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ジュゼッペ・トルナトーレ『ニューシネマパラダイス』 ( No.41 )
日時: 2021年05月03日 14:52
名前: SSK [ 返信 ]
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自分も気になって、久しぶりに実際に最後までちゃんと観たところ、意外と素直な解釈が湧いてきたのでメモしておく
印象に残ったのがお母さんの以下のセリフ。前はあまり気に留めなかったけど、今は結構作品の中で重要な意味を持っているセリフに思える。


[https://gyazo.com/0be8d32cf5e3ecac74189bf4178877a1]
自分を心から好いてくれる、愛してくれる人は、この世界にごく少数しかいない、貴重な存在であって。でもその存在の貴重さに、普段は気づかない。あまりにも当たり前の存在になっているから。

 主人公トトにとっては、その愛してくれる人は、お母さんと、父親のような存在だったアルフレッドの2人だった。アルフレッドはトトにとってそんな大切な存在だったけれど、アルフレッドが生きている時は、その大切さに気づいてなかったし、愛情表現もそこまで無かった。アルフレッドが死んじゃって会えなくなってから、その大切さに気づいて、もっと愛を伝えておけば良かったな、とトトはきっと思ったんだろう。おじいちゃんとかおばあちゃんとか、自分を愛してくれていた人をここ1年で何人も失ってしまった今は、その気持ちがとてもよく分かる。こんなに大切な人だったのに、生きている時、ちゃんとそれを伝えることができてたかな、とか、やっぱり今でも考えてしまう。

 最後のラブシーンの連続は、対面では伝えられなかったアルフレッドのトトへの愛の表現であって、それを見るトトは、もう愛を伝えられない時になって、ラブシーンの中の人のように、アルフレッドに愛を伝えたくなってしまったから、涙を流したのだろう。

 映画のラブシーンというのも、映画の筋にとっては不必要なものだ。大切だけど身近な人への愛情表現のように、無くても成立する。そのシーンを、映画館が取り壊された後に、トトが見ることで、そのシーンが大事なものになる。

 それは、既に失われてしまったもの(アルフレッドもそうだし、古き良き映画館もそう)に対して、失って初めてどれだけ大きな存在だったかを意識する瞬間であり、そしてその対象に、ラブシーンの中の人のように純粋に、恥じらいなく、愛を伝えたいというかなわない思いを表現するものなのだ。。

自分が映画を観て感じたのはこういう気持ちだった。前は、キスがゲシュタルト崩壊して気持ち悪いとすら思った連続ラブシーンで、涙が出てくるとは思いもしなかった、、、
おしまい

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