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政府の隠蔽体質
尊王攘夷 投稿日:2023年03月21日 06:59 No.13018
【極秘だった悲劇の事件:対馬丸事件】


「お父さん、お母さん、助けて!」
「先生、怖いよ…死にたくない…」

今から約80年前、
幼い命がたくさん失われた、この事件を…


1944年8月22日、

日本がまだ大東亜戦争の
さなかにあった頃、
突然、その事件は起きました。

時刻は夜の10時過ぎ、
疎開する学童たちを乗せた対馬丸が
沖縄から九州に向かっている途中…

ボーン!ボーン!ボーン!

突如響き渡る爆発音とともに
海上は大きく揺れました。

そこには、まるで獲物が
罠にかかるのを待っていたかのように、

海面に浮上したアメリカの潜水艦が、
対馬丸に向かって何発もの魚雷を
発射していたのです。


(出典:wikipedia)

徐々に傾いていく船に、

「お父さん、お母さん、助けて!」
「先生、怖いよ…死にたくない…」

そんな悲鳴が、船上の
あちこちで響き渡りました。

しかし、その声も虚しく、
船はほぼ垂直に傾いた状態で沈没。

攻撃から船が沈むまで、
わずか10分ほどの出来事でした。

この事件で、
船に乗っていた学童や引率教員、
兵員ら1,788人のうち、
約1,500人の命が失われ、

しかも、その半分以上が
こどもたちでした。

ですが、この事件は“秘匿”とされ、
当時は、口にすることを禁ずる
命令まで出ていたのです。

なぜなら、この事実を知ると、
その後の疎開が滞ると思われたから…

そのため、この悲劇は
現在においてもほとんど
公にされていませんが、

実は、この事件が起きた数年後に、
遺族の方から“ある声”があがっていました。

「戦争に巻き込まれ、命を落としていった
 子どもたちの想い、最後まで助けてと
 叫び続けた彼らの想いを
 決して忘れないで欲しい。

 このことを日本の歴史に刻み、
 後世に伝えていくためにも、

 国のために命を落としていった
 兵士たちと同じように、
 靖國神社に祀って欲しいのです」

こうして、遺族らの強い想いは
国民政府に通じ、

1966年、子どもたちの魂は
坂本龍馬や吉田松陰など、
明治維新の英雄が眠る靖國神社へ
一緒に祀られることとなりました。

靖國神社というと、今ではA級戦犯など、
大東亜戦争の戦没者ばかりが
報道されていますが、

実は、この対馬丸事件のような、
日本のために命を落とした
子どもたちや民間人なども
祀られているのです。

しかし、今日のメディアは、

「軍国主義者を祀る靖國神社」
「靖國神社はアジア中の怒りの的」

…などが議論の的となり、
靖國神社の歴史や本質的な部分は
あまり重要視されていないようです。

その結果、 日本人として記憶しておきたい
靖國神社の重要な部分は伝えられずに、
ただネガティブなイメージばかりが
今の日本には広がっています。

日本経済大学の准教授を務める傍ら、
400名以上の戦争経験者、500社以上にも及ぶ
全国各地の神社を調査する
久野潤先生はこのように仰います。

「残念ながら、
 メディアや一部の学者はこう言うのです。

 “靖國神社というのは、
 日本の侵略戦争に参加して
 亡くなった人を祀っているのだから、
 戦争を美化する神社だ”と。

 しかし、そういうことではない。
 基本を履き違えているのです。

 まずは、その基本を
 押さえなければいけません」




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