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ズックのランドセル

1: KZ:2022/08/30 20:34 No.72
私の思い出の 最初のランドセルは ズック製のものだった。形は現在のそれとほぼ同じなのだが  素材は皮革ではなく ボール紙の芯に薄く固いズックを貼った いわば紙布製とでもいうものだった。
昭和30年代の初めくらいのことだが それでももう かなり珍しい代物だった。クラスにもう一人 いたかいないか。普段はとても質素な身なりをした農家の子などでも(田んぼでもそのまま使えるような黒いゴム短靴などを履いていた) 流石に新入学のランドセルばかりは 新しい革製のを背負っていたと思う。
もちろん ズックのは とても安かったからだ。おそらく革製の2、3割くらいで購入できたのだと思う。その頃うちが町の雑貨屋をしていたので、たぶん出入りの卸業者からそういう安価な代用品を すぐに仕入れることができたのだろう。店裏のヤードに 同じものが幾つか並んでいた記憶がある。
母親は その雑貨屋の女主人で 普段からそこそこ派手な身なりをして 負けず嫌いな性格の女だったから、せがまれれば多少の無理をしてでも 長く使うランドセルくらいは 他の子と同じ 人並みの革製のを買ってくれただろう。子どもに贅沢は不要、小学生のカバンなどごく質素なものでいい などと時代遅れの厳命をして おもちゃのようなズックのランドセルを末子に担がせたのは 病気上がりで吝嗇が身に染み込んだ父親の方だったと思う。
目にした最初から 子ども心にも いかにも魅力のない代用品だと思えた。それでもちゃぶ台の前で 新しい教科書やノート、ハンカチや絵の具やらを詰め込むと 新しい教室への思いが湧いてきて心は弾んだ。おそらくすぐ上の姉なども、同じような布製のランドセルを背負っていたから、子沢山のうちなどはこれで仕方ないのだろうと納得するしかなかったのだ。

けれども いざ学校に行ってみると、やはり教室で出会う他のみんなのランドセルは つやつやと綺麗で立派でカッコよかった。貧弱で、雨に濡れたら中まで滲みそうで 蓋の縁だけが申しわけのように薄い豚皮でかがってある我がカバンは… 異様に古臭くて、時代遅れの代用品そのものに見えた。近づくと埃臭くてなんだか恥ずかしくて とても情けなかった。どうしてこんなランドセルを クラスで自分だけが使わなければならないのだろう、見ているだけで泣きたくなるようだった。(低学年の頃 姉のお下がりの 腰の横が開くトレパンを穿かされたときも 同じ思いがした)
それでも 父親には 何も言わなかった。どうせ湯気を立てて目を三角にして怒られるだけだから。母親には一二度 その情けない思いを正直に訴えたと思う。けれども返事はなく あっさりと無視されたので、普通の革製を買ってもらえる可能性はゼロだということがはっきりとわかった。もうそれ以上は 何も言わずに呑み込んだ。

それでも一二年が経って それからは凹んだ記憶は無い。たぶんそれなりに立派な悪ガキに成長して 革のランドセルにさして魅力を感じない程度には大きくなったのだろう。傷みが早く 所々が破れたズック製も カバンなんてどうせそんなものだという感じで 気に留める友達も もう誰もいなかった。
だから覚えているのは、その安物感、代用品感に心底打ちのめされた新一年生の初めの思いだけだ。それでも いわば生涯の凹みとして その哀しくやるせ無い落胆の思い出は 今もくっきりと残っている。
子どもは執念深い。その時に 父親の示した厳しい吝嗇は、のちに味わわせてくれた幾つもの恩恵があるにせよ、それ自体忘れられない深い記憶(傷)になっている。つくづく 子どもの心とて それはいと執念深い胸底の思いなのである。

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