湾岸掲示板
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ハイパーH部門試走会.1
たちばな・な 投稿日:2019年02月21日 13:24 No.6168
 春の大会前に3月の事務局ボラスタッフが行うハイパー320キロの試走会の準備が進んでいます。どうやら本大会にてボラスタッフができるという前提条件なので、選手は事務局中心の7名だけとなりそうです。

 さて、ここに集うモルモット戦士達は皆、ワンステージ300キロ以上の踏破の経験がありません。スーパーランナーの女龍神様とKIZEN氏のお二人だけ完走予想できるとの下馬評ですが、こればっかしはやって見らんとわからんです。
 
 事務局の北どんと青年部のおっちんはダークホースですが、去年大けがをして復帰間もない一人と左下半身靭帯故障中の事務局のロートル二人はまず完走は無理やろ、やめなされというのが支配的な声です。
 
 が〜〜、今回の試走会に出場する面々にはその実証成果を見せんばいかんという使命があるのです。それはなぜか?  
                      つづく
ハイパーH部門試走会.2 たちばな・な 投稿日:2019年02月22日 16:09 No.6170
 7名と言えどもこのメンバーはそれぞれ年齢も違えば、走力、経験、考え方も違うメンバーが揃っています。この試走の結果がどういうふうに出るかは非常に興味のあるところです。
 言うなればこの試走会のメンバーの結果が、今後の大会運営の重要な指針となるからです。
今般、全国では100kmのウルトラやそれを超える超ウルトラの大会が増えてきました。そこで返って当湾岸マラニックを今後どのような位置付けにするか?を考え直さなければいけない時期にさしかかってきているのです。
 今までの運営指針は
1.安価でホスピタリティー溢れる大会であること。
2.郷土色のある大会であること。(エイド内容の工夫とコース設定)
3.参加者全員が完走できるような工夫ある大会であること。
4.ウルトラマラソンに憧れるランナーの為の登竜門の大会であること。

この四つの指針は今は変える必要も理由もありませんが、さらにこれに何かを加えるべき時がきていると考えます。

                     つづく。
ハイパーH部門試走会.3 たちばな・な 投稿日:2019年02月24日 01:05 No.6171
 この大会が始まったのは平成18年2006年の事でございまする。
萩往還という今では伝説になりそうな大会に平成16年の大会に出て、台風並みの嵐の中の250kmというランニング競技の凄まじさと大会内容の前評判と自分の思い込みの余りのギャップに、人生でもそうそう無いような経験を与えて貰った末にこの橘湾岸マラニックというものが誕生したのでござる。この経緯(いきさつ)については、私に尋ねてくだされ。朝まで酒を飲みながら話しをするのを許してもらえるなら。
 いっそ大会をやるなら自分の走力を基準にしよう、少しばかり頑張る月々の練習さえすれば凡人ランナーの誰もが完走できる100km以上の大会を考えたら面白いではないか・・・。

  そして13年の月日と通算27回という大会の歴史が流れたのでござる。
                             つづく
ハイパーH部門試走会.4 たちばな・な 投稿日:2019年02月25日 18:44 No.6172
 そもそも2006年に大会を立ち上げたときの自分の走力はいかほどのものかをまず申し上げなければならないでせう。
当時54才。すでにフルマラソンの記録が伸び悩み100kmのウルトラマラソンに方向転換してその魅力にとりつかれていた頃で、それも完走が当たり前になり、まだまだフルでサブフォーは、あたり前のレベルであったのですよ。また100km以上の距離に憧れを抱きだした頃でもありました。まぁ、レベル的にはボリュームゾーンのまさにフツーの中間層であったわけです。フル4時間〜5時間を対象に当初この橘湾岸マラニックの対象者としたわけでありました。
 さて、13年の歳月が流れました。私の走力は確実に落ちてきましたし足腰の故障も頻発しだしました。しかし超長距離マラニックに対する完走への想いはいささかも衰えない。この橘湾岸マラニックが私の走力のレベルで、という最初の思惑を尊重するなら当然に大会内容も変わってくるのが当然ではないか?いや、そうするべき義務が生じてきてていると考えます。
 さらに15年前にこの大会誕生に関わる重大な出会いが嵐の萩往還であったのです。
この出会いは今思い出しても色彩やかに思い出されてくる、我がランニング人生の中で最大の忘れられない思い出です。このことはお相手のプライバシーのこともあるのでこれ以上お書きできませんが。

                         つづく
ハイパーH部門試走会.5 たちばな・な 投稿日:2019年02月26日 12:59 No.6174
 嵐の萩往還250kmの大会の時、宗頭から三見駅へ向かう途中に道中を供にしたその御方とはその後長い付き合いになるのですが、その仲間たちがまた尋常ない連中ばかりで、こいつら、人間の顔した魑魅魍魎、妖怪変化ではないかと今でも疑っているのですよ。その妖怪どもがこの13年の間に当時マニアックでおバカな連中しかエントリーし得ない関西スーパーマラソン320kmという大会の特異性を得意げに聞かされた続けた事数知れず。まぁ、この連中は人間にあらずと思えど、フツーのランナーの私にはふ〜ん、そうなん?それがどうした?と口では言っていたのですが、心の中では300超えの世界が一体どうんなんやろという興味とあくがれは小さな火となりくすぶり続けているのでした。
 この妖怪たちは誰かって? そんなん、プライバシー保護の観点から言えませんよ。某ほっかいどのどら猫どん、とか某筑前地方のY父ちゃんとか、某河内の山仙人とか、なんて言えませんてば。

                             つづく
ハイパーH部門試走会.6 たちばな・な 投稿日:2019年02月27日 09:41 No.6175
9年前の平成22年(2010)春、今では誰もが挑戦していただけるようになったW部門新設のための試走会を行った時、終始叱咤激励してくれた女龍神様と雲仙から下り小浜小場に辿り着き、完走が確実になったあと5kmの所で疲労困憊になりながら例えようのないような安堵感の中で、「待てよ、あとゴールが30km先だったら、果たして自分の体はどうなっているんだろう?まだ脚は持つのか?途中できっと走りながら眠気を通り越して気を失ってしまうに違いないな。」と考えていた事を今でも鮮明に覚えている。
 あそこまでは走ってみたいな、という単純明快なランナー心理は歳を重ねても消えないものなんだね。あの妖怪ランナー達が独占していたワンステージ300km超えの世界を私たち、フツーのランナーでも経験できる場面場所を作らんばいけんやろたい・・・・。
                     つづく


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