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ずっと座る象を何で見たいと思うんだろう?」と見る前は思っていたけれど、「動かない」というのは生を止めるということで、この世界の様々な苦しみを止めるということでもあるんじゃないか。(仏教的でもある) |
前半は色々出来事が起こったり、登場人物の状況を少しずつ理解する、という感じだったけれどこの物語のラストは固定された。つまりこの先どうなるんだろう?という感じではない(ラストを固定する、という点で、北野武「HANABI」に似た印象を見ている時持った)。でも逆に、固定されたからこそ、長回しのゆったりしたカメラが意味を持ってきたように思う。 フロイトは「死の欲動(タナトス)」という概念を考えた。彼によれば、死に関連する不快なイメージは反復されるらしい。彼はそのメカニズムを解き明かす前に死んじゃったけれど、何となく分かるような気がする。死ぬというのは生の苦しみから解放されるという点で大きな快楽に繋がる。しかし、1回しか死ねないので、その快楽は1回きりである(しかもそれ以外の快楽はもう手に入らない)。なので、その直前の状態(あと一歩で解放される)をできるだけ味わおうとする。 映画に流れるゆったりとした時間や、4人の登場人物に(かなり)等しく割り当てられた時間、反復しているかのような4人の行動は、死というものを考えた時の心象風景にかなり近いのではと思われる。 |