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伊那下の和歌 (へ)
山人
投稿日:2011年08月25日 12:00
No.48
【Home】
有義
津幾立之
安免乃美者之良
與路徒世耳
宇古加怒國楚
於不也之末久仁
つきたてし
あめのみはしら
よろつ世に
うこかぬ國そ
おふやしまくに
佐伯 有義(さえき ありよし、慶応3年10月(1867年) - 昭和20年(1945年)9月25日)は、富山県出身の神職、神道学者である。
慶応3年(1867年)10月、代々立山雄山神社の祠職を勤める佐伯有久の子として、富山県中新川郡立山村に生まれる。明治15年(1882年)上京して皇典講究所へ入学、同20年(1887年) に同所を卒業して、『古事類苑』の編纂等に携わり、同25年(1892年)宮内省掌典職を拝命、同28年(1895年)には気多神社(現気多大社)の宮司に任官、同38年(1905年)帝室制度調査局から「皇室諸令附式」の起草を嘱託され、同45年(1912年)六国史校訂材料取調掛、大正元年(1912年)大喪使事務官、翌2年(1913年)大礼使事務官を歴任し、同14年(1925年)に勅任待遇を受け、翌15年(1926年)従四位に叙される。昭和2年(1927年)に國學院大學の講師、同11年(1936年)に同教授となり、その間に無窮會東洋文化研究所講師も兼ねながら、特殊祭儀委員、礼典課長事務取扱を経て、同18年(1943年)学位論文「古代における朝儀の祭祀につきて」で國學院大學の文学博士号を受けた。昭和20年(1945年)9月25日、郷里富山での疎開中に没す。享年79。
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