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コロンビア大学1968/2024

1: 舟珍:2024/05/02 22:25 No.5594
1968年の、コロンビア大学の学生によるロックアウト(画像1)と大学側の要請による警察突入(画像2)までの顛末を描いたのが、有名な映画『いちご白書』(1970)。私は1976年に最初に見ました。
(画像3)は今回の警官隊突入後の様子。
日本では、やはり1970年前後の学生闘争に破れた学生が、就職のために髪を切ることを自嘲気味に歌った「『いちご白書』をもう一度」というフォークソング風歌謡曲が数年後に流行します。
私学では何度か行われていた機動隊導入。1969年1月に東大が行い、より激烈な突入作戦となり、ここが'70年前後の運動のピークとなります。
私は、機動隊の戦術という観点で記事化と著者探しを試みましたが、ある壁に阻まれました。
[小](いえ、そんなに大したことではなく、そういうとこだけが記された公刊資料はなかったということです。)[/小]


2: 舟珍:2024/05/02 22:33 No.5596
1969年1月の東大への機動隊突入は、佐々淳行の『東大落城』がスタンダードなドキュメンタリとなります。

佐々さんには、より上級の立場で指揮を執られた浅間山荘事件のドキュメンタリもあります。同事件については私の同僚が長野県警側の部内で出版された資料を持っていますが、やはり戦術的などうのこうのという記事は難しいでしょう…
すでに半世紀も前の出来事なので、新しい視点からの記事は望ましいのですが、やはりいろいろな困難があります。
(いえ、これも大したことではなく、私も年取って意欲も薄まり面倒くさいことはしたくないということです。)


3: 舟珍vf:2024/05/03 00:55 No.5597
モサド公式アカウントが、
米学生デモに参加する親パレスチナ学生を顔認証技術で特定すると脅しをかけています。
ユダヤロビーもデモ潰しに資金を注ぎ込み始めた…

'60年代の米学生運動では、労働者が学生に襲いかかるという流れも一方であった。
『坊やら、甘えてんぢゃねぇヲ』ってことね。
今回はそれらが牧歌的に思われるほどの血なまぐさい何かを背後に感じます。

4: 舟珍vf:2024/05/03 01:12 No.5598
シオニズムを掲げられると、20世紀前半までのそれに対する弾圧と、
20世紀後半はホロコーストに対する気の毒さから、何となく躊躇われていた反シオニズム的な言説が奔流となりかかっているのよね。
少なくとも遠慮がなくなってきている。
イスラエルは焦ると思う。

5: SJC:2024/05/03 05:43 No.5600
中央公論で、安田講堂に警察が突入した間隠れていてその後脱出した人の手記を読んだ記憶があります。さすがに原典は手元にありません。。。

いちご白書は、かなり以前にテレビで放映されたときに録画したものをデジタル化したものがあります。

6: 舟珍vf:2024/05/03 13:45 No.5601
1967年の羽田闘争で組織化された学生側の攻撃にさらされた機動隊は、その後、短い間に対学生戦術を強化、1969年1月には圧倒的に強くなっていました。
その間、自衛隊も治安出動の訓練を始めますが、それが発動されることは遂になかった。このことは、三島由紀夫を非常に失望させ、のちの市ヶ谷事件の遠因の一つになったと私は考えています。

7: 舟珍vf:2024/05/04 00:15 No.5605
遂に学内で発砲したらしい。
ニュース映像を見ると、警官隊も軽装のriotではなく武装riotに変化している。

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米下院で、実質「イスラエル批判禁止法」と呼ぶべき法案が通過している…
20世紀の“反ユダヤ”は人類共通の認識としてタブーだったけど、この数か月で意味の変容を遂げたように私には思われる。

最悪、アメリカは準・内乱の状況に陥るのではないか?


8: 舟珍vf:2024/05/04 21:03 No.5612
デモ隊逮捕者の半数は学生ではないようですね。

警官隊が撃ち込んでいるのはこのようなゴム弾です。デカい。当たっても死にはしないけど、打撲、骨折、裂傷重症を来します。目に当たったら失明でしょう。
『いちご白書』でも東大でも催涙弾が使用されていましたが、後遺症が酷いので最近は使わないようです。元々は毒ガスだからね…。イスラエル軍はまだ暴徒鎮圧等に使用しています。


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