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投稿者:オヤジッチ
> 新羅や高句麗の王の冠には、必ず勾玉がついていることです。 ↑初めて聞きました、半島の王冠自体何も知りません。m(__)m  写真などお持ちですか、西谷先生の「古代日本と朝鮮半島との交流史」と武田幸男の「古代を考える・日本と朝鮮」程度しか読んでませんが、半島の王冠に勾玉が付いているというのは初耳(初読)です。 > 朝鮮には王姓を名乗る人は一人もいません。 ↑百済に渡来した中国人であるとされ、この場合姓である王氏から楽浪郡の王氏とする見解があるそうです。 > 朝鮮には元々文化がなかったのではないでしょうか。 ↑これは言いすぎでしょう。(・_・?) > 朝鮮は紀元前5千年ことはほぼ無人の地でした。 ↑日本も紀元前5千年は縄文時代前期末ですけどね。 > 日本から渡ったのではないかと、成分の分析から言われてきています。 ↑これまで私が学んできたことの真逆ですね。 (¨! > 朝鮮ではその形式はその後途絶えますが、日本では長く使われています。本来の起源の場所が倭国にあったためでしょう。 ↑花弁状住居跡は宮崎県中南部から鹿児島県大隅半島にかけて多く分布し、熊本、大分両県でも数カ所で見つかっているが、北部九州(福岡、佐賀、長崎県)では2008年に三養基郡みやき町原古賀の西寒水(にししょうず)四本柳(よんほんやなぎ)遺跡で、弥生時代中期とみられる「花弁状住居」跡の発掘が初めてで。同町教委は「内部構造を含めた特徴が一致している。弥生中期の九州北部と南部の文化的交流を示す」発表しています。  また、文化形式は発祥地では次々に変化し、古い形式は周辺部に長く残存すると言われています。  いずれにしても、考古学的検証、資料検討が必要ですね。  頑張ってください。楽しみにしています。  写真は8月21日の平塚川添。干上がっていた環濠にいくらか水が溜まってました。
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