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バーチャルの世界では幸福でも、現実では寝てるだけでは意味がない、という人も少なくないだろう。
しかし、現実の人間もいつかは死ぬ。すべては幻に終わる。
寝ているだけも、動きまわった人も違いは何もない。
バーチャルと現実の違いは、物理的に何かを残したかどうか、ということになるが、精神的なものやデータとして残すことができるのだから、
これもあまり変わらないように思える。
まあ、後始末があるので、中で死なずに、出てきてから死ぬのが理想ではある。
バーチャルの中から緊急呼び出しで救急車を呼ぶとか、簡単にできそうだし、これもたいした問題ではなかろう。
【現実世界も実は・・・】
バーチャル世界の負のイメージとして思い出されるのがマトリクスの世界。
だが、現実の世界もまた、マトリクスにでてくる「繭の中の眠り人」と
大差ないのではなかろうか?
例えば、ゲームをしているとき、その人はゲーム世界にいて、現実の肉体はたんなる障害物にすぎない。
読書も、漫画を読むのも同様である。
学習や事務仕事でさえ、本質的に同じことである。
そう、肉体労働や物理的工作活動をしている時を除いて、我々はバーチャル世界に生きている。
ただ、肉体の苦痛や疲労だけが現実につなぎとめているにすぎない。
苦痛だけが現実感をもたらしているのであって、実際には仕事も勉強も
仮想現実の中でしているのである。漫画やゲームだけでなく。
ということは、バーチャルの世界とは、現実から肉体的疲労や苦痛を
取り除いただけのものだと言えるかもしれない。
現実社会における我々の活動のほとんどは、実は幻想だったのである。
逆に現実とは、「残るもの」であり、プラットホームを共有しない
他人にも認識できる文物のことだと言えるかもしれない。
(だから同じゲームや漫画を知っている他人と出会ったとき共鳴する
バーチャルから現実のものにシフトしたのだ。その二人の間でだけだが・・・)
バーチャル世界で創りだされたものでも、現実にアウトプットできれば実在に変身する。
だから学習や事務仕事や小説執筆は評価され、ゲームや漫画を読むことは社会的評価が低い(そんなことばっかりやってないで勉強しなさい!と言われる)
読書はその中間だろうか。人間性を高めるというアウトプットがあるかもしれんが、「売り家と唐様で書く三代目」にもなりかねないから。
バーチャルの世界は実はすでに現実社会に入り込んでいるのだ。