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どうしたらいいのか分かりません
K 投稿日:2021年07月03日 23:16 No.1485
はじめまして。
私は、自分の記憶、言っていること、考えていること、感じていることが全部嘘のように思えて、自分のことなのに確信が持てません。昔の私が、辛い、死にたいと感じていた出来事も本当は嘘で、私が勝手に想像して作り上げているだけなのではないか、全て私の妄想なのではないかと疑って、自分を裏切っているみたいで苦しいです。

何が辛かったのか詳しく思い出すことはできないのですが、それを思い出せない、忘れてしまった自分が許せません。昔の私(小・中学生の頃)は、この死にたい気持ちも時間が経ったらきっと全部忘れてしまうだろうなと思っていたので、辛かった出来事を全てメモして、忘れないように、いつでも見返して思い出せるようにしていました。
ですが、自殺しようとして身辺整理をしたとき、メモは全て捨ててしまいました(大学生の頃)。それから、メモがないので何が辛かったのか具体的に思い出すことができなくなりました。

そんな私を昔の私が許していないと感じ、死んでいないことが昔の私への裏切りのように思えて、早く死なないといけないと思っています(私が私を許すのは、私が死んだ時だけだと感じています)。
また、高校生の頃から自傷行為をしているのですが、傷がないと死にたいと思っていないみたいで自分が許せないので、切った部分が治ってくるとまた切らなければいけないと思ってしまいます。私は、死にたいと思っていることが嘘じゃないと自分自身に証明するために死にたいです。

過去に1度だけ、大学の先生に死にたいと相談したことがありますが、私じゃない自分が話している感じ、そんなこと言いたくないのに私はただ聞いているだけで話せないという感じがしました。相談に行く前は「誰かに言うなんて絶対に許さない」「余計なことするな」「お前は黙って言うことを聞いてればいいんだ」とずっと自分に罵倒されている感じや『行ってもどうせ私は話せない』『違う私が当たり障りのないことを言うに決まっている』と感じていました。
今も「早く死ね」など自分で自分を罵倒する声が聞こえます。聞こえると言っても、実際に声が聞こえているわけではなく、自分の思っていることが脳から耳に伝わって、耳の内側で反射して、あたかも耳の外から入ってきたかのような感じで再び脳に伝達されている感覚です。

こんな風にどんな症状があるのか書いていますが、自分は何か精神的な病気なのかなと思い、症状などをネットで調べていたので、本当はそんな症状はないのにそこで見た症状が自分にあるように演じているのではないか、もしかしたら全部私の妄想なのではないかと思い、誰かに話すのはためらっていました。
ですが、来月で24歳になってしまうので、そろそろ本気で死なないと、早くしないと、どうしようとすごく焦っています。まさか自分がこんな年になるまで生きているなんて思っていませんでした。なので、なるべく早くどうにかしたいです。

そこで、精神科を受診したりカウンセリングを受けてみようかなという気持ちになったのですが(死にたいくせに矛盾していて変ですが)、

・死にたいと思うことが辛いのではなく、死ねないことが辛い
・日常生活には特に支障がない
・治療して死にたい気持ちがなくなってしまったら死ねなくなるので困る
・死にたいくせに生きようとしているみたいで自分が許せない

などの理由から、積極的に治療をしたいとは思っていません。それなら行く意味はないと思うのですが、自分の症状が何なのか専門家の方の見解を聞きたいのだと思います。もし何かしらの病気であれば、私が死にたいのは嘘ではないと安心できるのではないかと思っているため、行ってみたいのだと感じます。ですが、治療する気はないのに精神科やカウンセリングに行ってもいいのかな?と気が引けてしまいます。

長々とまとまりのない文章を書いてしまったのですが、結局何を相談したいのか、どうしたいのか、どうしたらいいのか自分でもよく分かりません。申し訳ありません。


矢野 投稿日:2021年07月07日 01:16 No.1486
悩んでいらっしゃることは、トラウマ関連の症状だろうと思われます。いくつか、症状として切り出せる部分を列記してみます。

>自分の記憶、言っていること、考えていること、感じていることが全部嘘のように思えて、自分のことなのに確信が持てません。昔の私が、辛い、死にたいと感じていた出来事も本当は嘘で、私が勝手に想像して作り上げているだけなのではないか、全て私の妄想なのではないかと疑って、自分を裏切っているみたいで苦しいです。

この部分は、離人感の一つの表現です。
特に、重度なトラウマを持っている方では、このような訴えが出てきます。



>何が辛かったのか詳しく思い出すことはできないのですが、それを思い出せない、忘れてしまった自分が許せません。

この部分は、解離性健忘だと思われます。解離性健忘は、現在も記憶障害が起こっているという意味でも使いますが、過去のトラウマ記憶が抜けている場合にも使います。
また、忘れてしまった自分が許せないという点も重要です。許せないというのは、その部分にアイデンティティに関わる何らかの記憶があるからではないでしょうか?
このような、状態は、トラウマを持っている方に多いです。



>自殺しようとして身辺整理をしたとき、メモは全て捨ててしまいました(大学生の頃)。それから、メモがないので何が辛かったのか具体的に思い出すことができなくなりました。

この部分から、苦しかった状態は、小学校から大学生の頃まで継続して起こっていたと考えられます。そして、このようなある一時点で、記憶が途切れることもあります。典型的な症状は、『気づいたら、大学生になっていた』『自分の人生は高校生から始まっている』というような訴えです。



>また、高校生の頃から自傷行為をしているのですが、傷がないと死にたいと思っていないみたいで自分が許せないので、切った部分が治ってくるとまた切らなければいけないと思ってしまいます。私は、死にたいと思っていることが嘘じゃないと自分自身に証明するために死にたいです。

この部分が、非常に今の苦しみの根幹にある部分だと思います。なぜ、このような気持ちになるのかを治療の中で整理していくと良いと思います。



>私じゃない自分が話している感じ、そんなこと言いたくないのに私はただ聞いているだけで話せないという感じがしました。

この部分も、解離や離人症という症状になります。



>今も「早く死ね」など自分で自分を罵倒する声が聞こえます。聞こえると言っても、実際に声が聞こえているわけではなく、自分の思っていることが脳から耳に伝わって、耳の内側で反射して、あたかも耳の外から入ってきたかのような感じで再び脳に伝達されている感覚です。

小さい頃からのトラウマがあると幻聴やフラッシュバックのような声が聞こえます。幻聴として自覚されることもあれば、このように自分の中に別の自分が響いているような感覚として知覚する方もいます。



>本当はそんな症状はないのにそこで見た症状が自分にあるように演じているのではないか、もしかしたら全部私の妄想なのではないかと思い、誰かに話すのはためらっていました。

妄想ではないですし、『妄想かもしれない、自分が演じているだけなのかも』と自分のことを評価していることのほうが、症状めいたことになります。これは、トラウマの一つの症状である「自責感」の一つの表現とも言えます。



>・日常生活には特に支障がない

この点が結構重要で、重度のトラウマを負っている人も、生活に支障がないことが多いです。
正確には、支障が本当はあるけれど、持ちこたえられているのです。


>・死にたいと思うことが辛いのではなく、死ねないことが辛い
>・治療して死にたい気持ちがなくなってしまったら死ねなくなるので困る
>・死にたいくせに生きようとしているみたいで自分が許せない

この3つは、治療上、とても重要なことになります。
『自分が死ぬことによって、自分がやっと許せる』ということは、それほどまでに、自分を許せなくなる何かが起こったのだろうと思います。
そして、治療をしようとすることは、「自分が死ぬこと」から離れていくことになるために、治療をするかしないかで葛藤するという状態になっています。この葛藤状態、自責的な状態こそが、トラウマ関連の症状そのものになります。

治療をする気がなくても、一度、精神科やカウンセリングに行ってみて下さい。
むしろ、治療をしようと思い立って、治療にいくよりも、「ちょっと、試しに行ってみるか」位の感覚が良いと思います。
急に治療をしようと思ってしまうと、その反動で「罪悪感」が強まります。
今の自分に起こっていることを詳しくしるために、専門家の意見をきいてみようくらいの距離感がちょうど良いと思います。


K 投稿日:2021年07月09日 05:02 No.1488
お忙しい中、お返事をくださりありがとうございます。

先生のお返事を読んで、なんだか認めてもらえたような、少し救われたような、そんな気がしました。

本当は、もっと詳しく説明したいことやお聞きしたいことがあるのですが、それはきちんと精神科やカウンセリングに行ってやるべきなのかなと思います。
説明したい、意見を聞きたいという思いがここで満たされてしまったら、私はきっと精神科やカウンセリングには行かないような気がします。

近くの病院はどこも電話で予約しなければならないので、電話が苦手な私は勇気が出ないのですが、行ってみようかなという気持ちが変わらないうちに、頑張って予約をしようと思います。

拙い文章でお手を煩わせてしまったかと存じますが、ご意見をお伺いすることができて良かったです。
ありがとうございました。


K 投稿日:2021年11月07日 14:51 No.1544
お久しぶりです。
あれから初めてカウンセリングを受けに行きましたが、4回ほど行ってやめました。

当たり前かもしれませんが、カウンセリングの内容だけではなく、カウンセリングの場自体が人を生かすために存在しているのだと強く感じたからです。

私は死ぬことを望んでいるため、死にたい理由を解決することではなく、死ぬ方法や死ぬためにできることについて話したいと思っていました。

実際にカウンセリングを受けてみて、分かってはいたことですが、どうしても生かそうとしてくる感じ、どうしたら生きやすくなるかという方に話を持っていく感じがして耐えられませんでした。
死にたい自分が、人を生かそうとする場にいることが場違いのように感じました。

カウンセリングに行って死ねるわけでもないし、死ねるようにアドバイスをくれるわけでもないし、死にたい人が行くところではないと思いました。
では、死にたい人はどこに行けばいいのでしょうか。
死にたい人は痛くても苦しくても怖くても頑張って自分で死ぬしかないのでしょうか。

だったら死ねば?って感じなのですが、死ぬ際に感じる苦痛を想像すると怖いです。
ですが、このまま死ねずに生きてしまう自分を想像すると不快で、どうしても許せなくて死にたいです。
死ねないというのは言い訳に聞こえるかもしれませんが、死にたいのに死ねなくてもうどうしようもありません。


矢野 投稿日:2021年11月08日 22:23 No.1546
死にたいことを望んでいて、死ぬ方法や死ぬためにできることを話したいと思っていたのに、そうではなかったのですね。
どうしても、治療者というのは、「生かしたい」と思う姿勢が強く出てしまうことがあります。
そうすると、Kさんが望んでいる会話にならなかったり、Kさんの気持ちに共感してくれないという感じになると思います。
これは、治療者側のエゴが出てしまったと思ってよいです。

死にたい気持ちがある一方、死ぬ際に感じる苦痛を想像すると怖いというのは、そうだと思います。
それが理由で、積極的に死ぬことができないのですよね。

カウンセリングだと、自分の思っていることが自由に話せないかもしれませんね…。
本来は、安心して、誰からも否定されずに、死にたい気持ちを話せることが大事です。

https://trauma-therapy-kodama.com/
にて、「死にたい気持ちを語る会」
という会を知り合いがやっています。もしよければ、連絡をとってみてください。




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