80s岩手県のバス”その頃”掲示板


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昔の江ノ電バス
53 投稿日:2023年01月19日 17:30 No.213
BA10-2407291様

215号 江の島駐車センターお画像ありがとうございました。
まさに母親が乗務してた頃の画像だそうです。
江の島~渋谷線や定期遊覧のガイドは入社後間もないペイペイの仕事で
中ドア車は、中ドア付近でガイド説明なので、前ドア車よりやりにくかったそうです。
杉?清さんは先輩だったそうです。
母は鎌倉営業所属だったので他の方はわからないみたいです。
顔は覚えているかもとのことです。

わたくしが撮影した122号の廃車体、三菱(白黒画像)のようなので小田急中古かと思いました。1980年撮影    290号の写真もありました。1981年撮影 裏八幡 


BA10-2407291 投稿日:2023年01月19日 20:23 No.215
53様

なんと! B905Nは流用されて生き残った車があったんですね。
私が各年度版(一部欠落年あり)車両表を基に作成した車歴表(1949年6月11日の戦後バス事業再開時からのほぼ全ての車を網羅)では、6台全車が裏八幡配属で貸切登録のまま廃車になったと推測していましたが、流用で藤沢に転属した車があったとは。

実は上記車両表は、74~79年版が欠落(77年藤沢配属車のみ所蔵)しているので、その間に短期間B905Nが122となった時期があったという証拠です。
私が一部推測にて作成した車歴表では、66年式4RA94が2台在籍したうちの1台が76年に流用されて122と改番され、79-6-27に廃車。
入れ替わりで68年式6RA110の182号が79-6-27に122と改番された事になっていますが、恐らくは77~78年頃に4RA94の122が廃車となり、B905Nの122が79年まで生き延びたという事でしょう。
67年式5RA110(初のデラバス仕様車)2台は76-7-19に流用されて124・123と改番され、124は79-6-27廃車、123は80-9-2廃車となっているので、これらと同時期の122がB905Nだった事になります。

話がえらく複雑ですみません。
流用車は最古参の貸切車を格下げしていたので、1~2年おきに先代の同番号が廃車となり次に古かった車両がその社番を継承するという事の繰り返しだったので、一般路線車よりも動向を追うのが困難なのです。

掲載頂いた290号は70年式6RA111ですね。
これも81-7-16に流用で122に改番され、78-9-13に廃車となっています。

写真1は、私が作成した車歴表の一部で、特に転属頻度が激しかった車の部分を抜粋したものです。
63年式MR470は8台在籍中(1台は前の頁に掲載)3台が70年にワンマン化改造されましたが、車台番号230107・230111の2台は、約12年の生涯で5回も改番され、藤沢、鎌倉、大船、横浜の各営業所を転々としています。

写真2は、うちで保管している62年式車(号車不明)に設置されていた方向幕で、きちんと「渋谷駅」のコマがあります。

写真3は、初のデラバス仕様車67年式5RA110で、後に流用され123となった車です。
もう1台の183→124号は、T自動車学校至近の解体業者に、後年まで廃車体が残っていました。

そうでしたか、お母様は鎌倉所属で、杉Yさんを御存知だったとは。
杉Yさんからは昔話を色々と伺いましたが、中でも可笑しかったのは、
杉「鎌倉に民生のトップドア車で1台だけ流線形の変わったボディーの車が居てさ、俺が担当してたんだ」
私「ああ、229ですよね。フロントガラスの上に庇があって、正面方向幕は窓の下にある車。」
杉「なんでお前、そんな古い車を知ってるんだ!!! 年齢10歳くらい鯖読んでないか?」

杉Yさん、御健在だったとしても恐らく90歳前後かと思いますが、佳い話を聴かせて頂きました。

またまた長文ですみません。
杉Yさんの話と写真2・3は、お母様も喜んで下さるのではないでしょうか?


BA10-2407291 投稿日:2023年01月20日 04:20 No.217
連投、失礼します。

だんだんと車両よりも人物中心の写真になりつつありますが、53様のお母様に御覧頂きたく掲載します。
もしかすると、この中にお母様や同僚の方々が写っているかも知れません。

何れも元整備課長(在任期間1956~69年)の故 H.W.氏の撮影で、かなりの頻度で現場に出向いておられたようですので、お母様も面識があったのではないでしょうか?
勿論、生前に転載許可は頂いております。

写真1は、昭和38年7月に江ノ島駐車センターで待機中の渋谷駅行バス2台と海水浴客です。
車は、左が58-3-14登録のRF91 152号で、前ドア大型貸切車としては最後の板サス車です。
64-3-31に流用されて106と改番され、66-4-13に廃車となっています。
先日掲載した中ドアツーマンの67年式MR470の先代106です。
右は58-7-23登録のRFA91 258号で、県内事業者として初のエアサス貸切車として導入された車です。
64年3月に社番50番台をワンツーマン車に譲る事になって288と改番され、65-3-30に流用により108と改番、68-3-25に廃車となっています。
258の方は1962年車から採用された新塗装(配色は同一)に塗り替えられていますが、これは撮影者のH.W.氏によるデザインで、70~71年にかけて小修正を経て現行車でも踏襲されている塗り分けです。

写真2は、昭和38年6月3~4日に実施された日本オイルシール(株)の28台口慰安旅行(伊豆・箱根方面)の際の乗務員記念撮影で、右の車は社番不明ですが、左の車は63-3-25登録の初の富士R13車体4RA93である153・260・356のいずれかです。

写真3は、昭和40年3月に実施された長野方面ガイド教習の際、志賀高原での記念撮影で、車は上記63-3-25登録の4RA93 153号です。

不謹慎な言い方で恐縮ですが、是非とも53様のお母様がお元気なうちに御覧頂きたく、掲載しました。

管理人様、半ば私用でBBSを利用させて頂き恐縮ですが、奇遇にも53様のお母様と当方の共通の知人(ドライバー氏)がいらしたので、何卒御容赦下さい。


管理人 投稿日:2023年01月20日 20:47 No.218 【Home】
いえいえ、全く問題ありません。
古いバスについて、気軽に語れる場はあまりないと思いますので、この掲示板をご活用ください。
さすがに私がコメントを差しはさむ隙間のある話ではありませんので、静観させていただいておりました。


53 投稿日:2023年01月23日 17:46 No.228
BA10-2407291様

大変貴重な写真ありがとうございます。

母親は、写真2の慰安旅行の集合写真の中に覚えている運転手さんは何人かいるようです。
女の人達は制服が車掌さんの制服なので私はバスガイドだったので残念ながら母親は写っていないそうです。
皆、藤沢営業所の人たちではないかと、母は鎌倉営業所属だったそうです。貸切バスに乗務してたので藤沢の運転手さんの顔覚えていたのでは。


母はネットの顔出し今さらOKなので、写真載せます。土師(ハシ)K子 15期生

元小田急841写ってます。このバス使って日産の工場見学いくと三菱車なので、日産の工場の敷地内に駐車させてくれなかったそうです。 バス数台で工場見学行って三菱車は敷地外だったのですかね? 凄い時代ですな~

あと江ノ電の鎌倉定期遊覧バスって古いバスが担当でしたね 何年頃かわかりませんが、新しいバスになりましたよね? 理由が鎌倉市から苦情が入ったと当時母親から聞いた覚えがあります(笑)


BA10-2407291 投稿日:2023年01月24日 04:54 No.230
53様

お母様の顔出し写真、有難うございます。

2枚目の写真で右側に写っている楕円形フロントグリルの車は、68年式6RA110の182号(当時の社番)ですね。
この車も79-6-27に流用で定期遊覧用になり、80-9-2に廃車となっています。

以前、戸塚のブリヂストンの工場入口に「ブリヂストンタイヤ装着車以外は入場をお断りします」という看板があるのを見た事があります。
了見が狭いというか、閉鎖的というか、呆れました。

定期遊覧用車両は、中扉ロマンスシートの一般路線兼用車を新製購入していた昭和30年代前半頃まではそれなりに新しい車を使用していましたが、その後はトップドアの貸切格下げ車となり、結果的に最古参車ばかりが入るようになりましたね。

写真1は、57年式R280の210号です。
1965-12-25廃車なので、お母様も御記憶がある車なのでは?

写真2は、久々に定期遊覧専用として新製された84年式P-RA52Mの122号で、実に66年式4RA94以来18年ぶりに入った、路線車塗色のトップドア車です。
実は、この車が富士重工で製造されている際に、たまたま伊勢崎工場の見学に行き、「なんだこの車は!」と驚きました。
ところが、いざ定期遊覧運用に入れると、回送時に途中のバス停で一般路線バスを待っている乗客が勘違いして、通過しようとすると駆け寄って来て危険という想定外の事象が多発し、翌年にもう1台購入された同形車(121号)は、貸切車に準じた朱色/アイボリーの塗色に変更され、122号も短期間で塗色変更されてしまいました。
この時代の定期遊覧は鎌倉が担当から外れ、藤沢のみの2台運用体制でした。

写真3は、71年式6RA111の184→120号で、晩年は貸切予備兼定期遊覧予備となり、1985-7-4に廃車となっています。
車体更新されており、セミデッカー車を初導入した際に採用された新塗分けに変更されています。

お母様が、この時期(84~85年頃)の定期遊覧車交代劇を御存知という事は、ガイドさんとしてはかなりの長期勤続だったのですね。

この時期の定期遊覧2運用は、お名前は失念しましたが専門のベテランガイドさん(恐らくお母様より数年後に入社なさった方)2名が担当しており、お一方は桔梗山周辺にお住いの元一般路線車掌経験者の方、もうお一方は当初からガイド職で同世代の方でした。


BA10-2407291 投稿日:2023年01月24日 05:30 No.231
連投失礼します。

最後の定期遊覧用6RA111(71年式)が廃車となったのは前述の通り85年7月で、これはその直前に私を含むUD好き仲間4名で定期遊覧に乗車した際の記念撮影です。
流石に38年も前の撮影なので、乗務員さんの顔出しは許されるかと思い掲載します(仲間のうち私以外の3名は顔を伏せました)。
平日だったのでなんと我々4人の貸切状態で、勿論ガイド説明は無しで、専らUD6エンジンの音を愉しむのと、乗務員さんお二方との雑談という行程でした。

写真1の右端が、前述の定期遊覧専門ガイドさんのうち、入社時からガイド職だった方の方です。
お母様の後輩に当たる方ではないでしょうか?
右から2人目が、当時定期遊覧専門に運転していたドライバーの布M猛さんです。
2人飛んで、左から2人目が若き日の私です。
前掲の210号(R280)と同じ場所の、建長寺での撮影です。

写真2は、私が自作した「惜別6RA111」のサボをドア後部のサボ受けに装着しての撮影です。

車は元386号を格下げした121で、前掲の184→120と同時に4台購入されたうちの1台です。
こちらはオリジナル塗装です。

同時購入車の他の2台は582→282→227と387で、387のみ一足先の84年9月に廃車となり、他の3台が85年7月に廃車となっています。
227は認可台数の関係で流用され乗合登録に変更されましたが、裏八幡の車は定期遊覧運用が無かったので、専ら貸切承認を取って最期まで貸切運行に使用されました。
前掲の120も定期遊覧運用に就く事は滅多に無く、227と同様の使われ方で最期を迎えました。


53 投稿日:2023年01月28日 16:03 No.241
BA10-2407291様

色々な画像有難うございます

57年式R280の210号の画像の他、
「母に懐かしいでしょう、貴重な画像なんだよ」
といって見せたのですけど…あまりバスには関心が無かったようで
「こんな感じだったと思う」という返事。
母は1996年頃までガイドやってました ちなみに最後の仕事の行先は神奈川県の宮ケ瀬、 お客さまは小学生、見習いのガイドさん乗ってたと言ってました

添付された121号の定期遊覧の乗務員さん、やはり営業所が違ったのであまり顔合わせないようで存じ上げないそうです。

最後の定期遊覧用6RA111の貸切時代386の画像ありました。カン高い爆音2サイクルのエンジン音、いま聞いてみたいです。今思うと、なんで乗らなかったんだろう
高根線のツーマン車は乗りに行ったんですよね。

少し前に私が画像添付した232号の廃車体の同じ敷地内に眼光バスも置いてありました。
123号 定期遊覧ですね リアのナンバープレートが付いていた鉄板に薄っすらと116?と見えます。1980年10月頃撮影


BA10-2407291 投稿日:2023年01月28日 20:54 No.242
53様

すごいですね、お母様は30年以上勤続なさったんですね。

貸切時代の386の写真、有難うございます。
隣は4台の兄弟の中で1年早く廃車になった387ですね。

6RA111は江ノ電の他に関東自動車でも乗った事がありますが、UD4やUD5と比較するとやや大人しめの音でしたよ。
国鉄のV8RA120は乗った事がありませんが、体験者の談話によると、やはり迫力を欠き4Rや5Rの方が良い音(マニア的に)だったそうです。
私はUD3~UD6の中では、UD5の音が一番迫力があって好きでした。
草軽の5RAは、さんざん乗りに行きました。

4Rは、江ノ電で消滅したのが85年11月で、全て神奈中古の4R95が8台(70~72年式)が同時に11月14~15日にかけて除籍されました。
15日朝の最終営業運行に乗車した他、3日の文化の日に6RAの時と同じメンバーで路線内貸切で出して頂き、片瀬山や鎌倉湖畔等急勾配路線を中心に走行して、この時はエンジンルーム内にマイクをセットして全行程の走行音を録音しました。

ところで、今回出して下さった123号ですが、このスレNo.215で掲載した初のデラバス仕様車67年式5RA110(289)の最期の姿です。
183→124(相模2こ624)と289→123(横浜2き1164→相模22か1130)の2台が在籍しましたが、289は事故でフロントガラスが割れて、復旧の際に上部明り取り窓タイプから、通常の3Bタイプに改造され、フロントグリルも交換されました。

結果的に183→124の1台のみが原形のまま残存し、これはT自動車学校至近の解体業者(現存せず)に後年まで廃車体が残っていたと以前に述べましたが、解体される際に「江ノ島鎌倉観光」と入った明り取り窓のガラスを頂いて来ました。
うちで保存していたのですが、江ノ電本社に「記念すべき車両の象徴的な部品だから保存しないか?」と問い合わせたところ、「要らない」と素っ気ない返答でした。
そこで立川バス某営業所の助役氏で、小田急グループ各社の現物資料を後世に遺すべく収集保存に尽力なさっておられる方に、数年前にお渡ししました。

改造後の289→123は他の6R系と殆ど見分けがつかない形態になってしまったので、私自身あまり注目しておらず、今回掲載して頂いた事により改めて細部の形態を見る事が出来て非常に嬉しいです。

添付画像は本文と直接関係がありませんが、65年式4RA93の281→581→281→229号です。


53 投稿日:2023年04月17日 17:39 No.308
BA10-2407291様

古いスレットになってしまいましたが、実は父親も昭和36年頃に鎌倉営業所で路線バスの運ちゃんしてました。
母とはそこで母と知り合い結婚しました。
ですが、30年前位に母と離婚して、5~6年前に他界しました。
なので50年以上前の写真なので、もう顔出し時効ですね 

写真左 私の父親 ○原和○運転手
写真中 私が中学の写真部の頃、家にあった古いネガ見つけて父親の写真の他に、人物の後ろに写り込んでいたバスをトリミングしたものです。

写真右 123号
廃車体123号、正面明り取り窓タイプからの改造車だったのですね 

この仮廃車置場に(数か月後は空地)もう1台江ノ電の貸切タイプの廃車体がいました。
そこへツナギ着た2人がそのバスにバッテリー取り付けてエンジンかけて、地面がドロドロなので、アクセル煽りまくって2サイクル音響かせ、他のバスの廃車体に車体をぶつけまくってこの空き地から走り去って行きました。 子供の頃の自分には衝撃映像でした。 恐らく解体現場までの自走だったと思われます。

今思えば空き地から出て行ったバス、正面に明かり取リ窓があったような…気がします。