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なぜ れいわなのか

1: KZ:2022/08/28 14:00 No.70
https://twitter.com/makotoaida/status/1563112908631920640?s=20

政治の現況は まことにその通りだろう。ただし 小なりといえども希望の火 れいわ新選組の存在は忘れない方がいいと思う。
なぜか? ここには強固な現場主義、当事者主義、足元主義が存在しているからだ。

かつて吉本隆明さんは その革命的な『転向論』の中で 自らの寄って立つ足元をふり捨てて「上昇」することが 思想を死に追いやる〈転向〉の本質なのだと喝破した。全ての自信を失ってどん底に喘いでいた若い日々、苦し紛れにこの作品を読んで 私は本当に目を洗われ、胸が震えた。人それぞれが真に(嘘偽りなく)寄って立つ自分の足元、それを卑下せず目を背けず、その中からこそ、どんなに貧弱に見えようとも自身の考え、自身の思想を育んでいくこと。それしか真っ当な、ぶれない思想は成り立たないのであり、それ以外は全て、見せかけの上昇主義に幻惑され、例えば巨大なファシズムの前では易々と根こそぎにされ、転向という敗北に収斂していくしかないというのである。

☆ どんなに迂遠に見えようと、山本太郎は自身の寄って立つ最初の場所を、ぶれない根拠として立っているように見える。反戦、反原発、期ごとの炊き出しへの参加、ほんとうの民主主義を求めて国会内であばれること(自称 永田町の野良犬)、徹底した街頭主義、なによりも当事者の生の声を最大限尊重すること…
だからこそ見やすい「効率」のみを重視する新自由主義に敵対し(反「生産性」主義)、障碍者(いちばん非力な層であっても)の政治参加は排除されることなく実践されている。また、今般の水道橋博士の選挙参加でも、YouTube で生配信された通り、まさしく街頭演説の現場で、維新松井による卑劣なスラップ訴訟への対策を訴えた水道橋に対して、「当事者がやればいい、それが一番有効だし、そのために立つ気なら れいわ新選組は立候補を全面支援しますよ」と、まさしくその場で決めてみせた。
先に述べた現場主義、当事者主義、足元主義が根本から貫徹していない限り、こんな離れ業は誰にもできないと私は思った。

☆マスコミのいい加減な(中立を装った)電話調査で、れいわの支持はもはや頭打ちだと 度々報じられている。未だ小さな政党でPRの機会が少なく、逆に権力と連んだマスコミ上層部の、ためにする無視もあって、確かに発表される数字は上がっていないかもしれない。けれども、今般の統一教会事件の広がりを見てさえ、国民の常識が通じる数少ない政党がどこなのか、もはや誰の目にも事態は明らかになっているのだ。人々の〈智〉がじわじわと広がって擬制を乗り越えていく限り、たとえ今は小さく見えても、希望の火が消えることなどあり得ないと私は考えている。

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