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掛川の柴田と申します。 QGISを駆使して城館の分布や特徴を一枚一枚の図面に整理されており、非常に興味深く発表を拝聴いたしました。時間と手間をかけてデータの整理をされたことと思います。 さて、初歩的な質問となってしまうのですが、レジュメの1頁目で城郭の全長と比高について検討されていると思いますが、全長についてはどのような方法で測り出されたのでしょうか。例えば、尾根上に細長く続くような城郭が存在した場合、今回の指針で見れば超大型城郭に該当しても、各城郭の機能から考えればどうなるのかといった話にもなると思います。(この点については、本文中で和田さんも触れておられたように思います) 私自身の感想になってしまいますが、和田さんが今回用いておられる検討方法は、研究者が無意識に感じていることを数値や地図という形で視覚的に示されていることから、他の研究者も再検証がしやすく、より議論が進展するように思います。私自身も多くのことを学ばせていただきました。ありがとうございました。 |
> 田嶌貴久美様 ご質問ありがとうございます。 それでは私のわかる範囲でお答えします。 まず各陣城の土塁の高さ(※実測値)についてお答えします。城内側で約0.5m程度、城外側では約1.0〜約2.0m程度です。総社市教育委員会による測量調査成果によると、小陣屋跡のものが最も高く、約4.2mを測ります。ですがこれは城域北の鞍部からの高さであるため、土塁そのもの高さではありません。ここでも土塁そのものは高さ約1.0m程度であるようです。 発掘調査の行われております千引砦、名越砦の土塁の高さはそれぞれ0.5mを測ります。後世の流出を想定しても、最大高は城外側で2.0m、城内側で1.0m以下であったと考えます。 また、塹壕状に見える施設の深さについてお答えします。こちら(※目測値)は約1.0m程度でした。後世に埋没している可能性と周囲の地形と併せて勘案する限り、最大でも深さ約1.5m程度であったと考えます。 次に、これら土塁と塹壕状施設の機能についてお答えします。すでに述べたように土塁の高さは遮断施設としては十分ではありません。ただ、土塁上に塀や柵が設けられていた可能性はあります。 また、土塁の類線には随所で折りが見られます。このことから、城内側から横矢をかけることが可能となっています。ですが、土塁の高さが十分でないことから、有効に機能し得たかどうかは疑問があります。 一方、塹壕状施設については、文字通り塹壕として利用することは可能であったと考えます。 総体として、備中高松城の戦いにおける土塁囲みの陣城の防御性は低いと言えます。こうしたことから、これら土塁は陣城の防御力を高めるよりも、監視所、指揮所、駐屯所をそれぞれ区画することに主眼があったと考えます。 また、土塁囲みの周囲には不明瞭な削平地が見られることが多いです。こうした削平地にも兵を駐屯させていたのでしょう。そして攻撃時、あるいは防御時には複数の陣城から兵を出して、これに当たったと考えます。 小型の陣城を採用したのは、兵を少数の単位にわけることで、機動性を高める狙いがあったものとも推察しています。 お答えになったかいささか不安ではありますが、以上思いつくことを連ねてみました。 この度は私の動画をご覧いただき、誠にありがとうございました。今後ともよろしくご指導をお願いいたします。 和田 |
> 柴田慎平様 ご質問をいただきありがとうございます。 全長の測り方ですが、単純に縄張りの見られる範囲の最大長を測りました。この方法を採用したのは、別の方が検証しやすいと考えたからです。 >例えば、尾根上に細長く続くような城郭が存在した場合、今回の指針で見れば超大型城郭に該当しても、各城郭の機能から考えればどうなるのかといった話にもなると思います。 仰られるとおりです。報告中で述べたとおり美作国・陣山城は確かに全長1,800m近い城です。しかし、幅2.0〜5.0、長さ5.0〜20.0m程の小型の曲輪を、尾根筋に沿って無数に連ねた縄張りです。防御施設は部分的に土塁が見られる他は、ほぼ切岸のみです。この城は天正8年に毛利方が宇喜多方の城であった大寺畑城を攻略するための陣城だとされています。 単純に大きい城が本城となりうる縄張りを持つのではありません。その実態は多様であったと思います。報告中でも述べたとおり、単純に数値を見比べるのではなく、対象となる城の縄張り評価を併せて行うことが肝要です。こうすることで、単純な要素を測る「作業」ではなく、複雑な諸要素を勘案する「検証」が可能になると考えます。 何やら偉そうな語りになってしまいました。申し訳ありません。私はまだ城郭の勉強を始めたばかりです。ですので今後ともよろしくご指導を賜ることができましたら幸いです。 和田 |
和田様 兵庫県の高瀬と申します。地図上のカーネル密度分析や城郭構造の記号標示などの手法を駆使し、岡山県及び備前備中国境の城郭の特徴を可視化された和田様の発表には驚きました。繰り返し講演動画を視聴し、とても興味深く勉強させて頂きました。 さて、少々本題から外れた質問になるのですが、平成25年から行われた岡山県の中世城館の悉皆調査では、対象1,423城のうち、現認されたものが1,126城との報告でした。差が297城ですが、これらはどのようなものだったのでしょうか。 城郭の伝承地だか実在しなかった可能性が高い。調査したら城郭類似遺構だった。すでに破壊されて確認不能‥‥ といったことを想像していますが、差異の主な理由とそのだいたいの内訳をご存知でしたら、ご教示頂けませんでしょうか。 高瀬暁男 |
和田様 本当にお疲れさまでした。 岡山県の城を徹底的に皆さんで歩かれ、縄張り図を作り、それを様々な手法で分析されており、大変迫力のあるご報告ですね。素晴らしいです。 ご質問です。 美作国に土塁囲みの城が多いということが、レジュメC-9ページの分布図などでも良くわかりました。 宇喜多、毛利氏間の戦いのでも、土塁囲みを備える陣城が用いられたとのことですが、一方、C-9ページの分布を眺めていると、何となく美作国全体に普遍的に分布されているように感じます。宇喜多氏が戦いの中で土塁囲みを増やしていったということの他に何か土塁囲みが多い理由が何かありませんでしょうか。 もう一つですが、今回は土塁と畝上空堀群にフォーカスしての分析をされておられますが、横堀、虎口などのデータ収集も当然されていると存じます。まだその後発表は今後のお楽しみなのかも知れませんが、何かこういう土塁、畝上空堀群以外のパーツで傾向が分かるようなものがあったらご教示下さい。 |
> 高瀬暁男 さんへ >城郭の伝承地だか実在しなかった可能性が高い。調査したら城郭類似遺構だった。すでに破壊されて確認不能‥‥ といったこ >とを想像していますが、差異の主な理由とそのだいたいの内訳をご存知でしたら、ご教示頂けませんでしょうか。 端的に言って所在地の明らかとなった城が1126城で、所在地の不明な城が297城であるということです。 所在地の明らかな城については報告書に記載されております城館一覧表に遺構の残存状況、伝承の有無等、詳細が記入されております。 また、所在地の不明な城の一覧も、国別に掲載しております。「あの城が載ってない!」という場合、こちらに掲載されている可能性が高いです。 ただ、この不明城館も今後の調査の進展で所在が明らかになる可能性は十分にあります。私自身、今後も調査を続けて発見に努めたいと考えています。 ちなみにすでにいくつかの城について、候補地を発見しております。もし所在が明らかとなれば、適宜ご報告ができたらと考えています。 それでは引き続きよろしくいたします。 和田 |
和田です > 田崎茂様 >美作国に土塁囲みの城が多いということが、レジュメC-9ページの分布図などでも良くわかりました。 >宇喜多、毛利氏間の戦いのでも、土塁囲みを備える陣城が用いられたとのことですが、一方、C-9ページの分布を眺めている >と、何となく美作国全体に普遍的に分布されているように感じます。宇喜多氏が戦いの中で土塁囲みを増やしていったということの他に何か土塁囲みが多い理由が何かありませんでしょうか。 美作東部では、天正4年〜7年にかけて、毛利氏と宇喜多氏、上方の織田氏、上月城の復興尼子氏などの諸勢力から調略の手がのび混乱状態となりました。こうした情勢下、宇喜多直家は天正5〜6年にかけて、三星城の後藤勝基、矢筈城の草刈影継を始めとする美作東部の諸領主と戦いを繰り広げました。 ここでは詳しく論じませんが、美作東部の土塁囲みの陣地は、これらの戦いに関連している可能性を想定しています。中央部から西部にかけては、天正7年から12年まで続く岩屋城、医王山城、沖構での毛利氏・宇喜多氏の戦いに関連している可能性が高いと考えます。 なお、土塁囲みとはいえ、面積、縄張りは多様で、その築城時期や機能の詳細については立地等を勘案して考察を深める必要があると考えています。 >もう一つですが、今回は土塁と畝上空堀群にフォーカスしての分析をされておられますが、横堀、虎口などのデータ収集も当 >然されていると存じます。まだその後発表は今後のお楽しみなのかも知れませんが、何かこういう土塁、畝上空堀群以外のパ >ーツで傾向が分かるようなものがあったらご教示下さい。 報告中でも述べましたが、横堀は美作国と備前・備中国境に多く見られます。また、岡山県内の城は虎口の採用が顕在的とは言えません。確実な枡形は天正10年までは見られず、その後の天正12年の岩屋城の戦いにおいても、大半の陣城の虎口は平入りとなっています。虎口が十分に発達しないことは、岡山県内の城の特徴と考えます。 一方で、備前国の黒山城では外枡形が、備中国の南山城では門を組み合わせた専用の虎口空間が見られます。これらの評価を改めて行う必要があるでしょう。 以上です。ご質問ありがとうございました。 |
和田 様 北九州市の中西と申します。 悉皆調査の成果をもとに、QGISを用いて分布を地図情報の上に落とし解析する方法を知る機会をいただき、勉強になりました。 岡山県下の中世城館の場合、どの年代に位置づけるかを考えることが難しい訳ですが、今回の作業を通して、個別に関連史料から年代比定を行う作業と別に、規模や技法の有無を機械的に地図に落とし込むことで得られる「分布傾向」から、築城(改修)契機を何となくつかむ材料になることがわかり、大変意義ある報告と受け止めました。 機会があれば、今後、QGISを解析に用いてみたいと思いました。 QGISは、オープンソースのGISソフトですが、業務で使用されているのか、個人で使用されているのか、また、使い勝手や悉皆調査データを取込む工夫などがありましたら、ご教示ください。 |
> 中西義昌 様 ご質問ありがとうございます。 はい。業務と個人研究の両方で使用しております。 QGISは使用者の人口が多く、Web上にも良質な取り扱い説明書が多数存在しています。また、解説書類も多くで回っていて、導入の敷居の低さが最大の魅力です。 今回私が行った分析には一部外部プラグインが必要なものがありますが、概ね基本機能だけで事足ります。 自分だけ楽しんでいてもいけませんので、私が行っている分析方法についてはその手順をまとめて文章にするつもりです。 肝はデータベースの作成ですが、これも本格的なデータベースソフトではなくCVSファイルを基にしています。このCVSファイルには城館のID(報告書掲載番号)、名称、所在(緯度経度と平面直角座標)、比高、全長等のフィールドを設けて一覧にしています。このデータベースの作成作業が一番大変でした。 CVSファイルならデータベースの知識がなくても、Excelで簡単に作成できます。 将来的にはこうしたデータベースについても公開できたらと考えています。リレーショナルデータベースを使えば縄張り図や撮影した写真も併せて公開できるので、そうしたことについても検討中です。 データベースを共有することで、多くの方により再検証が可能になります。このことにより研究の深化を測ることができたらと考えています。 わたしはこうした検討を始めて日が浅いので、皆様からのご意見を承ることができましたら幸いです。 それでは引き続きよろしくお願いします。 和田 |