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投稿者:ベーダー少佐
管理者からO-nine conventionからこちらに移すとの事でしたので、誤記修正を含めて自主的にうつりました。ついにEduardのBf109G-6ASを入手しました。キットは、スゴイできです。ここでG-6ASとはなにか少し解説します。 マスタングキラーの憂愁 1944年になると、アメリカ軍重爆よるドイツ本土への本格的侵攻が始まりました。ドイツ空軍もこれに対抗して、強力な防空体制を構成しました。有速なBf109は、護衛戦闘機に一撃を加え離脱、その隙に重武装・重装甲のFw190の突撃飛行団(パイロットは戦死した場合以外、編隊を離脱しない誓約書に署名)が、重爆撃機編隊に密集体系で突入、大損害を与えるはずでした。ところが、ある日突然その方程式が崩れました。それは、マリーンエンジンを搭載したマスタングBの出現でした。今までの空戦ではBf109は一撃を与えて、高速で逃げ切れるはずでした。ところが、マスタングには完全に追尾され、そして撃墜された東部戦線から来たエースは、決して少ない数でなかったのです。マスタングはDB605Aエンジン搭載のBf109を、空飛ぶ棺桶に変えてしまったのです。ドイツ側も、BD605Aの圧縮比を変え過給機を大型化し、圧倒的に出力を増大したB605Dを開発していましたが、いまだに供給の目途は立っていませんでした。もはやDB605Dエンジンを待っている時間はありませんでした。そこで登場したのが、DB605Aの過給機のみを大型したDB605ASエンジンでした。このDB605ASエンジンとMW50パワーブーストを搭載したG-6ASが登場したのです。さらにこの機体をハイオクタンのC6ガソリン専用機とし、ドイツ空軍は、組み合わせで高性能を発揮する、即席のマスタングキラーを登場させたのです。さて、その結果はどうだったでしょうか?写真はオーストリアで撮影されたJG27/ⅡのG-6AS。手前の機体、黄色の2のZimmermann軍曹は、1944年8月23日に中部ドイツのポルテン上空で空戦中戦死、となりの白の5Salinger軍曹は8月16日にホルツミンデン上空で撃墜されましたが、重症を負いながら脱出できました。 結局、マスタングキラーG-6ASは「夢、また夢の後」だったのです。 以下写真解説 ①1977年9月に発行されたKFのBf109写真集に掲載されたBf109G-6ASのカラー写真。この時点では、この写真がG-6ASであることを、だれも解説していない。かのBeamanでさえG-14ASとしている。 ②Eduardの塗装解説。今回作ろうとしている写真の機体。ものすごい議論を呼びそう! ③Eduardの箱絵は、NJGの機体。実際に多くのG-6ASとして使用されています。
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