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投稿者:とら
七時雨山様のご教示に、「千貫石」と言う地名が出てきたけど知らなかったので、ネットで調べてみました。 その中で、人柱の娘「お石」を千貫文で買ってきたとあるが、元禄小判が出る前、銭相場が安く、1両5000文くらいの時代なので、あまり器量の良くない娘200両は高すぎじゃないかなどと、真っ先に金のことを考える自分が情けなくなります。 このような大きなため池を作り、その東側に広大な水田が広がり、仙台領はコメの収穫が多かったのでしょう。 岩手県は、盛岡領と、取り上げられた仙台領が混在し、政治的空白などもあり贋金が横行する下地があったのでしょうか。 上方からの占領軍も政治的には正しかったとは言い切れず、レジスタンス的な意味合いもあったかも知れません。 また、失業した石ノ巻銭の職人などもいたことでしょう。 件の細郭手ですが、天保銭の小部屋にも類似品が掲載されており、結構の規模の銭座であったかもしれません。 左右の物は兄弟銭などでなく全く別のものです。 特に左は手触りは似ていても、かなり遠いもののようです。 右も濶縁で極印なども異なり、別座でしょうが、不知の母銭はすり減っても何度も使うので、凹凸が無くなり、面が右のようになることも考えられます。 そのため、実際は同座で、見た目は全く違うというものが存在することも否定できません。 不知銭は色々想像を働かすことが可能で、面白い遊びです。
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