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スキー
髙橋俊次 投稿日:2024年02月09日 23:33 No.1160
“スキー人生”を終わりにしました

7日投稿の志賀高原スキーレポートで「ある思いを込めて」
滑ったと書きました。どんな思い?だったのか、書きます。
簡単なのです。ブナ平での滑りで“スキー人生”を終りにしようと
スピードを上げ、一番格好良くと思って滑走しました。
誰が見ている訳でもなし、全くの自分世界ですが、自分で
OKを出しました。これで終われる、スキーと別れるのだ。
2024.2.7 私はスキーを卒業しました。スッキリした気持です。
以上が言いたかったことで、これで終わりです。
以下、少しだけ独り言です。

会社入社後、スキークラブに入り5、6年ツアーに参加しましたが、
さっぱり上手くならず、また自分には合ってないなと思いスキーは
やめてしまいました。その後。10年ほどのブランクの後、1985年に
再度スキーを始めました。ナゼって?一緒にテニスやっていた会社
メンバーが揃ってスキーに行くのでテニスは休み、ときたので、
遅れてはならじと道具を揃え参加申し込み。エッ、スキーは
合わなかったんじゃない?当然の問いですね。でも気にしていた
美人がいたりしたらどうです?やっぱり参加でしょう!
志賀高原でボーゲンながら美人の後ろを滑り、ブナ平で一緒に転び
林間コースでみんなで記念写真、スキーが合ってない?これは何かの
間違いと気付いてから今日まで39年間、スキーを続けてきました。
多い時は1シーズン40日ほどスキー場にいたことがあります。会社には
キチンと行っていましたよ。

このスキーと別れるなんて出来っこないよ、と思っている方もいるで
しょうね。確かに別れ方が大事ですよね。上記の最後の滑りの後、泊りの
ホテルのスキー道具担当者にスキー板の処分引取りをお願いし、ゴーグル、
手袋を一緒に行ったメンバーに差し上げ、ブーツは行先も決め、ウエア・
小道具も廃棄物としてきょう処分しました。大の愛人スキーとはキッパリ
縁を切りました。相手も潔く私の前から消えました。
きょう、妻からは「別れ際は見事ねー。うーん、見直した」と大いに
褒められました。

ナゼ別れた?これは私の体の中と胸の内にありますが、披瀝するようなもの
でもありませんので。長くなりましたが、私の独り言に付き合ってくださり
ありがとうございます。俊。


よねやま 投稿日:2024年02月10日 09:40 No.1161
昔の武士を思わせる見事で潔い切腹、おめでとう。
砂岡兄の断酒に続き、あっぱれな最後ではありませんか。
失礼ながら俊ちゃんのスキーと、砂ちゃんの酒をとったら
あとにはぺんぺん草も生えないと思っていたのに・・・。
とは、言い過ぎで、多趣味と行動力のすごさには、日頃から
感服しております。まだまだ今まで通りの、ご活躍
期待しております。


志村弘昭 投稿日:2024年02月10日 19:36 No.1163
確かに、美女と別れた俊兄
見事なものです。この文章は
決して一人言ではありません!
好きな内容は違うでしょうが、決心
の気持ちは全て一緒です!未だ未だ
ジャズ、落語、は逃げませんよ。
多彩な趣味の楽しい情報を
いつも待っています。


お疲れさまでした! 北上尊司 投稿日:2024年02月11日 11:53 No.1164

 今朝起きたら自宅前に結構積雪があり、1時間ほどかけ雪はねを終えました。
 俊ちゃんがスキーを卒業すると思いを綴った文章を読み、清くきっぱりと止めたことに寂しさを感じています。
 9日(金)、今シーズン初めて藻岩山市民スキー場へ行って来ました。
 積雪は先日の大雪で十分でしたが、ゲレンデはスキー学習で来ている小学生だけで、一般スキーヤーは平日のこともあり、まばらで殆んど貸し切り状態でしたね。
 此処は初心者や高齢者にとってシーズン初めの足慣らしには十分なスキー場です。
 私も早晩引退しなければならない時が来ると思いながらも、まだまだ滑ることに挑戦したいと念じているところです。
 そんな時、日本人が誇るマエストロ小澤征爾さんの訃報を伝えるニュースに接しました。
 そんなことから、ダブルショックを受け、昨日は落ち込んだ日を過ごしていました。
 
 


スキー 髙橋俊次 投稿日:2024年02月11日 15:26 No.1165
北上兄はスキーやめないで!

兄は初スキー行ったんですね。兄はスキー遊びやめないで下さい。
なんと言っても庭先のようなところにゲレンデがあるのですから。
それに当方とは比べものにならないキャリアと技術があるんですから。
名古屋住いはスキー行はなかなか大変なのです、いろいろな面で。
最近はかなりの頑張りでなんとか乗り切ってきましたが、やはり
限界かな、と強く感じるようになっていたのです。朝起きて目の前に
ゲレンデが有ればもうしばらくは遊べると思いますが、そんな訳にも
いきませんので思い切りました。兄ともう一度、一緒に滑りたかった、
なんとかチャンスを作れないかとも考えていましたが、実現できず
申し訳なく又、悔しい思いです。
今度顔を合わせた時は語り合いましょう。俊


志賀高原 砂岡茂明 投稿日:2024年02月11日 20:06 No.1166
俊ちゃんの決断に敬意を表します。これだけ徹底的に整理するところを
みると俊ちゃんのスキーへ思い入れは並大抵のものでは無かったのでしょうね。
最後に、思い残すことなく滑り終えたので、スキーロスにも罹らないでしょう。

それに引き換え、米山さんが話題に取り上げてくれた、私の断酒など「もう、酒はやめた」
と独り言ちて、気がついたら13年経っていたというだけで、俊ちゃんとの引き合いに
出して頂いただけでも恐縮しています。

志賀高原には、私も参加しました。(スキーは無しでの参加でした。)
東館山かどうか不明ですが、当時のスナップを掲載しておきます。




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