ひろば
投稿は会員のみ。画像をクリックすると拡大されます。 投稿者名(青色)をクリックすると,フォームメールを送信できます。
| 新規投稿 | トップに戻る | 検索 | アルバム | 管理用 |

お名前
メール
タイトル
画像添付





編集キー ( 記事を編集・削除する際に使用 )
文字色


「イエス伝」読み較べ
雪谷旅人 投稿日:2019年07月01日 08:09 No.361
「イスラエルの旅」準備第3弾。イエスの足跡を辿るにはイエス伝を読むのがよい。3冊のイエス伝を読み較べした。(カッコ内年代は初版出版年)

若松英輔「イエス伝」(中央公論新社,2015年)
若松英輔はカトリック信者だが,「イエス伝」では努めて客観的な表現でイエスの生涯を描く。イスラム教や仏教など,他の宗教との類似性,絵画や音楽など多方面の例示で分かりやすく,それでいて格調の高い信仰を表明している。信者ではない人には格好の入門書だ。

遠藤周作「イエスの生涯」(新潮文庫,1973年)
遠藤周作の「イエスの生涯」は,カトリック信者の作者がイエスとその弟子や群衆,支配者の心理をいきいきと表現している。12弟子や民衆がことごとく離反し,孤独なイエスの姿が鮮明に描かれている。「沈黙」と同様,遠藤文学らしいイエス像だ。「私としては,ガリラヤの力あるイエスより,この無力なイエスに,イエスの教えの本質的なものを感ずるのである」(p.212)

矢内原忠雄「イエス伝」(角川文庫,1968年)
東大総長だったプロテスタント(無教会派)矢内原の古典的イエス伝。全巻に力強いイエス像が表現されている。「私は専攻の聖書学者でもない。一介の平信徒である」と言いながら,牧師の説教以上の説得力がある。時代背景なども分かりやすい。

興味深いのは矢内原の「力強いイエス」対遠藤の「無力なイエス」,矢内原の「従順な弟子」対若松の「離反する弟子」。それぞれのイエス像が凝縮している。イスラエルの旅では,遺跡や風景の背後にある「イエス像」を探りたい。


ふしぎなキリスト教「講談社現代新書」 fujizakura 投稿日:2019年07月04日 10:13 No.365
二人の社会学者、橋爪大三郎と大澤真幸による対談で切れ味鋭くユダヤ教とキリスト教を分析する入門書。
ユダヤ人たちは歴史上負けっぱなしと言っていいほどいつも悲惨な目にあっているのに、なぜいまだにヤファウェを信じているのか。キリスト教ではなぜ人間が“原罪”を背負っており、最後の審判をうけるのか、死んだキリストがなぜ“復活”するのか、そんな私の素朴な疑問を明確に解きほぐしてくれました。
日本人にとって神様はちょっとえらい友達。たくさんいたほうが良い。しかし一神教の神はこの宇宙や人間を作った宇宙外生命。この辺の違いが判らないとキリスト教は日本人にとって永遠に不可思議な宗教です。
雪谷さんが挙げられた著書はいずれも熱心なキリスト教徒が書いたもの。宗教学的に客観的にキリスト教を分析したこの著書もキリスト教の構造を知るうえで面白いですよ。
巨万の富をつぎ込んで教会や修道院をなぜ作るのか、なぜその金を産業振興や社会資本の整備に充てなかったのか、宗教は魂の救済なのかアヘンなのかポルトガルに旅して強く感じました。


Re: 「ふしぎなキリスト教」 雪谷旅人 投稿日:2019年07月06日 20:58 No.369
橋爪大三郎,大澤真幸「ふしぎなキリスト教」(講談社現代新書)

fujizakuraさん,ご紹介ありがとうございました。一気に読みました。大変面白かったです。「面白かった」というのは不謹慎かも知れないけど,この本では高尚なことを俗っぽい表現で分かりやすく説明している。ワラけるところもあるし,目から鱗もある。

この本に書いてあるように,「イエスの教え=キリスト教教義=教会」ではない。教義や教会はずっとあとでできたものです。スペイン軍がインカでやったように,人を殺して奪った金でキンキラの教会を建てるなどは「とんでもない」とイエスは言うでしょう。イスラエルへの旅では,「イエス像」を探りたいが,イエスゆかりの地には悉く教会が建っているという。遺跡はそっとしておいてほしい,というのが私たちの願いなのですが。


”立ち読み”いかがです?? くみっち784 投稿日:2019年07月08日 23:55 No.370
雪 谷 さま
fuzjzakuraさま
皆 さま

”「イスラエルの旅」準備第3弾”として雪谷さんご推薦の若松英輔「イエス伝」を図書館から借りてきた。一般向けの本で、文章は比較的平易。それでも、宗教に関心を持たない私は中々読み進むことができない・・。どうしようと思っているところにfujizakuraさんが「ふしぎなキリスト教」を紹介してくれた。
私はふと、その気になってアマゾンを覗いて立ち読みしてみた。それは「うん、なるほど、こうなのか!」と立ち読みだけでちょっぴりキリスト教の仕組み?がわかる「ふしぎな本」でした。これで基礎はバッチリ!やっと「イエス伝」に取りかかれそう(笑い)。

stfメンバーの皆さんもよろしければ、ちょっと立ち読みいかがです??

追伸・・遠藤周作「イエスの生涯」は貸出申請中、矢内原忠雄「イエス伝」は神奈川県内には一冊も無いそうですので、スルーさせていただきます。


一神教の誕生-ユダヤ教からキリスト教へ (講談社現代新書) fujizakura 投稿日:2019年07月10日 13:51 No.373
日本にいろんな神様がいるのは平和だったから。諸民族の攻防が激しい地では、負け組は皆殺し。日本では戦国時代、上の方で戦争しても同じ日本人だから民百姓まで殺さない。殿様さえ切腹すれば、家臣だって召し抱えて使う。
パレスチナの地は文明の十字路みたいなところで、各民族が自分の信じる神を前面に押し立てて戦争した。負けた方の神は、役立たずの神として見捨てられる。こうして多くの神が淘汰され一神教に行きつく。
ところがユダヤ教のヤファエはどちらかと言えば負け組の神様。しかしイスラエル人たちは神がだめだとは考えなかった。彼らはヤファエを見捨てるのではなく、自分たちの信仰がいい加減だったから神は守ってくれなかったと考える。神に対する義務を果たしていなかった自分たちが悪いと考える。たしかに当時、バアル神への信仰なども広がっていたらしい。「私をおいて他に神があってはならない」と出エジプト記に記載があるようにヤハウェにとって、イスラエルの民がバアル信仰に染まるのは許すべからざる背信であった。
かくてイスラエル人は、律法をかたくなに守り、ヤファエを唯一の神と崇めるようになる。エレサレムの嘆きの壁の前では、黒ずくめの服に身を包み黒い帽子を被ったもみ上げの長い男たちが、嘆きの壁に頭を打ち付けながら、神の許しを請い、神への信仰を訴える姿が今でもみられる。