ひろば
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2023年の私の一枚
fujizakura 投稿日:2023年12月31日 14:37 No.2037
人を酔わせるのは酒だけではありません。歴史もまた人を酔わせるのです。それは歴史の主人公が人間だからです。司馬遼太郎は『竜馬がゆく』の中で「歴史は人間の知恵と無知の集積であり、それを煮詰めて発酵させれば、素晴らしい美酒が得られる」と書いています。
私は最高の美酒たる歴史は西トルキスタンの歴史ではないかと思います。西トルキスタンはユーラシア大陸の真ん中、アジアの心臓部ともヘソともいわれる乾燥地帯です。東に中国文明圏、西にペルシャ文明圏、南にインド文明圏、北に遊牧文明圏と接しています。これらの文明が激しく交じり合ったるつぼのような場所だからこそ、多くの人が行き交い、多くの国が興亡を繰り返す、複雑で玄妙な美酒が生まれたのではないでしょうか。
西トルキスタンはギリシャやペルシャなど西方の人たちには、トランスオクシアナやマー・ワラー・アンナフルと呼ばれていました。前者はラテン語でアム川の向こう側を意味し、後者はアム河を西境とし東はシル河までの地域を指すアラビア語です。これからもわかるようにアム河はこのあたり一致の象徴、キモと言ってもいいでしょう。現在は大まかに言えばウズベキスタンの中央部を指します。
さて私は今年の九月から十月にかけて、STFの仲間と共に、この美酒を味わうためにウズベキスタンとタジキスタンを旅してきました。サマルカンド、ブハラ、ヒヴァなどのオアシス都市の遺跡を訪ねることはもちろんですが、私が最も期待したのはアム河のほとりに立ってみることでした。四十年前、ソ連時代にウズベキスタンを旅した時には、観光コースを外れた行動は厳禁され、アム河に近づくことさえ許されませんでした。河に近づく道はなく、葦が生い茂る数キロの泥湿地帯を歩かなければ河畔に至れないともいわれました。
私が今回の旅でアム河を間近に眺めることができたのは、ウズベキスタンのウルゲンチの郊外で、キジル・クム沙漠の入口あたりです。アム川は長さ2540kmの中央アジアで一番の大河です。パミール高原の氷河に源を発し、タジキスタン,トルクメニスタン,ウズベキスタンの三国を北西に流れ,アラル海に注いでいます。
アム河は私が想像していたよりはるかに水量豊かな大河でした。乾燥地帯を長々と流れてくるのだから、川底が見える程度の水量しかないのではないかと想像していました。しかし向こう岸まで一キロメートル以上ありそうな川幅いっぱいに豊かな水がゆったりと流れています。
中央アジアの歴史研究の第一人者・松田壽男が「シルクロード紀行」の中でアム河はかつてシルクロードの一部としての役割を担っており、中国やインドの文物がこの川の舟運によって西に運ばれたと述べていたのを思い出しました。
写真のアム河は、大きな河には違いありませんが、何の変哲もないただの流れです。しかし、私はこの河のほとりに立ちたいという念願を四十年ぶりに果たしました。古来あまたの文明がこの岸辺で交差し、盛衰を繰り返してきたことを思い、アム河のほとりで私は歴史という美酒に酔っていました。


doityourself 投稿日:2023年12月31日 19:24 No.2039
fujizakuraさん
2023年の私の一枚に投稿ありがとうございます。