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真っ当な創価学会員は統一教会を嫌悪しない
P・E・R
投稿日:2022年09月16日 08:50
No.145
その邪義を粛々と破折するだけだ。統一教会の信者を憎んだり弾圧することは無い。辻元議員は「人の死は平等」などと邪義を唱えているが、そうでhななく「生命は平等」です。無差別殺人犯加藤智宏死刑囚と、加藤死刑囚に殺された無名氏の死が平等なら、無差別大量殺人はともかく、「女と見たら強姦しまくる」くらいのことはやる。あるいは犬猫を殺し捲る。だから「死は生前の行いで差別される」でなければならない。
「命」とは、仏教では「九識心王真如の都」と言う。九識とは、五感(識)にプラスして意識、末那識、阿頼耶識、阿摩羅識である。意識までは分るだろう。末那識は自我意識、阿頼耶識は潜在意識、阿摩羅識は八識の根本。
そして、善行も悪行も、潜在意識のカルマの通帳に記帳される。善いことをすれば預金額が増え、悪いことをすれば預金額が減る。しかし、通帳を見たり、残高照会をしなければ、「気付いたら借金地獄」に陥ってしまう。残高を「福運」と言い、これを失うと、何をやっても上手く行かない。
統一教会員も、この生命の設計図は同じ。そして、彼等はまさに福運の預金を取り崩しているのである。なので、今は良くても福運を使い果たせば地獄界に落ちる。今が良いのはただの天界に過ぎない。天界をもって「この宗教は素晴らし」とやっているのが「外道」です。
「命より大切なものはない」と言っても、ただ心肺が動いているだけの意味ではない。正しくは「生命の尊厳より大切なものはない」です。これが「私は無宗教です」の人には分らない。統一教会の信者はひたすら預金を取り崩している。それが分らないだから、それを教えてあげる。これを「折伏」と言う。しかし、それは五感の外であるから感じることがない。ゆえに「騙した」「脅した」と言い張る人が多い。
さらに、「生命は無くならない」ということ。つまり、カルマの通帳は次の人生に引き継がれる。だから生まれた瞬間から「格差」がある。