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頭の中での強迫行為、に対する曝露
としべえ 投稿日:2021年09月04日 10:48 No.1508
矢野先生、こんにちは。
事前にお知らせしたように、今回はこちらで質問をさせて頂きます。

自分は不潔強迫(主にフンや便等)と確認強迫(火の元や車など、対象は様々)を患っています。実際の強迫行為もありますが、特に頭の中での確認行為に悩んでいます。
日々の生活はなんとか出来ていますが、頭の中での確認行為が多くて面倒だし苦痛です。起きている間ずっとそれをしているわけではないですが、怖い場所や場面や、行動の節目節目ではそれをしながらでないと行動できません。

頭の中での強迫行為は、自分の場合は主に、自分を安心させるように(頭の中で)言い聞かせるというものです。
言い聞かせる言葉も、ほぼ決まっています。
「(大便や、火事など)最悪な~よりはまし。」「~よりは楽。」と、
「(汚れ等の)少々のことは、仕方ない。有り得る。」
の二種類です。
この言い聞かせがなしだと、まるで、周りがなにも見えない真っ暗闇のなかを手探りで進んで行くような、ものすごい恐怖と苦痛を感じます。

例えば、家の中のトイレで大便に行く時は、
スリッパを履いたので、床にはほぼつかないので、「より楽。」
排泄物等を流したので、「より楽。」
排泄物が落ちる時に、水が跳ねてお尻に付いたら、仕方なく拭きながら、「少々のことは、仕方ない。」
用を済ませて手を洗いながら、「少々の汚れ等は、仕方ない。」
等といった感じに、二種類の「言い聞かせ」を組み合わせるように唱えながら行動しています。

質問は、この頭の中での強迫行為(言い聞かせ)を無くして行くために、どのように曝露をしたら良いのかということです。

いきなり、まるで無しにするというのは、ものすごい恐怖だし、日々の生活自体さえ(少なくともしばらく?の間は)回らなくなるでしょうし、実際のところ難しいと思います。

そこで、まずは出来そうな場面や場所で、30分~1時間くらいの短い時間をまったくの「言い聞かせ」なしでやってみて、馴れたらその時間を伸ばしていくと言う方法を考えていますが、いかがでしょうか?
また、ほかにもより良い曝露の方法があれば、教えて頂ければと思います。

もちろん、頭の中での強迫行為に対する曝露ではなく、実際の恐怖に対するアプローチ(曝露)も行ってはいます(便座を触る等)。
しかし、今回は頭の中での強迫行為への、直接の曝露もやりたいと思い質問させて頂きました。

お忙しい中で申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願い致します。


矢野 投稿日:2021年09月04日 22:31 No.1509
強迫症は、強迫行為がやめられない病気です。これは、曝露中でも同じで、自力で頭の中で唱えることをやめようとするのは、なかなかハードルが高いだろうと思います。なので、言い聞かせなしでやってみるというのも、試してもいいとは思いますが、難しい場合は、以下の工夫をしてみて下さい。(汚いものに触れていくという現実的な曝露は必要ですが、以下の内容では省きます)


『○○よりは、まし』『○○よりは、楽』の場合は、『今起こっているのは、○○だ』のように頭の中で言ってみるということを曝露中にしてみます。たとえば、スリッパを履いている途中で『床についている』と心の中で言ってみるのです。これは、実際に床についてなくてもいいです。(本当は、床を触った方が早いのですが…)

『少々のことは、仕方ない』に関しては、手洗いをしながら『たくさん、汚れがついている』と言ってみる、お尻を拭きながら『たくさん、汚れがついている』と言ってみる等です。

こうやって、普段やっている強迫行為のやり方を変えると「もやっ」とすると思うのです。そこに慣れていくというものです。

ちなみに、『強迫行為のやり方を変える』というのは、その必要性がないときに、やってみると達成しやすかったりします。例えば、普段の手洗いをするときに、手洗いの手順を変えることは難しいのです。手洗いをした直後などの、手洗いが必要ない場面のときに手順を変えた手洗いをしてみると、それはできることが多いです。なぜなら、「すでに手は洗っているから」という気持ちがあるので、少しハードルが下がるのですね。このステップを挟むのがコツです。

なので、最初は、トイレにいないときに、『トイレの床に、足が結構ついている』と言ってみたりする曝露をするとよいです。同じように、『おしりに、水が跳ねているのがついている』とか言ってみます。

大事なのは、曝露をする中で、頭の中で何を考えていようが、現実は変わらない。
現実は、何も変わらないから、頭で何かを唱える必要はないと学ぶことです。


としべえ 投稿日:2021年09月05日 12:17 No.1510
矢野先生、早速のお返事、どうもありがとうございます。

そうですね。強迫行為を我慢することで、治して行くというのはセオリーとしては違いますね。

早速、アドバイスして頂いた方法を試して見ました。
まず、自室で、トイレに行くことを想像しながら、先生の言われたように、
「床にほとんど付いてしまっている。」「水がお尻に跳ねて付いた。」「汚れがたくさん付いている。」
等と、頭の中で唱えました。
その後、実際にトイレに行き、小便でしたが用を足しました(座って)。また、頭の中で唱えながら。

やった感想は、そんなにモヤッとはしなくて、わりとすんなり出来た感じです。悪い方を想像して(唱えて)動くので、少し開き直れるせいか、やや楽に行動出来た感じです。
ただ、もっと怖い場面や、不潔と確認が両方あるような場面では、混乱してしまいそうな気もします。

ただ、心配な点もあります。
一つは、今回はわりと楽に曝露出来たので、この方法で「頭の中の強迫行為」を無くして行くことが出来るのかということです。

もう一つは、この新しい「悪いほうを唱える」という方法が、それを唱えないと安心出来ない、新たな「頭の中の強迫行為」にならないか?という心配です。

これらの心配については、先生、どうでしょうか?


矢野 投稿日:2021年09月07日 16:35 No.1511
悪い方を想像して動くので、開き直れるという感覚はとてもよい感覚だと思います。
もう少し、レベルをあげて、普段の生活の中で「触れたか触れてないのか、一瞬迷う」という場面でもやってみてください。

経験的には、想像曝露のみでは不安にならない方も多いです。「だって、現実じゃないですよね」という人もいます。ここから、少しづつ、現実場面での曝露(実際に汚いものに触れなくても)を一緒にしていくようにするとよいと思います。

強迫行為になる場合というのは、『それをやって、不安が取れる』という感覚が得られるとそうなりやすいです。曝露は、いつでもやめていいはずですが、曝露をやめると不安という感じであれば、強迫行為になってしまいます。
もう一つのポイントは、行動実験的な要素を強調して考えていると強迫症にとらわれていきやすいです。表現を変えると「頭で想像しても何も起きない」を強調しすぎると駄目なのです。「頭で想像しても"ほとんど"何も起きない」が正しい落とし所になります。つまり、「リスクに耐える(不確定性への非体制へ対処する)」ということです。


としべえ 投稿日:2021年09月10日 15:37 No.1512
返信、どうもありがとうございます。
こちらの返信がやや遅れました、すいません。

そうですね。
もっとレベルを上げて行うことと、あと現実での曝露も必要ですよね、やはり。

ただ、普段の生活のなかでの曝露(消極的な意味での曝露)は、なかなか大変な気がするので、出来そうなときになると思います。


それをやって不安が取れる、と言うのは、自分は陥りがちなので注意しようと思います。
モヤモヤに馴れる、ということですね。


行動実験的な要素を強調して考えている~、のところは、すいません私の理解力が足りなくて、よくわかりませんでしたが、
つまり、
要は、悪い方を想像して唱える=でも、想像だから何も起きないし大丈夫、という心構えでは良くない、ということでしょうか?


矢野 投稿日:2021年09月13日 14:58 No.1515
行動実験的な要素を強調して考えている… という所は、「想像だから何も起きないし、大丈夫」と念仏のように唱えていると、症状が収まっていかないので、『想像だから、ほとんど何も起きない。でも、もしかしたら、そういうことも起こるかもしれない。それでも大丈夫』というリスクに対する耐性も一緒に身に着けていく必要があるということです。
曝露で学ぶことは、①想像していることは、ほとんど起きない、②もしかすると、想像していることが起こるかもしれないが、そのリスクに耐える力を学ぶなのです。①ばっかりの姿勢でいると上手くいかないのです。


としべえ 投稿日:2021年09月16日 15:28 No.1520
度々の返信、どうもありがとうございます。

アドバイスして頂いたことに注意しながら、曝露を頑張ろうと思います。




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