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いろんな人生
くの 投稿日:2022年12月05日 09:21 No.764
おはようございます。
今日は晴れて綺麗です。

私の伊賀での仕事仲間だった方の話。
彼女は私よりかなり若くて、はっきりしたお歳は知りませんが、50代の方です。
いつだったか、子どもさんが中学の頃に離婚し、仕事も辞めて名古屋の実家に帰りました。
特に親しくしていた訳ではないので詳しいことは知りませんでした。
Facebookで繋がってる事から、どうしてる?みたいな交流はありました。
私が台湾にいた時、シンガポール人の彼氏と訪ねてくれた事もありました。
それが、今年の初めに日本人と再婚しましたと。あのシンガポールの彼氏は?
深いことは聞きません。
とにかくシンガポールが好きだったみたい。
で、今は旦那さんの仕事の関係でシンガポールに住んでいます。
どちらも再婚同士で、とてもお似合いのカップル。
シンガポールや近くの国を旅行したり、写真をFBで見せてくれます。
ブランド品が似合う美人さんと、色んな経験をくぐって、包容力のありそうな旦那さん、とてもお似合いのご夫婦です。どうやって知り合ったのかは知りません。マッチングアプリかな?笑
シンガポールにずっとこだわって(理由は知りませんが)、夢が叶ったような人生。
英語が堪能だし、2人で異国の生活を楽しんでるのをみてると、こんな人生もアリなんだなと、こちらまでほっこりします。幸せにね。

シンガポールは、昔、主人や友だち達とテニスラケット持って3度遊びに行ったことがあります。
ラッフルズホテルで有名なシンガポールスリングを飲みながら、ピーナッツの殻は、床に落とし、仲間とワイワイのシンガポールが懐かしいです。若かったです。
あの蒸し暑いところで、テニスに明け暮れていた頃、元気でした。
あれからずいぶん変わったようで、もう一度行ってみたい気もします。


SHIN 投稿日:2022年12月08日 06:54 No.770 【Home】
おはようございます。
引っ越しでバタバタしており、今日も工事のやり直しが午前中あったりで、なかなか落ち着きません。細かい部分の修正も更にいくつも見つかってますので、担当者に「早くやらないとリフォーム代金の支払いに影響出るよ。」と脅そうかなと思っています。(笑)

さてシンガポールでハッピーな毎日を過ごしてみえるお友達の件、”波瀾万丈”と言えば大袈裟でしょうか、イエイエ、私から見ればやはそう言いたい方ですね。

私の知り合いの中にもいろんな人がいますが、今までは「そうですか、、、」くらいであまり気にとめなかったのですが、最近いろいろ思い出すようになりました。
「その後、どうしてるかな~」ですね、結局は。

私はアメリカで所謂国際結婚をした人を多く見たし、知り合いもいました。
いろんな話の中で離婚についてナルホド、という話をしてくれたある女性の方がいました。

「国際結婚が長続きしない(離婚に至る)のは知り合うまでのお互いの共通体験が非常に限られているからです。
極端な話、『昔学校の帰りに川を泳いでいたメダカを見てて、川に落っこちて泣いて帰った』という話をした時にお互いの頭の中にその時の情景が何となく湧くかどうか、、、みたいなものがあるかどうか、これってスゴく大事なんですね、結局は。」


同じ日本人同士でも育った環境が極端に違うと、これと同じ事が言えるのではないか、と思ってそういう目で他の人を見るとそういう感じがしないでもないな、、、というのもいますね。
私もカミさんと中学生の頃に見たテレビ番組の話をしたりするのも、そういう感情の一端かと。

この国際結婚、夫婦関係などもそうですが、同窓会とか会社のOB会とかも結局はそれ(共通体験)がベースですね。
今度みんなに聞いてみますね。「何で俺たちいつまでも集まるんだ?ダラダラと。」

くのさんの知り合いがシンガポールで幸せに生活して見えるというコメントを見て、ふと思い出したので書き込みさせて頂きました。ちょっと言葉足らずですが。


くの 投稿日:2022年12月08日 09:30 No.771
SHINさん、おはようございます。
コメントありがとう。
お引越しされ、ご自分の広いお部屋を持たれたと、、、良いですね〜。
夫婦の距離感って、大切な気がします。ひとりの時間を持つことって、いつも2人の生活では、大切に感じます。

友だちの再婚の話も、年取った今だから素直な気持ちで応援したくなります。

国際結婚、私の知り合いにも何人かいますが、やはりうまく行かずに別れたり、別居していたりです。
私の知り合いの台北に住む台湾人は、日本人の彼女とネット上で知り合い、結婚しました。
お二人ともすごく優秀な方で、奥様は子供の頃、親の仕事の関係で台北に住んでいたことがあり、大学では台湾文学を専攻していたような台湾好きでした。
別れた理由は聞いていませんが、今は、3人のお子さんを奥様が日本で育てておられます。
結局は、SHINさんがおっしゃってるような事かと。
日本人と台湾人、顔を見れば同じようですが、気質、親族との関わりなどの違い、それを受け入れて生活するのは大変な事だと思います。

そう言えば、我々夫婦が一緒によく旅行している主人の親友は、私も高校時代からよく知っている方で、お互いの仕事も関係なしで付き合える相手だったから、関係が続いてるのでしょうね。

お引越しの片付け、頑張ってください。
今日も良い天気ですので、色々と動けそうです。


SHIN 投稿日:2022年12月08日 22:33 No.774 【Home】
こんばんは。
今日はリフォーム工事の大きなやり直しが終わりました。でもあと幾つか残っています。
セミオーダーの家具、大体イメージ通りに仕上がりました。

国際結婚は喜悲こもごもですね。私は1990年頃、まだアメリカに駐在に行く前に頻繁に出張でアメリカに長期出張で行ってました。
戦争花嫁、って言うのでしょうか、そういう方と何人か知り合いになりました。私はその中で幸せに暮らして見える(少なくとも外見は)Kさんという方と知り合いました。
自宅に招いて食事をさせて頂きました。その様子はある雑誌に写真入りで紹介されました。
閑静な住宅地にある、小ぎれいな家でした。


最後にお会いした時に奥さんは「柏市(千葉県)に姉がいます。私が元気にやっている事を伝えて下さい。」と電話番号を知らされました。私は帰国してからKさんのお姉さんに電話をして、Kさんの様子を伝えました。
お姉さんさんは電話口で泣いて私の話を聞いてくれました。
結婚に反対、勘当して信不通で何十年ぶりに妹の様子を聞いたようでした。
Kさんのご主人は海軍の軍人で厚木基地に勤務、Kさんは司令部で事務員をされており、その時に知り合ったようでした。

その数年後、Kさんは亡くなられました。旦那さんはオハイオから気候のいいテキサスに移住してしまい、今は音信不通です。健在であれば90才前後だと思います。

家族に見放され、異国の地でなくなったKさん、どんな気持ちで最後は過ごされたのかと今でも時々思い出します。


くの 投稿日:2022年12月09日 14:34 No.775
SHINさん、こんにちは。
Kさんのお話、反対して勘当言い渡した家族の皆さんや、押し切ってアメリカに渡られた女性の気持ちを思うと、想像しただけで胸いっぱいになりました。
SHINさんの電話で、さぞ安心された事と思います。
いくら反対しても、家族はその電話がなかったら一生悔やむと思います。
よかったですね。

私が台湾で知った日本時代の日本人と台湾人の結婚、原住民の頭目の奥さんとして暮らしておられる日本人の方にお会いしたことがあるますが、たくさんの家族に囲まれ当時は日本だったですが、今は台湾人として暮らしておられました。
台湾映画でヒットした「海角七號」は、終戦で引き揚げていく日本人の男性と残された恋人の話しでした。
台湾が日本だった年数は長いので、結婚してる場合は台湾に残れたでしょうが、こんな話しはいっぱいあったのではと想像します。いっぱい辛いことがあったでしょうね。




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