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投稿者:仙岳
私も 今は亡き[甥っ子:地元中土佐町出身:土建業だった]から、そのような話を聞いたことがあった。 それは 今から 20数年前の話だったが、「山」に興味のあった私としては、放っておけなかった。 ★三角点こそないが、その昔、尼寺があったので『尼ヶ森』と呼ばれているらしいとも聞いた。 高速道路のなかった当時、R56号:久礼坂を[パジェロ]で走っていると、 その山は「三角形に見える秀峰」だった。 【尼ヶ森】は、ここです。{次のページの写真参照} https://maps.gsi.go.jp/#15/33.313389/133.220555/&base=std&ls=std%7Ccp&disp=11&lcd=cp&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0 ★当時、GPSを持たない我は、国地院の地形図を持って出かけた。 登山口と想定した場所(大坂観音様前)で 地元の小父さんに "詳しい話" を聞いた。 https://maps.gsi.go.jp/#15/33.317831/133.222436/&base=std&ls=std%7Ccp&disp=11&lcd=cp&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0 ★「2006.H18.04.07(金)」の山行記録簿には、次のように書かれている ① 近くに銅山の採掘跡があって、そこには今でも コウモリが 棲んでいる。 昔、実業家が数年間にわたり人を雇って、ノミで採掘していた。洞窟は何ヶ所もあり、今も残っている。 結局は、何も成果は なかったようだ。 ⇔実際、林道脇で その洞窟の入口、その独特な岩肌を見た。 ② 昔、この「尼ヶ森」山頂に隠れ住んでいた人の話で、 ミツマタの木の下に財宝が隠されているとの言い伝えがあり、多くの人が入り込み、実際に あちこちに穴が掘られていた。 人力で掘る程度だったので、今は その痕跡は見られないが・・・。 ★駐車場所から墓床(池田家)上部の藪を潜り、畑の脇を歩き、後は単純にこの道の続きを 刈り明けながら、楽しみながら歩く。 標高125mで 尾根道は左にトラバースとなりそうだから、話しで聞いていた通り、尾根筋を選ぶ。 桧(15~20年生)は、まだ若林で低い位置に たくさんの枝が出ている。 湿った尾根筋の歩きやすい箇所を選んで登る。間もなく、山頂部の平らな所に出る。 ★(23分で着いた)山頂は、平らで、5,60センチの 2段になっている。メンツツジがきれいに咲いている。 植生はナラ、カシ、それに 桧(20年生前後)が混じっている。広くて、昔は城でもあったように思われる。 先ほど話に聞いた「祠」はどこにも見当たらない。 林床は ヒトツバと 今を盛りと咲き誇っている メンツツジ。きれいだ。 ★「総括」として書かれているのは、 出合って尋ねた小父さんが、「ここから登れば 登りやすい」と教えてくれたので、そこから登ることにした。 事実、簡単に山頂に到達できた。 しかし残念ながら、"尼" に通じる物は 何も見いだせなかった。 あったとすれば、きれいに咲き誇った[メンツツジ]だろうか。 写真…… 左 登山口(立目地区)から『尼ヶ森』を見る 写真…中:右 平らな山頂部
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