投稿内容を送信しています。
画面を閉じずにそのまま、お待ちください...
%
☆
https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20230126-00334507
こうした論をよくわきまえて 自立した外交を創っていかなければならない。もちろん 米国植民地の代官政権に出来るわけがないけれど。 革命を❗️
☆糸井重里
いま リモートを考える。
今日のダーリン 1/27
『・コロナの世界的な感染流行があって、
働き方についも、いろんな考えがやりとりされた。
いやぁ、緊急事態宣言のころとかすごかったものなぁ。
リモートを軸にたくさんの方法が試されて、
建物はあるけれどずっと空っぽという会社もあった。
いまでもあのときの表参道の人通りのなさとかを、
「歴史的なことだったんだなぁ」と思い出す。
電車に乗って通勤すること自体がリスクであったり、
配達された届け物も人どうしが会わないで受け取るとか、
とにかく人の動きを制限せねばという状況で、
急速に「働き方改革」の激しい実験が続けられていった。
コロナがなかったら、論議につぐ論議ばかりで、
実際にはほとんど進まなかったようなことが、
現実に、一気呵成に広がっていった。
「ほぼ日」も、そのときあたりから、グラデーションで、
「原則的に出社しない」からはじめて、
「必要があったら出社するが届けを出し最小限にする」、
「出社かリモートかをじぶんで決めてその情報を共有する」
という感じで、少しずつ変化させてきた。
いまも、そのときの状態が続いているが、
リモートの割合は少しずつ減ってきているようだ。
いまになると、同じ空間に集まって顔を合わせ、
ことば以外のコミュニケーションをしながら働くことが、
ずいぶん大事だったと語られることが多くなっている。
揺り返しというか、コロナ前に戻りつつある感じだ。
でも、あのころ、メディアや世論の大きな流れは、
コロナのおかげで「無駄な出社の義務」がなくなって、
新しい働き方が一気に根付くのではないというものだった。
これまでが、どれほど旧態依然の非効率なやり方だったか、
それを語ることが常識のようになっていた。
感染を広げないために家にいるという理由と、
「働き方として、在宅を選ぶ」という理由が重なって、
働き方の「大改革」はあまりにも一気に加速した。
あのときに、もっと「リモートのいいところ」について、
意識的に、しっかりと勉強しておいたほうがよかった。
絶対に「いいところ」もあるし、そうでないところもある。
ほんとは「リモート」も、道具であり「使いよう」なので、
どう使うのがいいのか、ちゃんと考えたい昨今である。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いい感じでリモートを混ぜるのが、この先の働き方になるか。』