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能登半島地震
リワキーノ 投稿日:2024年01月11日 16:22 No.334
能登半島地震で亡くなられた方々への心よりの哀悼の意を表します。
そして場所によっては電気も使えないところでこの寒空の中で避難生活を続けておられ
る罹災者たちのことを思うと胸が痛んでなりません。
ビニールハウスやテントで寝起きしている人たちもいるとのこと。

私は長男が生まれた50年前ころに、勤めていた楽器店の地方の営業所や特約店への出張
が毎月あり、本社技術部の十数人の調律師がローテーションを組んで、岡山、島根、福井、
金沢とだいたい一週間単位で出かけておりました。
昭和40年代はピアノ調律師の数は少なく、地方の営業所は調律師は一人か、二人しかい
なかったのです。

その中でもダントツに多かったのが金沢出張で主に金沢市内や近郊の大学、短大、幼稚
園、個人宅を回ったのですが、一度だけ、能登半島を一周する出張がありました。

いつもだと私たちは鉄道を利用して各営業所に行き、そこの営業マンが運転する車で
回っていたのですが、このときは一週間も営業マンを営業活動をさせずに能登半島一周
に付き合わせるわけにはいかず、同僚と二人の出張でしたので長距離ドライブも心強
く、会社との暗黙の合意で私の車で出かけたのです。

どのピアノも納品してから納品調律を数ヶ月もほったらかしのピアノだったのでひどく
狂っており、調律は大変でしたが、能登半島の各民宿に泊まっての旅は快適でした。
風光明媚なところにもってきて民宿で出る海の幸の料理の美味しいこと!
酒好きな私たちは6晩、豪勢な夕食を取ったものでした。

顧客名簿の住所は大字だけの番地表示でしたのでカーナビも無い時代ですから探し当て
るのも大変でした。
田畑を耕している人や通行人に尋ねても「ここからすぐ近く」と言うのが一山越えてと
いうのもざらにあるのです。
その中でも苦労して探し当てた顧客の西伝佑さんの名前は今でも覚えています。

こんな色々の思い出がある50年前に回った能登半島の顧客の方々のご家族のことを思う
ととても他人事には思えないのです。

海岸沿いの陸路を寸断された中、海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」が6日から能登半島沖
に派遣され、大型ヘリを使って大量の物資をピストン輸送しているそうで、どうか少し
でも多くの被災者に物資が行き渡ることを祈りたいです。
東日本大震災のときもそうでしたが、自衛隊の皆さんの働きによって災害時に我々日本
人は大きな恩恵を蒙っていることを改めて強調したく思います。




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