もぐらもち新聞
| トップに戻る | 検索 | アルバム | 管理用 | ▼掲示板作るならRara掲示板 |

『己卯記行』発行・記念講演
もぐらもち 投稿日:2015年02月09日 23:01 No.73
1年がかりで解読・入力・編集に努めてきました『己卯記行』を2月末に発行します。
『己卯記行』は松浦武四郎の明治12年の77日間に及ぶ西日本旅行の記録日誌です。
亡児「いし」の日牌を高野山に納める目的もあったので、妻とうとの夫婦旅でした。
明治20年まで続く年数十日の西日本旅行の第一弾です。
今まで刊行されずに稿本のままになっているのを惜しみ、毎年1冊ずつ発刊しています。

発行記念の講演会を開催しますので、関心をお持ちの方のご来場をお待ちしています。


Re: 『己卯記行』発行・記念講演 もぐらもち 投稿日:2015年02月10日 22:38 No.77
今朝は今冬一番の冷え込みだとか、負けてなるものかと着ぶくれて2時間ほど散歩してきました。
終わってしばらくポコポコ気持ちよかったです。

上記講演のレジュメ作りを始めました。
ちょっとくどいかなと作り直しも検討中。


Re: 『己卯記行』発行・記念講演 くま 投稿日:2015年02月12日 19:48 No.78
こんばんは。

講演まであとひと月をきりましたか。
興味があるのはやっぱり大台登山でしょうか。それにしても、亡くなる前の年まで旅や登山をしていたのですね。

11日は暖かかったですね。迷池界隈でしたが、風も殆どあたらず、春のような気候でした。稜線の雪は少なかったですが、迷池あたりはしっかり残っていました。

それとは別に、少し前になりますが、意外なビューポイントを教えてもらいましたので写真を張っておきますね。
季の座の奥から整備された遊歩道を進んでいくと、びっくり仰天、立派な建造物。その上から見える海のきれいなこと!朝日も、夕日も見えるのではないかな?
そのまま進むと、海岸の手前で進入禁止の看板があるようですが、海岸に降りれるようです。
中部国際空港の土砂をとった削られた山肌と土砂を海まで運ぶレーンが、美しい海岸と海にそぐわない違和感がありましたが。
私たちは反対からまわってきて、山道を歩きながらなので遊歩道すべてを歩いたわけではないのですが、こんな立派で展望のいいコースが身近にあったなんてびっくりでした。
遊歩道途中からは別の海岸にも下りられます。この海岸では、芦浜でみたことのない可愛い貝殻もいくつか発見できました^^
またぶらっと行こうと思ってます。


Re: 『己卯記行』発行・記念講演 くま 投稿日:2015年02月12日 19:49 No.79
追加です。

Re: 『己卯記行』発行・記念講演 もぐらもち 投稿日:2015年02月14日 14:57 No.80
くまさん、こんにちは。
すてきなビューポイントを教えていただき、ありがとうございます。
このあたり、昔は孫太郎と言っていたところですね(今もそういうのかもしれませんが・・・)
孫太郎とは渡り鳥のカンムリウミスズメのことだと聞いて、探しに行った事があります。
見つかりませんでしたが、海岸線はあちこち見て回る事が出来ました。
ただ最後のお写真のところは心当たりがないので、探してみる価値はあるかなと思いました。
もっとも浜に降りることができるかどうか問題です。

空港建設の埋め立てのため山が削られたという話ですが、何かむなしい感じがします。
自然をこのように犠牲にしてまで人間の利便を計らなければならないものか、と荒れた山肌を眺めながら思ってしまいます。

今日は講座日なので、西風に乗ってエッチラオッチラ記念館までいってきました。
2/22の「武四郎まつり」の際、展示物の説明を我が会のメンバーにしていただくのでその予習をやりました。
その中で説明に一番力が入ったのがこの図面です。
嘉永7年の春、下田にやってきた米ミシシッピー号に武四郎は幕府役人の下役としてもぐりこんでこの図を描いています。
見つかれば没収されるにちがいなかったはずです。取材姿勢に現代のジャーナリストかルポライターのような一面を感じるところです。

その2月前、吉田松陰はこのミシシッピー号に乗り込んで密航を企みましたが、失敗に終わっていました。


お名前
タイトル
画像添付


削除キー ( 記事を削除する際に使用 )
文字色