旅レポート
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ぼく達の旅、ルーマニア・ブルガリア・・その②
kiya 投稿日:2020年06月13日 10:06 No.49
スレッドが一杯なので、続きは・・その②で、、、

<ブコビナ地方>
山を下ってブコビナに入ると、村では家々で絞った牛乳を、馬車やトラックで集めに来ていた。懐かしい様な、古い絵本でしか見たことがない様な、そんな風景に思えた。
外壁に、飾り絵を描いた家々がたくさんあった。

ブコビナには、有名な5つの修道院があり、モルドヴィツァ、フモール、ヴォロネツなどいくつか回って見た。 フレスコ画が施されて、確かに素晴らしい修道院だ。だが、ぼく達にはそれほどの感動は、無かった。
子供たちが手作りの、イースターの絵付けタマゴを売っており、買ってくれと何人も寄って来た。うるさい子は避けて、控え目にしていた子供から土産に買った。

気楽に土産を買ってしまって、後で困ることが有る。今回もそうだった。
タマゴの殻で作ったイースターの絵付き卵は、なんとも壊れやすい。小さくて潰れない箱に入れ、ティッシュで抑えて大事に持帰った。
お土産も考えて買わないと!、と反省する。

修道院を回ったあと、この辺の中心の町グラ・フモルルイ(Gura Fumorului)にも行ってみたが、
俗化した雰囲気で好きではない。 昼食のあとそこそこに町を出た。

写真:牛乳を集めに来た馬車、飾り絵の家。
   ブコビナの修道院。


kiya 投稿日:2020年06月13日 10:09 No.50
<バトラ・ドルネイ>
宿泊地バトラ・ドルネイ(Vatra Dorunei)に向かう。
バトラ・ドルネイはちょっとした町で、鉄道駅もあり、地方の田舎町の雰囲気がとても良い。
表通は賑やかだが、ペンションの有る脇道に入ると、道は舗装されておらず、とても静かだった。
翌日も、この町で休息。町ブラしたり、近郊の村をドライブしたり。
朝食に、イースターのタマゴが出た。イースターは2週間以上やっているらしい。

写真:バトラ・ドルネイの鉄道駅、街並み、ペンションに行く道とペンション、ペンションからの風景。


kiya 投稿日:2020年06月13日 11:10 No.51
<ポイアナ・スタンペ村での、出来事>
2連泊の翌日は、だらだらと村を通り、ビストリツァの宿に向かう、80kmほどで近い。
途中のポイアナ・スタンペ村(Poiana Stampei)の道で、おめかしした幼児が何人も、お母さんと一緒に自分の家から出てきた。
何か有るのかな?と、急ぐ旅では無いので、車を路肩に止めて様子を見ていた。

子供たちはそれぞれ手にバスケットを持ち、近所の家の門をあけて中に入っていく。
しばらくすると、子供は家から出てきた。道路で待っているお母さんに、うれしそうにバスケットの中を見せている。
ぼく達は興味を持ち、バスケットの中を見せてもらった。中には絵付けしたイースターのタマゴが入っていた。

そうか、イースターの卵をご近所からもらって来たんだ。和やかな雰囲気にぼく達も笑う。
すると、1軒の家からお婆さんが出て来て、我々に家の中に来いと言う。
誘われるままに家に入ると、狭いけどルーマニア刺繍で飾られた家の中を見せてくれた。
亡くなったご主人の写真が壁に飾られていて、聞くと、お婆さんはまだ65歳だった。
なんだ、ぼく達と同世代だよ。

そして言葉は通じないが、国際言語のジェスチャーで話す。
お菓子を出され、イースターだからと郷土料理のサルマーレなどが出てきた。
ホテルの朝食後で、まだ時間が経ってないのでお腹は一杯だったが、折角なので頑張って食べた。
ルーマニア旅行中に、一般家庭にお邪魔して郷土料理を戴くという、貴重な体験になり嬉しかった。
おじゃましている間にも、可愛い女の子が、バスケットを持ってやって来ていた。可愛いなー!

写真:イースターの門飾り、おめかして家から出てくる子供、子供たち。


kiya 投稿日:2020年06月13日 13:10 No.52
お婆さんとの事は、観光する事よりもずっと価値ある、嬉しい出来事で、ぼく達の旅を輝かせる思い出になった。

写真:お婆さんの家、お婆さんと一緒に。イースターの卵と、卵を貰いに来た子供。


kiya 投稿日:2020年06月13日 13:20 No.53
昼頃、ブルゴー峠のピアトラ・ファンテネレ村(Piatra Fantanele)の、カステル・ドラキュラ・ホテルでランチ。なんだか伝説のドラキュラと関係がありそうだ。

ビストリツァの翌日、観光地シギショアラに向かう。このあたりはトランシルバニア地方だ。
トランシルバニア・アルプスを遠くに望み、広大な畑が広がっている。
野辺に立ち、ジーっと畑と山々を見渡していると、泣きたくなる様な、心に滲みる風景だった。

写真:カステル・ドラキュラ・ホテル、ビストリツァのホテル、トランシルバニアの滲みる風景。


kiya 投稿日:2020年06月13日 14:18 No.54
<シギショアラ>
シギショアラは観光地として有名な町で、ルーマニアと言うよりも、西欧の綺麗な旧市街みたいだ。坂道ばかりの旧市街。町ののてっぺんには、山上教会があり、屋根付きの木製階段を延々と登る。
この町には、ドラキュラのモデルになった人の家があり、プレートが貼ってある。
また、町から30kmほど先にある、ビエルタンの要塞(世界遺産)にも出掛けた。小さいけど独特の雰囲気があって魅力的だ。

写真:シギショアラ旧市街、スーパーで会った女の子の達に日本語を教えて楽しんでいる妻。
   ビエルタンの要塞と、要塞からの美しい風景。


kiya 投稿日:2020年06月13日 14:22 No.55
<ブラショフに向かう>
道中、山道で牛の群れに道を塞がれ、ぬかるんだ道からお兄さんが馬を引いて出てくるような、寂しい寒村に佇むビスクリ要塞教会へ。 カルパチア山脈を遠望する、広大な風景の中にある、ファガラシュの要塞などを見て回る。
これらの村が、要塞を作った頃のオスマントルコに怯えていた、大変な時代を想像しながら、ブラショフに着く。

写真:牛の群れに道を塞がれる。ビスクリ要塞教会。
   ファガラシュの要塞、カルパチア山脈を遠望する。 


kiya 投稿日:2020年06月13日 14:51 No.56
<ブラショフ>
ブラショフは、ルーマニアでも大きな町だ。この町で4泊して、この町でレンタカーを返却した。

(アパートに行かれない)
町に入って、地図をみながらアパートに向かうのだが、一方通行もあり、どうしてもアパートの有る通りに行かれない。町の人に道を聞くいても行かれないし、こんな事は、初めてだった。普通の賑やかな通りなのに。

どうしても行かれないョ~!参ったなー!、今日はどうしたらいいのか?と、しばし茫然。 車を止めて、考えた。

そして、ふと思いついた。・・・そうだ、タクシーだ!
タクシーといってもレンタカーもある。そこで、タクシーに行き先を告げて、行って貰う事にした。
車で後ろをついて行くから、タクシーは空のままで行ってくれ! 料金は払う!と告げた。

この方法は、最高だった。 直ぐ近くで、簡単にアパートに到着した。
途中で、どこかの建物の門をくぐって、建造物の敷地に入るような道だった。ああ、この近くまで何度も来ていたのに!、と思った。
われながら、タクシーの先導は良い解決策だと、自分をほめて、どっと疲れた気持をほぐした。(笑)

ブラショフは賑やかで、レンタカーを返却して、ロープウェイでトゥンバ山に上り町を一望したり、あちこち町歩きして4日間を楽しめた。
甘いお菓子では、ブラショフ発祥のパパナッシュという菓子が、甘党の私はとても気に入った。

写真:ブラショフのアパート、トゥンバ山からブラショフの町を見下ろす、
   


kiya 投稿日:2020年06月13日 17:08 No.57
(ブラン城)
ブラショフからドラキュラ城として有名なブラン城に行く。ここは観光客も多い。
中国人のツアーも来ていた。良い城だが感動はあまりなかった。
帰りがけに山の上にそびえるルシュノフ城(Rasnov)を、ちらっと見上げて戻った。

(谷崎聖子さんの家)
レンタカーを返却する前に、もう一か所大事な所があった。そう[もしもの時のお助けマン]、ルーマニア在住の谷崎聖子さんの家だ。
彼女は、ブラショフから30kmほど東のスフントゥ・ゲオルゲ(Sfantu Gheorghe)の町に住んでいた。
家の場所を特定するために、この町の地図を碁盤の目に刻んで、A-5というようにマス目の場所が何処か、聞いておいた。
ぼく等が訪れるときは不在だが、ハンガリー人の夫と7歳の息子が居て日本語も少々出来るので、どうぞ来てくださいと言われた。


地図で準備したおかげで、ミサイルの着弾地点のような感じで到着し、家はすぐに分かった。
おそらく建物はソ連の統治下に建てられた、5階建ての古いアパートだった。暗くて広い階段を上がり4階だ。
日本のお土産(崎陽軒の真空パックシュウマイ、お菓子)を準備して訪れた。

ルーマニアで暮らす谷崎さんと7才の息子さん、何の土産が良いか、悩んでいた。
ルーマニアの前に行く国も有って、谷崎さん宅を訪れるのは、日本を発って1か月以上先だ。
空港で買えるクッキーや煎餅では詰まらないし、初めはカステラを考えた。
だが調べると、カステラの正味期限は1ヵ月無いことが分かった。
そして、次に私の地元に近い鎌倉・鳩サブレがいいな!と思ったが、調べるとこれも賞味期限が1カ月無かった。
品質の問題は出ないのだろうけど、なぜか短く設定されていた。

そこで考えたのが、やはり地元に近い、横浜・崎陽軒のシュウマイだった。
崎陽軒の真空パック・シュウマイは、何と賞味期限が、常温で3カ月も有るのだ。意外だったが、これが良いと決めた。
お土産も、いい加減には選ばずに、できるだけ心して選びたい。


お邪魔すると、歓迎してくれて、大事にしまってある品を、出してくれた。
年代物の素晴らしい民族衣装(フォークロア)のコレクションだ。
彼女がルーマニア刺繍の仕事をしているため、必死に集めた年代物の品物で、もう今では作れない素晴らしいコレクションだった。
これが縁で、その数年後、彼女が日本に来て仕事のときに、息子さんをわが家で預かったりした。
町に戻る途中にも、プレジュメール要塞教会(世界遺産)があり、立寄った。古びていて素敵な要塞教会だ。

写真:ブラン城、入り口で待っていてくれた谷崎さんの息子さん。
   コレクションの民族衣装、プレジュメール要塞教会


kiya 投稿日:2020年06月13日 17:13 No.58
<シナイア>

前日に電車の切符を買って、翌日はシナイアという有名な観光地に。
ホテルは、町一番のホテル・パレスだが価格は安い。それなのにWi-Fiは、ロビーだけしか繋がらなかった。
この町は、ペレシュ城や僧院があって、小さいけどオシャレな町だった。首都から近いので、日帰りで来る観光客も多い。

写真:ホテル・パレス、ペレシュ城、シナイア駅


kiya 投稿日:2020年06月14日 15:51 No.69
<ブカレスト>

翌日、いよいよ首都のブカレストに列車で着いた。電車を降りるとタクシーの客引きの嵐だった。
ちゃんとタクシー乗り場から乗ってホテルに。ブルガリアに行くバスの出る広場のホテルを選んだ。
いろいろ調べたが、ブルガリア行のアクセスが、電車かバス、どちらも心もとないアクセスだなー!と感じていた。
町歩きをして、チャウシェスクが作った馬鹿でかい国民の舘を眺め、ルーマニアの公開処刑のニュースを思い浮かべた。

翌朝はホテル前の広場で、ブルガリアのルセ行のバスを探した。ルセ(Ruse)はドナウ川を渡り、ここから一番近い大きな町だ。
探したが、それらしいバスは見つからず不安になった。ホテルのフロントの姉さんに言って、彼女にも一緒に探してもらった。
あちこち探して、ようやく姉さんが、これだよ!と言う。

それはバスでは無くて、個人の乗用車だった。値段は1人10ユーロで、下調べした金額だった。
あと一名、現地の女性が乗って出発した。
ドナウ川を渡り、入国審査のために運ちゃんにパスポートを渡すと、10分程で戻って来た。
不安を感じる移動だったが、無事にルセに着いた。

いろいろ有った、3週間の味わい深いルーマニアの旅を終えて、ようやくブルガリアに入った。


  ・・・・・ルーマニア・ブルガリア・・その③ NO.60 に続く・・



写真:ブカレスト駅構内、ブルガリアに行くバス(普通の車だった)