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「台湾有事」は誰のためのものか

1: KZ:2023/01/27 23:40 No.209
https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20230126-00334507

こうした論をよくわきまえて 自立した外交を創っていかなければならない。もちろん 米国植民地の代官政権に出来るわけがないけれど。 革命を❗️


☆糸井重里

いま リモートを考える。

今日のダーリン  1/27

『・コロナの世界的な感染流行があって、
 働き方についも、いろんな考えがやりとりされた。
 いやぁ、緊急事態宣言のころとかすごかったものなぁ。
 リモートを軸にたくさんの方法が試されて、
 建物はあるけれどずっと空っぽという会社もあった。
 いまでもあのときの表参道の人通りのなさとかを、
 「歴史的なことだったんだなぁ」と思い出す。
 電車に乗って通勤すること自体がリスクであったり、
 配達された届け物も人どうしが会わないで受け取るとか、
 とにかく人の動きを制限せねばという状況で、
 急速に「働き方改革」の激しい実験が続けられていった。
 コロナがなかったら、論議につぐ論議ばかりで、
 実際にはほとんど進まなかったようなことが、
 現実に、一気呵成に広がっていった。

 「ほぼ日」も、そのときあたりから、グラデーションで、
 「原則的に出社しない」からはじめて、
 「必要があったら出社するが届けを出し最小限にする」、
 「出社かリモートかをじぶんで決めてその情報を共有する」
 という感じで、少しずつ変化させてきた。
 いまも、そのときの状態が続いているが、
 リモートの割合は少しずつ減ってきているようだ。

 いまになると、同じ空間に集まって顔を合わせ、
 ことば以外のコミュニケーションをしながら働くことが、
 ずいぶん大事だったと語られることが多くなっている。
 揺り返しというか、コロナ前に戻りつつある感じだ。
 でも、あのころ、メディアや世論の大きな流れは、
 コロナのおかげで「無駄な出社の義務」がなくなって、
 新しい働き方が一気に根付くのではないというものだった。
 これまでが、どれほど旧態依然の非効率なやり方だったか、
 それを語ることが常識のようになっていた。
 感染を広げないために家にいるという理由と、
 「働き方として、在宅を選ぶ」という理由が重なって、
 働き方の「大改革」はあまりにも一気に加速した。
 あのときに、もっと「リモートのいいところ」について、
 意識的に、しっかりと勉強しておいたほうがよかった。
 絶対に「いいところ」もあるし、そうでないところもある。
 ほんとは「リモート」も、道具であり「使いよう」なので、
 どう使うのがいいのか、ちゃんと考えたい昨今である。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いい感じでリモートを混ぜるのが、この先の働き方になるか。』

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