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ノンタイトル ( No.7 )
日時: 2022年06月21日 19:53
名前: futeki [ 返信 ]
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なんと ( No.414 )
日時: 2022年11月05日 19:23
名前: futeki [ 返信 ]
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ネットでも閲覧可能だったのですね。ご教示ありがとうございます。
色々と読んでみましたが、面白いですねー実に。

蕨沼はよく見ると Warabi-muma になってますね。
日本人が呼ぶところの「ワラビムマ」。これが「アラビアウマ(アラブ)」。なるほど納得です。
moko fututo、fluke は斜体ですが、小文字の書き出しなので馬名なのかどうか。
まぁそこまで厳格な文体ととらえなくても良いのですかね。

下総のくだりも難解なのですが、ニュアンスとして「下総が今頃何主張してるんだ?」と推測して、
late powers that were が「前当局=旧幕府」のことだとすると、
スレイマンパシャは水戸か尾張かどこかの旧家に配布したアラブがその地で産み落とした馬(今風に言えば
生産者)であることを下総は忘れてませんかね、とは読めませんかね。
five Springs が「その藩のことか何か」を表していると思えるのですが、果たしてどうなんでしょう。

血統を記す一文も japanese stallion と out of の間にカンマがあれば、
「和種の父とアラブ牝馬の母の間に生まれた」で間違いないと思うのですが、
カンマが無いので、out of が父の stallion にかかってきちゃうのですか?
これは混乱しますね。


イチロク調査結果報告 ( No.413 )
日時: 2022年11月05日 10:51
名前: bonklers [ 返信 ]
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通りすがり様の情報をもとにイチロクについて英字新聞をあさってみました。
その結果いろいろと面白い事が分かりましたので一応ご報告申し上げます。

まず「文明開化に馬券は舞う」を読了しました。
本の記述はサイトの文章とほぼ同じでしたが、
追加情報として当該レースが11月7~9日に行われたことと
「J・W・M 10/7・11/10」というソース元の記載がありました。
これは「The Japan Weekly Mail」の事になります。
ヘラルドなどの日刊紙は競馬の結果しか載っていませんでしたが
これは週刊紙で余裕があるのでしょう。
いろいろと馬主の動向や馬の小話などがよく書かれているのです。
イチロクについて下記のように書かれていました。
(私は資料館に赴いて確認しましたが、この新聞はネット上でも閲覧可能です)

https://archive.org/details/jwm-bound-1877/page/n1037/mode/2up(右ページ右中段あたり)
■The Japan Weekly Mail [Nov.10.1877]
The greatest novelty,however,which this meeting presented,
was the advent on the course of Ichi Roku,
a pony raised at the Government breeding establishment at Nambu.
The pony is a gelding aged 5 years 4 months,
his sire having been a pure Arab,one of those presented by
the late Emperor Napoleon to the last Shogun.
and his dam a native Nambu pony.
--
ここを読むと「sire(父)はアラブ種」で「dam(母)は南部馬」と書いてあります。
南部生まれであるような記述もあります。
「日本馬」というカテゴリのレースに参加している以上
やはり最低でも母が日本馬でないとマズいのでしょう。

また「蕨沼」についても記事がありました。上の記事より1月前の紙面です。

https://archive.org/details/jwm-bound-1877/page/876/mode/2up(右ページ右上)
■The Japan Weekly Mail [Oct.6.1877]
Mr.John Peel has a very small string this season,
but Bonny Doon is already far more fit than he ever was in the spring.
The latest addition to this stable is a young Half-breed.
If this style of animal is to be the moko futuro of Japan,
We may verily congratulate ourselves on the introduction of what the Japs call the Warabi-numa(Arab).
Mr.J.Peel's Suleiman Pasha is reported by the very knowing ones,
to be by a well known Japanese stallion out of one of the best Arabian mares sent here in '65 by the late Napoleon III,
as a present to the Shogun.
The success of the breed must be attributed to a Fluke, as the usual couplings have proved utter failures.
I hear that the late authorities at the Shimosa farm claim great credit for the breed of this very promising colt,
but,apparently are forgetful of the fact that Suleiman Pasha can boast of five Springs,
while the late "powers that were"barely date back to '74.
--
(拙訳)
ジョンピール(注:イチロクの馬主)は今シーズンの持ち馬は非常に少ないです。
しかしボニードーン(注:中国馬)は春の頃に比べて体調がはるかに良くなっています。
また、この厩舎には新たに若い雑種馬が加わりました。
この種の馬が日本のmoko futuro(何か有名な馬?)だとしたら
私たちはこの日本語で「ワラビヌマ(アラブ)」と呼ぶ物の導入を心から祝福すべきでしょう。
ジョンピールのスレイマンパシャ(おそらく馬名)は65年にナポレオン3世によって
将軍に送られた牝馬(one of the mares)から生まれた種牡馬(stallion)に
よるものである事はよく知られています。
この成功は通常の交配を行ったFlukeの失敗が糧となったに違いありません。
下総牧場の管理局がこの成功した仔馬の品種に関して料金を請求していると聞いています。
しかし彼らは忘れているようです。
現在のpowers that were(権力?)が74年に遡る事のほとんど無い間
スレイマンパシャがfive Springs(意味不明)を誇る事ができるという事実を。
--
これを読むとスレイマンパシャという馬はナポレオン三世の馬(牝)の
子供(牡)の子という事になるだろうか。イチロクとは父の出自が少し異なるのですが
スレイマンパシャはレースに一度も出走していないため同一の馬と考えてまず間違いないと思います。
雑種の存在がそもそも珍しく、同一馬主が同じ時期に2頭持っている事は考えにくいと考えられます。
(ただスレイマンパシャはまだ一度も走ってないくせになんでここまで偉そうなんだ、
何をサクセスしたのだこの馬は、という点が少し疑問ではあります。)

で、ここのワラビヌマがどうも記述がおかしいのです。
「日本語で蕨沼」というからには英名などの他言語の名前も持っていないと
このような記述にはならないはず。
そこで私は気かつきました。
これ「ワラビヌマ」ではなく「アラビアウマ」と言いたいのでは…、と。

なので「蕨沼」なる馬は存在しなかったと考えられます…。(-_-

おかげ様でいろいろと楽しい事が発見出来ました。


あるのですね ( No.393 )
日時: 2022年10月28日 21:05
名前: futeki [ 返信 ]
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こういう資料を見るにつけ、まだまだ個人所有あるいは死蔵された未発見資料には期待せざるを得ませんね。

野辺好一氏の失われた昔話も教訓とし、この恵まれたネット時代の我々はいかに後世に「残す」ことができるか。
それを全うすることがせめてもの役割なのだと思います。


そういえば ( No.392 )
日時: 2022年10月28日 15:11
名前: bonklers [ 返信 ]
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既にご存じでしたら恐縮ですが
三宅コレクションというものがありまして
http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DImt/Miyake/photolist/findrecords.php

ここで「特記事項など」を「馬」で検索すると下総御料牧場の馬の写真を4点見る事が出来ます。

クララマグゲレーは明治15年に死亡してますので明治29年の写真は「第二」の方ですね。


そのとおりですね。 ( No.391 )
日時: 2022年10月27日 22:45
名前: 通りすがり [ 返信 ]
私の記憶によればアプカー氏は明治24年横浜生まれ、
父はイラン、母はインドで生まれたアルメニア人で、
2人はラングーンで結婚したということです。
アプカー商会は昭和の初め頃にはオートバイや香水の
輸入などを手掛けていたはずです。

アプカーさんはじめアイゼキさん、コッペーさんなど
野辺好一氏の昔話に登場する人々の逸話を聞き流して
しまったことが悔やまれます。文字に書かれていない
オーラスヒストリーの宝庫が眼前にあったのに。なぜ
メモしておかなかったのかと。


イチロクは ( No.390 )
日時: 2022年10月27日 19:26
名前: futeki [ 返信 ]
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ネットだけだとお手上げですね。

アプカー氏はこの人かと思いましたが、

https://www.i-repository.net/contents/outemon/ir/203/203131211.pdf

没年が1906ならビスクの賞杯の十年前になっちゃいますね。独身でもないですし。
1916年に独身で若い人ということは日本に残ったという長男マイケルがその人なのですかね。


名スターター ( No.387 )
日時: 2022年10月27日 18:28
名前: 通りすがり [ 返信 ]
A・M・アプカー氏の若き日の姿を横浜貿易新報から。

第三競馬の帝室御賞典競走で、一着の名誉をかち得たビスクの
持主は番組にバチエロウとしてあるが、其実アツプカーといふ
が其本名で今に独身生活して居るので、洒落にバチエロウ(無
妻者)と名乗つて居るさうだ
打見たる処は小柄の男で茶無地の背広服の三つ釦の下のゝ一つ
を掛け頭には鼠の中折を無造作に冠つた至極平民的な若い人だ
つた
而も右の如き服装で式部官始め会役員、知事市長等のフロツク
コートに絹帽で侍立して居る、宮殿下の御前近くで御賞典を拝
受する光景は、競馬場以外他では決して見られぬ事だ


Re: ノンタイトル ( No.386 )
日時: 2022年10月26日 12:30
名前: bonklers [ 返信 ]
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>通りすがり様

なるほど英字新聞ですか。
そんなところに情報があるのですね。
田島先生説が優勢ですかー、うーむ。

とりあえず時期を見つけて探してみたいと思います。
ありがとうございました。

(まずは下記の2点が捜索対象か)

The japan daily herald
18770900-18771200

The Japan gazette
18770900-18771200


イチロク ( No.384 )
日時: 2022年10月25日 19:46
名前: 通りすがり [ 返信 ]
探すのも面倒なので記憶で書きますが
父が和種で母がアラブというネタ元は英字新聞の記事です。
当時最も信頼すべき情報は英字新聞だと思います。
七重でも飛花が和種の牡馬と野合して雑種を産んだことがあります。


競走馬「イチロク」について ( No.382 )
日時: 2022年10月25日 10:11
名前: bonklers [ 返信 ]
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ちょっとご相談したい事がありまして
それは明治10年に根岸競馬で走っていたと言われる
「一六(イチロク)」についての事です。

ナポレオン三世の馬の産駒と言われておりますが
イマイチ情報が掴みきれていません。

今のところ3点情報が見つかっています。

■1.「イチロク 馬」で検索すると出てくる下記サイト
失われてしまった馬たち
http://www.bunkamura.ne.jp/mokichi-club/~meiba/tachikawa/lost/backnumber/0011.html
(1)明治5年生まれ
(2)父:アラブ馬(ナポレオン三世の寄贈馬)
(3)母:和種(南部馬)
(4)騸馬であった
(5)馬主は(J.J.Keswick、別名John Peel)
(6)5戦2勝、その後は故障し舞台を去った

■2.競馬ブック連載「函館大経の生涯(田島芳郎)」
(1)明治6年雉子橋御厩生まれ
(2)父:和雑種
(3)母:「蕨沼」(ナポレオン三世の寄贈馬)
(4)騸馬であった

■3.競馬大鑑
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/859924/177
明治十年秋 優勝馬 一六

<自分なりの考察>
(1)1のサイトは「文明開化に馬券は舞う」の著者であると思われるので
当該書籍を見てみると何か見つかるかも知れない。(拝読する予定)
(2)「函館大経の生涯」に書かれてる事の情報源が全く分からない。
(3)父が「和雑種」で母が「洋種」とか事故ってる感があってなかなか承服しがたい。
(4)雉子橋御厩は明治5年を最後に使われなくなったはず。
(5)一六ってただの雑種管理番号な気が。

当該イチロクにつきまして何か情報がありましたらお待ちしております。( ᴗ͈ˬᴗ͈)◞


ゴルフの ( No.325 )
日時: 2022年10月03日 17:45
名前: futeki [ 返信 ]
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グリーンのアンジュレーションなんかも映像では本当に伝わりにくいですね。
最新の技術だとまた違うのかな。いずれにせよ今後テクノロジーが進めば体感できるようになりそうですが。

#今日は封書届きませんでした。もう数日様子を見て届かないようなら問い合わせしてみます。


狭い所に ( No.324 )
日時: 2022年10月02日 22:16
名前: 通りすがり [ 返信 ]
1マイル馬場を作りましたからね。横に長くなって幅もぎりぎり。
その映像では感じにくいのですが、4コーナーからゴールにかけて
脳天逆落としとでも呼びたい下り傾斜でした。
映像でわかりにくいと言えばエプソムのタッテナムコーナーもそう
ですね。間近で見るとまるで崖ですから。


予算も ( No.323 )
日時: 2022年10月02日 18:57
名前: futeki [ 返信 ]
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使いたい放題の時代だったのですかね。
今だと公営競技のネット投票サービスがキャンペーンだなんだとそれに近いバラマキをやってますが。

https://www.youtube.com/watch?v=B85uK96kjVY

この映像を見ると旧盛岡競馬場の外埒側は走路ギリギリまで近づいて観戦可能だった感じですか。
幅員の狭さと相まって、これは迫力満点だったでしょうね。


そう言えば ( No.322 )
日時: 2022年10月02日 17:45
名前: 通りすがり [ 返信 ]
戦前の地方競馬の入場者数は物凄かったんです。園田なんか
4日間で50万人近く入場していました。これは勝馬投票する
時に入場券に記されたレース番号にパンチを打たれたからで
1人1枚つまり1円しか投票できない仕組みでした。もっと
投票したい人は何度も入退場を繰り返したんですね。

私が若い頃盛岡で入場料が50円なのに200円の煙草を配って
何度も入退場する人が続出したことがありました。その後は
5本入りの小さな特製煙草を作りましたが、思い返せばアホ
みたいな話だらけでした。そんな時代に競馬の現場に立てた
のは本当によかったと思っています。


三店方式 ( No.315 )
日時: 2022年09月30日 19:21
名前: 三村 [ 返信 ]
大正四年春の横濱での記事は大変興味深いです。貴重な情報ありがとうございます。
阪神競馬倶楽部では、大正四年秋の開催で、同じ事(景品券を場内で現金化することを会社が公認した)
をして不正であると報告されています(日本競馬史 第4巻 P.101)。黙許の時代なので、阪神では同じこと
をやっても「行ける」と思ったのかもしれません。どこの倶楽部が始めたのかはわからないですが、
そんな感じがしました。

胴元赤字の件ですが、昭和23年に現競馬法ができたときに、第八條の2として
『前項の規定により算出した金額が、勝馬投票券の券面金額に満たないときは、その券面金額を払戻金の額とする。』
が定められましたが、旧競馬法にはこの規定がなく、公認競馬での配当も券面よりも安い配当はちょくちょく
見られるので、戦前は赤字になるような払戻は無かったのではないかと考えています。


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