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菅尾先生の思い出 というよりは吉野君の思い出になってしまったね。
ウッチー 投稿日:2024年01月19日 07:50 No.638 (0回)
あれは4年生の時だっただろうか 男子数人で先生の家に遊びに行ったのだが、
なにせ70年近く前のことだからウッチーの記憶は8割方飛んでしまっている。
だから残った2割の記憶を何とか紡いでいくしかない。
韮山駅に集合して電車に乗ったのかそれとも大仁駅で待ち合わせたのか 
駅から民家の間を歩いていくと狩野川が見えてきた 大仁側にも向う側にも堤防はなかった 
河原の真ん中を狩野川が流れていて川船が数漕並べて係留されている 
その上に戸板のようなものが敷かれていて向こう岸まで続いている 川船を利用した『浮橋』だった 
5円かいくらの木戸銭を渡して向こう側に渡った 熊坂部落だ 
ここの住民は大仁駅に行くには大きく迂回して大仁橋を渡るしかないのでこのような『浮橋』が必要なのだろう 
菅尾先生の家は立派な旧家だった 
その屋敷の奥に石作りの大きな蔵があってその2階が先生の新居だった 
奥様にお菓子と飲物でおもてなしをして頂いたのだが誰も頂こうとしない 
そろそろ「おいとま」となったとき、「誰も食べなければ片付けてしまうぞ 好きなお菓子を取って!!」
の先生の一声 今までガマンしていたみんなの手が一斉に伸びた 一番早かったのは吉野君だった 
オブラートに包まれたお菓子を手にした彼のあの笑顔は今でも鮮明にボクの記憶に残っている。

だから中学の時、隠れてタバコを吸っていた彼の姿とこの時の満面の笑顔が
今でもオーバーラップして不思議な心境になる。

追伸 先日夕子ちゃんから聞いた話
生前の彼いわく「おやじは元気か?もし死んだら俺が夕子のめんどうみてやるからな」
悪ガキの代表格だったけどこんな一面も持ち合わせていたんだね。  


南條MH 投稿日:2024年01月21日 15:35 No.640 (回)
中村先生のお葬式の時か通夜だったか、吉野君から先生との交流を聞いたことがあった。
彼なりにいろいろ恩義を感じている様子で、吉野君も繊細な心をもっている人だとその時改めて感じた。
中村先生は私たちに多くのモノを与えてくれたかけがえのない先生の一人。




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