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黄河中流域、石峁、獫狁と葷粥、四夷
Silk Road 投稿日:2022年08月15日 02:57 No.116
黄河中流域、石峁、獫狁と葷粥、四夷

石峁遺跡の個体群は遺伝的に黄河中流域の中期新石器時代個体群と類似している。また、この黄河流域新石器時代個体群と類似した遺伝的構成の集団が、現代日本人およびチベット人の主要な遺伝的祖先と見なされている。石峁の片親性遺伝標識は、YHgではO-M117-ACT7481, N1, C-F1067。mtHgは先石峁期ではGが最大(24%)、生贄を除いた石峁期(政治・宗教の中心)ではGが最大(43%)。

獫狁、葷粥
『晋書』四夷伝に夏は薰鬻といい、殷は鬼方といい、周は獫狁といい、漢は匈奴といった」とあるように、薰鬻,鬼方,獫狁,匈奴の語は同じものを指すように思われる。しかし、中国の史書にはしばしば「獫狁、葷粥」と併記されることから、この2つは別の部族ということになる。この2つの部族は後にモンゴル高原を統一した匈奴の前身とされているが、詳しいことはわかっていない。

->獫狁(Xiǎnyǔn)≒軒轅(Xuānyuán)氏(黄帝)。石峁は黄帝軒轅氏の都だろう。黄帝(のような人物)のYHgは今のところ石峁のO-M117-ACT7481, N1, C-F1067のいずれかだろう。統率者と部民のYHgが違っていてもおかしくはない。
葷粥=匈奴説
『史記索隠』(唐代)に、楽彦『括地譜』は云う、夏の桀王は無道なため、殷の湯王により鳴条へ放逐され、三年して死んだ。その子の獯粥は桀王の妾を妻とし、北野へ避居して遊牧生活を始めた。中国はこれを匈奴と謂う。一方で、内田吟風は葷粥,獫狁,匈奴は同一系統の民族であっても、単にモンゴル高原で交代した別の種族であると否定している。しかしながら、葷粥や初期の匈奴に関する資料が少ないため、はっきりしたことはいえない。
四夷
漢民族が黄河中下流域に勃興したころ、四周に未開の類族が大勢いた。しかし、これらがモンゴルやテュルク、チベット人など遊牧の異民族であったかは疑わしい。そうではなく、元を糺せば漢民族とルーツを同じくするような蛮族であり、これらを征服同化した後で、はじめて異民族に接したのであろう(和田清)。
->獫狁や西戎と呼ばれるものは、羌族に近い義渠や犬戎だろう。チベット・ビルマ系とは限らず。




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