R系と殆ど見分けがつかない形態になってしまったので、私自身あまり注目しておらず、今回掲載して頂いた事により改めて細部の形態を見る事が出来て非常に嬉しいです。 添付画像は本文と直接関係がありませんが、65年式4RA93の281→581→281→229号です。
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