掲示板


| トップに戻る | 検索 | アルバム | 管理用 |

三角点日記 7月
タメやん 投稿日:2022年07月02日 09:52 No.2187
梅雨はスッと明けたが、今度は猛暑で登るがも二の足を踏む。

仙岳 投稿日:2022年07月02日 10:15 No.2188
高知市内の相棒たちは、結構集まって、徳島の涼しい山を縦走しているようだ。
我は と言うと、畑や原野の "植物" の世話で汗をかいている。
作業も朝のうちの 涼しい時だけ。
『山』は、いっとき、休眠状態だ!


現調 タメやん 投稿日:2022年07月10日 20:36 No.2193
雨で地面がぬかるんで登るのもメンドイし、ジッとしちゅうがも何じゃき近場でスッと行けそうな所は無いか思案していた。

「高知観光ガイドブック」を1巻~4巻を全部図書館で借りて読んでみたが、1巻の「落ち神様」(神森城跡と落ち神)の略図が「至落ち神」とぼかした表記になっていて、ググっても具体的な場所の記載が無かったので先行調査に行ってみた。

https://nangokutosa.blog.fc2.com/blog-entry-2054.html


①上記リンク先の「神森の南麓に大屋敷と称する処」とあり、且つ本の略図(ちょっとエエ加減な表記にはなっていたが)には「至落ち神」が高速の北に記載されていたので、ここではないかと推測してみた。

https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=33.574562&lng=133.495275&zoom=18&dataset=kochi&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

またそこは、ゼンリン住宅地図には「八幡宮」と載っていた。

https://www.its-mo.com/maps/address/39201161000000000050300001/?lat=33.571379444&lon=133.498366667&from=map


②調べていたら、バス停「越知神」があった。

https://www.mapion.co.jp/m2/33.56745319555147,133.50444583226522,19

今昔マップには、その近くに神社マークがあった。

https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=33.567840&lng=133.505250&zoom=18&dataset=kochi&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2


②を先に行ってみたが、周りには小祠すらなかった。

①には確かに小祠があったが、本の写真とは違っていた。

近くで農作業をされている方がおり、ダメ元で聞いてみると、何とあるとの事だった。

https://map.yahoo.co.jp/place?gid=SQ7rsPBN4l6&lat=33.57462&lon=133.49416&zoom=19&maptype=basic

本の写真には2つ鳥居のどちらも表札?(神社名を書いた板)が載っていたが、文字は判読できなかった。

現地の最初の鳥居には「出雲​守​神社​奥​之​宮」の表札?、奥の鳥居は表札?が無くなっていた。


仙岳 投稿日:2022年07月11日 17:18 No.2194
https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=33.567840&lng=133.505250&zoom=15&dataset=kochi&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2
>> 1巻の「落ち神様」(神森城跡と落ち神)の略図が「至落ち神」とぼかした表記になっていて、・・・
と、なかなか やる気満々ですね。
文章の中に出てくる "地形図" を見ながら、遠い過去(35年前から3年間)に携わった仕事をなつかしく思い出した。

現在の県道44号(高知北環状線)は、その当時、都市計画決定された『都市計画街路:薊野塚ノ原線』として改築される事となり、地元説明会とか、用地交渉などに奮闘し、励み・悩み・苦労した記憶が蘇ってきた。

やる気満々ながら、悩み突き進んだ、若かりし頃の我が身を思い出した。


タメやん 投稿日:2022年07月15日 00:28 No.2195
30年位前はイオンの前は道も無く、周りも田圃が多くガラーンとしていた。

道が出来てスッと人気の地域になり、一ツ橋辺りは高知のビバリーヒルズの様だ。

高知県の人口は減り続けているが、開拓する程どっから人が湧いて出てくるのだろう。


仙岳 投稿日:2022年07月18日 12:35 No.2197
「今昔マップ」を見ながら、「住宅地図」も見てみたら、昔を思い出してきた。

★「高知北環状線」の元計画は 交差点部もすべて 片側一車線、往復二車線の計画だった。
それを 交差点部では 3車線化(右折レーンの設置)に計画を見直したため、用地交渉が難航した交差点もあった。
それでも 応じてくれて、車の流れがスムーズになって よかったと思う。

☆ 現在の住宅地図で見ると、当時 想定した以上に "信号機" が多いのが 目についた。




お名前
メール
タイトル
URL
画像添付


削除キー ( 記事を削除する際に使用 )
文字色