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『ファンキー・モンキー・ベイビー』

1: KZ:2023/01/13 20:53 No.203
『ファンキー・モンキー・ベイビー』
  詞 大倉洋一(ジョニー大倉)  曲 矢沢永吉

https://www.uta-net.com/movie/42688/

☆新設して一年目の25mプールだったが、盆地の冬の寒さは今よりずっと厳しくて 年を越えた頃には水面はガッチリと凍りついた。プールサイドもあちこち凍りついて もう誰もプールの付近には近づかない。校門横手のそこだけ 寒さが文字通り凍りついている。
ただ一人 校長の清水さんだけが その白く厚い結界を破った。数日前から どうも次郎長がスケートをしたがっているらしいという噂が流れていたのだが、本当にやると思ったのは 本人以外に誰もいなかった。

一月半ば過ぎ、午後の休憩時間、誰かが空に向かって叫んだ。見ろ 次郎長が氷に乗ってる!
階段下の部室を飛び出して われわれも一段上がった競泳プールのそばまで行ってみた。本当だった。機嫌良く 意気揚々と グレーの襟巻きをした次郎長が氷に乗って小さな楕円を描いていた。「いいぞーっ!」 誰かが囃すと さらに調子に乗って 器用にバックなどをして見せている。もちろん 滑りが上手いというよりも この寒空の下 負けずに一人で遊ぶその酔狂に 掛け声は飛んだのだった。

今こんなことをしたら えらく怒られることだろう。まして校長が勝手にプールで滑ったとなれば… でも まあ そんな時代だった。本名 清水次郎、すなわち次郎長だ。これも本人は案外気に入って 時に小競り合いにでもなると、俺は清水の次郎長だと 啖呵を切ったという。ほんとの話だと 映画班の先輩が言った。


☆二年の夏前だったか、恒例の教育実習ということで 東京の女子大生がひとり われわれの英語の授業に現れた。すらっとした立ち姿に整った顔つきで 綺麗な声のお姉さんだった。初見から さして上がる様子もなく 生意気な生徒たちに阿るでもなく 淡々と人柄と育ちの良さを滲ませてリーダーを読んでいた。何を教わったかは 全く覚えていない。けれども 色白な人がそこに立つだけで ずいぶん教室の雰囲気も変わるものだと感心した。つまりは 掃き溜めに鶴!
けれども予想通り 数回の授業で女史の持ち時間は終わった。残念だったが どうせ良いことは長続きしない。もう 諦めが先に立っている。
この学生が 実は次郎長の姪だったいうことを 後から先輩たちが教えてくれた。そんな面倒な高校に わざわざ来るもんですかね。私は不思議だった。呼んだのかもしれねえぞ 次郎長のことだから。そうかもしれないと私も思った。次郎長なら やりかねない。

☆月に一度くらい 月曜の朝が多かったが、古い講堂で校長の話があった。毎回 特に面白くもなかったのだが…ある時 いきなり次郎長が激怒したことがあった。鋭い語気で空気が震えて 流石の生意気どもも 一斉に下を向いて押し黙った。
前週の土曜日 野球部の公式予選試合があった。私は行けなかったのだが かなりの数の生徒が 応援に球場に駆けつけたらしい。ある私立校が相手で(今でいう 偏差値のかなり低い新設校だった)、結果は なんと完敗、それもかなりの点差をつけられたのだという。喜んだ相手の応援団は 声高らかに応援歌や校歌を歌って その日の喜びを爆発させた。こちらは意気消沈して黙って眺めていたのだが、頭に来たある一団が悔しまぎれに「頭で勝負してみろ」という野鄙な暴言を吐いたらしい。流石に応援団がすぐに抑えたのだが 新設校の応援席がこれを聞き咎めた。聞き捨てならないと激昂して こちらの応援団長に、そして引率していた顧問の教師にも厳重に抗議してきた。

週明け この話は次郎長の耳にも及んだ。
こんな恥ずかしい話はない、猛省してもらいたい。ことは学校の品位に関わる。負けて悔しかったら 死ぬほど練習して、野球で勝って返せ。お門違いの馬鹿を晒すんじゃない。そういう趣旨のことを 頭から湯気を立てて次郎長はがなった。

☆Tさんという英語の教師がいた。二年間くらい 私もその人の授業を聞いた。京大出で その教え方や英作文の実力は かなりのものだった。テキストで美しい文章に出会うと 不意に話をやめ その分厚い眼鏡の視線が遠くなった。

これも ある月曜日の朝、講堂で次郎長が紹介した。T さんは今日で学校を辞める、京都の大学へ行くそうだ。講堂が一斉にざわめいた。流石だな 京都に帰るんだな。
もう一度紹介されて 壇上で挨拶に立ったTさんは 急いで補足した。京都と言っても 来年新しくできる大学の英語教師です 大したことないのです。
そういう学校が京都にできることは 私などでも聞き知っていた。ただ この高校から受験するものは たぶん誰もいないだろう。
次郎長は わざと曖昧に言ったのだろうか? 若いTさんが ここの教職を捨てて陽の当たる場所に行く、それが面白くなかったのだろうか。素っ気ない紹介は そんなことを連想させた。

☆秋の文化祭の当日に 今年もやるぞ という噂が低く流れていた。学校側も用心している。そう簡単にできる筈はないのだが。
結果は… 連中は見事にやり遂げた。深夜 おそらく軽トラで 当校の重い表札を外して数キロを運び、丘の上の女子高の看板と掛け替える。運んできた向こうの看板を 今度は当校の表門に高く掲げれば作業は完了だ。意味不明の愚行だったが、俺たちは俺たちのやり方で交流を深めるのだという意思だけは ストレートに了解できた。

怒り狂った教頭が関係した各部を調べ 締め上げ、ついに今年の犯人を見つけ出した。上がったのは三人、いずれも現役の応援団員だった。
ポマードでテカテカにきめたリーゼントの団長が(わが映画班のM班長と同じクラスで かなり仲が良かった。ただ 同じ三年生といっても なぜか歳はM班長より二つくらい上だと聞いていた。たまに気が向くと階段下の部室にも顔を出したので この破格のおっさんのことは われわれもよく知っていた)、ついに校長室に呼ばれ、次郎長と二人 相対で長いこと話し込んだ。首謀の一人のみ 一週間の停学、あとの二人は厳重注意という処分にあいなった。最後は野郎とサシだ、お互い首をかけた… そんなことを 部室の柱を背にした団長は低い声で班長に語っていた。そんじゃあ アイス買ってきてくれや、話が一段落したところで 団長がポケットから小銭を出して言った。人数分な。受け取って なぜか私は一生懸命 表通りの菓子屋に走った。  ♪ 君は Funky Monkey Baby〜

翌年には校長がかわり(清水さんは引退した)、文化祭期間中は 若い教員たちが門前で寝ずの番をさせられて 両校の看板は無事に守られた。


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