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Re:バッハの会
リワキーノ 投稿日:2022年10月19日 22:12 No.160
萬凛さん

またもや短期間での投稿、嬉しく思いました。

居酒屋でのできごと。

>たぶん、何も話しかけてないです。
>お互いに、なんとなく隣の様子は認識してるし、信用できそうだ、と思ったのかな。
>美人の奥様は、本当に、信用できそうだ、と思っている様に見えました。
>突然でびっくりしたけど。。。

そのご夫婦のこと、まったく覚えていません。
奥様が美人だったことも。

記憶のこと。
嫌な記憶は鮮明で、幸せな記憶は曖昧になるという話には驚きました。
私は真逆なのです。
今も過去を振り返ってみてもすぐに思い出せる嫌な記憶ってわずかしか無いのです。
その代わり、幸せな記憶や面白かった記憶はいくらでも思い出せ、可笑しかったエピ
ソードなんか何度も思い出しては笑ってしまいます。
特に亡くなった身内や友人の懐かしい想い出ははしょっちゅう振り返ります。

>結論は、苦い経験は同じことを繰り返さないため、未来のため記憶に残りやすい、との
こと。

「チコちゃんは知っている」ではそんな結論になったのですか?
私は振り返ってみても苦い経験を繰り返しいるとは思えないのですが。
二の矢を受けないという訓練をしてきたから嫌な記憶を削除していっているかもしれま
せん。
感動的な想い出に心が高揚すること、滑稽な思い出に思わず笑ってしまうこと、これら
は心身に良い影響を与えると聞いていますから、世間の大多数の人たちとは違う私のよ
うな性分でもいいのではと思っています。

>本当に入れ込んでたと思います。
>文字通り、「音を楽しんでる」んかな。
>あ~、いいなぁ。。。

武京子さんなんか、その典型的な人ですね。
彼女は幼い頃からオルガンをお兄さんと二人で毎日弾いていたそうですが、ピアノが家
にやってきたのは中学生のときという話は萬凛さんから聞いて驚きました。
それであのピアノとピアニカという鍵盤演奏の凄い腕前を見せるんですから。

>私の第一印象は、イギリスの貴族に仕える執事ですね。

銀行マン、学校の先生、ときには大学教授のようなイメージとはよく言われましたが英
国貴族に使える執事とは初めて言われました。
これから( 談話室の)執事リワキーノと名乗ろうかな。
執事についてはある話を別のところで紹介したいです。

>私も、自分の感じたChakoさんが伝わったかな、と思い嬉しいです。
>Chakoさん、本当にいつも読んで下さっているんですね。
>ありがとうございます!

Chakoさんはいつも読んでは私にLINEで感想を送ってくれるのですよ。
そのままを 「談話室」に投稿されてはとお願いしたのですが、生来の恥ずかしがり屋さ
んで、k.mitikoさんや萬凛さんのような知的な会話に加わる自信が無いと言って、決し
て投稿されないのです。
私はChakoさんは十分に知的な女性だと思っているのですが、ご本人がそう思っておら
れないのですからどうしようもありません。

>>上記のこと、金輪際、そんなことはありません。
>>萬凛さんの投稿はいつも私を楽しませてくれ、刺激を与えてくれているのですよ。

>なんか、とにかく自信がないんですね。
>だけど、少し好転すると天狗になったり(心の中)して、まぁ忙しいです。

天狗になろうと、萬凛さんだったら見てて可愛らしい、と他者の目に映りますよ。

>危なっかしいから、「あっ、馬鹿の山だ!」と自分でチェックを入れる様にしています。
>(専門用語で、馬鹿の山、あるんです。ラジオからの豆知識です。)

そんな専門用語ってあるんだとネットで調べたら「バカの山と絶望の谷」というものが
出てきました。
https://note.com/twentynine/n/nd1d112ebae82

読んでみるとなかなか興味深く、自分自身に当てはめてみても参考になるところがあり
ました。
萬凛さんはいつもこんな知らない分野へ踏み込むきっかけを作ってくれますね。

「バッハの会」ですが、天満橋のエルシアター(府立労働センター)の地下にあるプ
チ・エルという小さなホールで開催されます。
ホールと言っても天井も低く、細長い空間で集会所みたいな所ですが、スタインウエイ
GPがあるのです。
バッハの作品のみの演奏しかできません。
去年のときに2曲目に賛美歌を弾いた人は演奏後、横田氏からやんわりと注意を受けてま
した。
参加費は無料で、横田氏が自費でホールを借りています。
Chakoさんも武京子さんも参加されます。
時間は確か午後2時だったと思いますが、また詳しい時間はお知らせします。

>リワキーノさんでも揺らぐことがあるんですね。

ありますよ!
人間は死ぬまで揺らぎ続けるのではないでしょうか。

ずっと以前ですが、私が一頃熱中した漫画『イティハーサ』をロンドの会の仲間の女性
に貸したところ、女性は食堂を経営するしっかりした性格なのですが、漫画の中の「人
は揺らいで人となる」の箇所を読んだ時、すごく勇気づけられたと言ってました。

>そして、「成長ののりしろ」。
>元気や、生きる力がわいてくる言葉です。
>なんか、また頑張ろうー!

そう感じてくれたら嬉しいです!
西部邁という自死した思想、哲学の論客がいました。
彼は自身の著作の中で、「人は己が抱く確固とした信念に対して、ときには懐疑の念を
抱くことが大切だ」とそのようなことを繁く記しています。
私はその西部邁氏の言葉を大切にしています。

>今までにやってきたことは良くなかったと気がついた時点でそのことは後悔などせず、
>新しい取り組みに心を向けるべきです。
>後悔は、同じあやまちはもうしない、と自分に言い聞かせる意味での戒めとしてのみ、認識したらいいのです。

>後悔していても駄目ですね。
>ちょっとネガティブなことが幾つかあり、今までを振り返り、がっくりしたんですね。
>頑張ってきたけど方向が違ってたんだぁ…と。
>悩んでただけで、何も考えてはいなかったんだ…と。

家内が通っている宗教団体(旧統一教会では無いですよ)でそこの指導者が「3分間前は
過去」という言葉をしょっちゅう口にしていました。
楽しい想い出、嬉しい出来事などは何度思い返しても良いけれど、出遭った事故や不愉
快なできごとなどは思い返して悔やんだりしても何のプラスにもならない。だからその
ような目に遭ったら「3分前は過去」としてその認識を意識から切り捨てることを奨励す
るのです。
これが実現できたら「二の矢を受けない」ことになります。
私はこの宗教法人の教えにはほとんど従っていませんが、この「3分前は過去」はとても
気に入っており、私がマイナスの感情に支配されたとき、何度もこの「3分前は過去」を
お経のように口ずさんで排除する修行を続けてきたのです。
長い年月続けると効果があるもので、この修行はある程度身についてきていると思って
います。

>以前は、自分が自分を責めてきたので大変でした。
>斎藤一人さんのいう、悪徳裁判官、という存在ですね。
>自分と、もう一人の自分(悪徳裁判官)。
(中略)
>「自分と友達」とは、「自己受容」のことかもしれません。

この段の萬凛さんの説明で自分と友達になれたという意味が解りました。
自己受容できるまでは下記のことで苦しんでこられたのですね。

>何かあると、責めてくる。
>自分だから、痛い所を責めてくる。
>自分だから、逃げられない。
>一人でいても落ち着かない。

萬凛さん
これからも萬凛さんの心に浮かんできた感慨や疑問などはどんどん発表してください。




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