三村さんからのお題です。 管理人がスレ立て代行しています。 -------------------------------------------------------------------------------------------------- 「名牝ミラは輸入時に血統書が紛失されたので『サラ系』にされた」 「『サラ系』にされたから不遇だった」「ミラの写真を見る限り誰が見てもサラブレッドに見える」なんですが、これ、いつ頃誰が言い出したのかを突き止めたいのですが、 情報お持ちの方いらっしゃったらご教授いただきたいです。 『血統書紛失』『サラ系』で検索すると、もはや常識のような感もありますが、 競馬史の常識だなんて絶対に思って欲しくなくて、モヤモヤしています。 ずっと前から言われていた記憶があるのですが、『天皇賞の世紀 第1部 第5回』でも明確に否定 していただいてますし、わざわざオーストラリアに出向かれて調査頂いてるというのも、 お聞きしているので・・・気長に待ってみたいと思います。よろしくお願いします。 -------------------------------------------------------------------------------------------------- ミラに関する話題などお気軽にご投稿下さい。 |
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そうだと思います。当時だと単に濠州産馬だと思います。 ここに書かせて頂ければ違和感を持っている人がいるんだなと思ってもらえると思うので、書かせて頂きました。 鎌倉大競馬の件、「日本競馬史 第2巻」の「第七節 神社競馬」で書かれているものですね。 ここには、明治44年4月16,17日の競馬執行届までがかかれているので、そういう経緯だったのですね。 絵図も初めてみるものでした。大変参考になりました。 競馬ブックの文章に戻りますが、「翌1895年11月の競馬にオーストラリア産から輸入された競走馬」 の部分、1895年というと日本レースクラブがオーストラリアから競走馬を輸入した最初の馬になるわけですが、 以前いろいろと調べていたのですが、途中暴風雨にあったSteamer Guthrieの前か後かわからないのですが、 別の船で輸入されているのではないかと想定しています。Steamer Gurhrieは、1895/10/12にSydneyを 出港しているようなので11月は微妙です。それより前に競走馬が到着してれば辻褄があいそうです。 |
一般的な認識は豪洋も豪サラもごっちゃでしょう。 その記事、鎌倉大競馬の方が面白かったです。 大正元年10月18日の横浜貿易新報に「鎌倉競馬の紛擾: という記事があり、縄を張ってコースを作ることは 樹木を荒らすので宮司が境内の使用を拒絶したため 大騒動になったようで、おそらく明治末で終わった ものと思われます。 古い『優駿』を時々読み返しているのですが、 岩淵真之氏が新冠では繁殖用に残すと決めた牝馬の 尻に番号を烙印していたと発言しておられました。 |
関連するのでこちらに。 本日今週号の競馬ブックが届き、「競馬史発掘 ここで競馬が行われた」を見たのですが、 以下の記述がありました。 ====== ・・・また、翌1895(明治28年)11月の競馬には、オーストラリアから輸入された競走馬、 いわゆる”濠サラ”が、・・・ ====== 戦前の資料を結構見てますけど、「濠サラ」と書いてるのは、「濠州産サラブレッド」の 略として書いてあるのであって、血統不詳のオーストラリアからの輸入馬を『いわゆる ”濠サラ”』と呼んでいた手がかりは見つけられないです。 |
別冊宝島247 競馬名牝読本という本がありまして(1996年2月発行)、この本を入手しました。 その中に秋元文明氏が書いた「サラ系のゴッドマザー 血統不詳の不利を覆すミラの意地に一発」 という文章がありますが、ここにも「ミラの血統書紛失」云々の記載は無かったです。 昔、どこで「血統書紛失」の話を聞いたのか、どうしても思い出せないですね・・・ 流石にもうあきらめようかと思っています。 |
先日ようやく図書館へ行くことができたので、1999年に発売された「書斎の競馬 1」を確認することができました。 (幸い国立国会図書館にあったのですが、置いてある図書館は少ないようです。) ここに収録されている伊与田翔氏の「名牝ミラ神話の彼方へ」を読みましたが、「血統書を紛失した」という記載は無かったです。 あと、Hippophileの論文をいくつかコピーして来たので、書くことがありましたら (このスレッドではないですが)書きたいと思います。 |
ミラについて書かれた小説「ノン・サラブレッド」という本が昨晩届いたので、内容確認しました。 読後にまず感じた点について、ここで書き込み情報を募ったことに対して、ご迷惑をおかけしたのでは ないかと感じたことでした。もしご迷惑をおかけしたのであれば、謝罪させてください。 本書は、「ミラが血統書が紛失されたという理由で子孫がサラ系扱いとされ、(特に牡馬は)不遇な 扱いを受けた」ということを題材にした『フィクション』(本書はフィクションですという記載がありました)です。 『フィクション』である以上、内容が正しいor誤認だということを述べることは不適切だと思います。 しかし、内容が完全なるフィクションの部分と、その内容を補完するように記載されている史実の 部分が、交互に展開されている構成になっていること、また冒頭の部分で、競走成績・子孫の能力から、 ほぼ確実にサラブレッドだ、と言い切っている点から、本書を読んだ人に対して「血統書がなくなった からミラ及びその子孫はサラ系と扱われた。本来はサラブレッドとされるべきだ。」ということが史実 であるような誤認を与えるような内容となっており、個人的には残念です。 前回、グリーンチャンネルで放送された番組に関する記載をしましたが、その内容は、全てこの小説に 収められていますので、視聴しなくても本書を読めば番組の内容は確認できます。 また、通りすがりさんにご紹介いただきました宇佐美恒雄さんの記事は、本書に出てきました。 内容については、詳しく書くことは不適切に思いますので、これくらいにしておきます。 個人的には元ネタ・由来について、すっきりしました。ご教授いただきありがとうございました。 |
通りすがりさん、お調べ頂いてありがとうございます。証言がベースのようですね。 記載頂いた内容が、今日まで言われているところに繋がっている可能性がありそうです。 6年程前に、グリーンチャンネルで「名牝ミラの記憶 ~近代競馬黎明期を支えた名牝の血脈~」 という番組が放送されました。その中でいくつかの資料が紹介されているのですが、 ・家畜改良センター新冠牧場に、現在も保管されている史料「事業録(明治34年)」の中にある 「種牝馬購入臨時費支払伺」という決裁資料に記載されている内容は、 『仝(2番目に記載されていて上の「洋種」と同じ)鹿毛 廿八年生 牝馬 ミラ号 此價格金千五百円也』 となっています。 ・馬事資料館(浦河町立郷土博物館)には、現在も以下の史料 (1)国有種牡馬台帳、(2)国有繁殖牝馬台帳、(3)日高種馬牧場 血統書綴 (4)大正二年民有種付牝馬産駒台帳、(5)大正五年乙種合格民有種付牝馬産駒台帳 が保管されています。 (4)の台帳にミラが種付された時の記録(19歳時、ブレアーモアー不受胎)が残っていて、 ミラの記載は「濠州産洋種」となっています。 ちなみに、(5)の台帳に第二ミラが記載されているのですが、こちらは「内国産サラブレッド」 となっていて、母の記載は「豪サラ、ミラ」になっています。が、父も「内サラ、第二スプーネー」 なので、サラブレッドとなっていたの証左とはならないかと。 家畜改良センター新冠牧場でのシーンで、馬籍簿(新冠のもの)は紹介されていなかったのですが、 「サラブレッドと書いてない」か「サラブレッドではないけどサラブレッドと書いていた」 のかどちらかだと思います。通りすがりさんの混同されているとの見解には全面的に同意します。 (書陵部で公開されている下総の馬籍簿を見る限りは、後者ではないかと想定) この番組での取材(おそらく)が「ノン・サラブレッド」という本になっています。入手中なので、届き次第読む予定です。 |
ターフライターが何かを描くにしても元ネタがあるはずと捜したところ 『優駿』昭和46年7月号の宇佐美恒雄「日本産サラブレッド ミラ系の 血 ーダービー馬のふるさとー」がありました。宇佐美氏は大正11年に 新冠御料牧場に奉職された岩淵真之氏からお話を伺った。 「宮内省の馬籍簿によると、ミラははじめサラブレッドになっていたの です。その時代は、血統証明書は本省で保管していたのですが、どこを 捜してもそれが見当らない。おそらく、私の推測では、ミラは血統書つ きで輸入されたと思うのですが、見つからなかったのですから、仕方あ りません」 岩淵氏は嘘は言っていません。大正末期には輸入馬の血統証明書は保管 されていたのでしょう。そのことと明治時代には乗用馬体型の外国種馬 をすべてサラブレッドとしていたことを混同しておられるのです。ミラ がサラブレッドなら血統証明書があったはずというのは推測です。 当時既に競走成績が優秀なサラ系はサラに昇格すべきではないかという 議論がありました。そっちがイギリス産サラブレッドならこっちは日本 産サラブレッドだという声を受け、宇佐美氏は記事のタイトルにそれを 使われたのだと思います。8代連続でサラが交配されるとサラブレッド に昇格する登録規程改正の前段階の話です。 |
ふてきさん、本掲示板の仕組み了解しました。スレ立てありがとうございます。 通りすがりさん、情報ありがとうございました。 ご指摘頂いた、早坂まさお氏(早坂昇治氏と同じ方だと思いますが・・・)の文章は、 『日本の名馬・名勝負物語』(1980年中央競馬PRセンター編)に収められていて、おっしゃるとおり そのような記述が無いことを確認していました。また、ヒカルイマイについては、昭和54年12月号 の宇佐美恒雄氏による文章が収められていて、こちらも「血統書がないので、サラブレッド系と されたとだけ記しておく。」とだけ記載されていました。 結構最近(とはいえ、1990年代とか)に出てきた話なのかなと感じました。 |
長年忘れられた存在だったミラを大きく紹介したのは 『優駿』昭和50年11月号の早坂まさお「明治の名馬」 だと思いますが、そこでは三村氏が指摘されたような 表現はされていません。当時はまだ血統関連の記事は ほとんどなかったので、ターフライターという職業が 現れて以後のことだと思います。 ただし新冠御料牧場の馬名簿ではミラはサラブレッド になっています。他の豪州産馬やハンガリー産半血馬 もそうですから、血統書があろうがなかろうが乗用馬 体型の外国種馬はサラブレッドとされたのでしょう。 シノリが払い下げられた時に横浜貿易新報は「純の純 なるサラブレッド」と表現しています。 もしかするとヒカルイマイのダービー制覇時に記述が あるかもしれませんので、明日調べてみます。 |