旅レポート
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ぼく達の旅、ルーマニア・ブルガリア・・その①
kiya 投稿日:2020年06月12日 07:38 No.37
<準備・・不安と焦り>
ルーマニア・ブルガリアの旅行は、個人旅行のぼく達には、とても思い出深い旅でした。

ルーマニアとブルガリアには、以前から興味をもっていた。しかし東欧の中でも、西欧化が遅れ、開かれたイメージが無く、ホテルもろくに無くて、何年も行くのをためらっていた。

2007年、ようやくEUに加盟したことで、西欧化が進み始め、ホテルなども増え、レンタカー会社も増え出した。 そろそろ行けそうだと思い、会社をリタイアした私は、1カ月間の旅程を組んだ。


今だったら、ルーマニア、ブルガリアに行くのは、何の不安も無いかもしれません。しかし、
旅行に出るとき、ぼく達はまだ、この両国は、個人旅行で夫婦だけで行くのは、とても不安だった。
それは、ルーマニア革命やチャウシェスクの公開処刑の暗い時代の残像が、残っていたためかも知れない。

旅先で困った事があったら「どうしよう!、言葉が伝わらず困ったら「どうしよう!」 これまでヨーロッパを個人旅行して、一度も心配したことが無かったのに、不安で一杯になった。、・・・こんな不安は、初めてだった。

さらに、外務省情報を見ると、医療の過疎国なので、旅先で病気になったら、首都の病院に行くようにと書かれていた。  それも心配だなー!現地で病気になって言葉が通じなかったら、どうするか? 

 
暫く考えて、ふと思い立った。
現地に住んでいる日本人を探して連絡をを取ってみよう、彼らと繋がっていれば、何かあったら日本語で頼むことが出来そうだ! さっそくパソコンで検索、目ぼしい人を探した。そして、ルーマニアとブルガリアで1人ずつ見つけ出した。

ルーマニアの大学に学び、国際結婚してそのまま現地に暮らす谷崎聖子さんと、ブルガリアを永住の地と定め、10年ほど前に夫婦で移住した高田遼さんである。

彼らには、夫婦のレンタカー旅行で回るので、近くを通るときに、是非お会いしたいと連絡した。
お二人とも、是非お越しくださいとの返事で、ひとまず安心。 これで 旅の心配の・・[お助けマン]が出来た。


こんな風に、この旅行に行く前には、とても大きな不安が、私の心には、有った。
だれの助けも借りずに、気力・体力・闘争心だけで、高齢者の個人旅行が乗り切れるだろうか?

心配とは裏腹に・・西欧化は良いけど、時間が経つと、古き良き世界は消えていく!!  早くしないと! そんな焦りもあった。小さな勇気と、用心深さをもって、ようやく2012年春、興味深い国々への旅に出発した。。

ルーマニアの旅のルート、クルージナポカで買った地図本


kiya 投稿日:2020年06月12日 11:49 No.38
<< ルーマニア編 >> ・・<ブカレスト空港~クルージナポカ>

2012年4月上旬、夕方にルーマニア・ブカレスト空港に到着。
先入観かも知れないが、あまり良い感じがしない空港出口の雰囲気。 ATMで通貨レウに両替し、ホテルのシャトルを待っていた。
しかし、シャトルは来ない、不安になってホテルに電話すると、空港に向かったとの返事。

待ったがやっぱりシャトルは来ず、不安を感じている国でこの不安な中を、嫌な時間が過ぎて行った。
ついに、諦めてタクシーにしようと、タクシーの運ちゃんに行き先のホテルを告げると、
そのホテルのシャトバスは、向こうの隅の方に止まっているよ!と言われ、助かった。

  (ニュース)
  (この4カ月後に、日本人の若い女性がルーマニアのブカレスト空港を出て、殺されれるという事件
が報じられた。)


翌朝、空港内でクルージナポカ行の出発ゲートが分からずに探していると、通り掛かりの男が案内してくれて、この階段の上だと言われた。
ありがとうと返事すると、まだ一緒に来るので、もういいよという仕草をしたが、やはり一緒に来る。
私は、「ピン!」ときて、この男はお礼が欲しいんだと、気が付いた。

仕方ないな!と思い、ゲートの入り口まで一緒に行くと、案の定「コーヒー1杯分を恵んでくれないか」と拙い英語で言う。
まあいいや、と彼の気持ちを察して、小銭を渡してやった。

タロム・ルーマニア航空はプロペラ機だった。1時間ほどでクルージナポカ空港に到着して、ルーマニアの旅が始まった。
今回も空港でレンタカーを借りる。ルーマニアでは、大手のレンタカー会社の進出は遅く、クルージナポカで借りてブラショフで返却という乗捨てが出来るレンタカー会社は、地元の小さい会社だけだった。
しかし名も無い会社は、予約して、「行ったら会社が無かった!」なんて、騙されないか不安だな~と感じていた。

カード先払いで安全に借りる方法を? 考えてみた。
契約日と引落日の差は最短1ヵ月。なので、1か月以内の予約なら、引き落とされる前に現地に行ける。
だから、現地に行って、相手が居なかったら引落を止めてもらおう。これも、私の考える用心だ。

当時はカーナビを持っておらず、電話もガラケーだけなので、クルージナポカで道路地図を探して買った。
町の広場の露店の本屋で、詳しい良い地図が買えた。翌日からこの地図を頼りに、ルーマニアを回る。
ルーマニアは、3週間の旅のうち、2週間がレンタカーの旅になる。
町の中心にあるホテルのランチで、早速初日から、ウエイトレスにお釣りをごまかされそうになり、「注意!」の気持ちになった。

クルージナポカ滞在中は、民芸品を売っている40km先のイズヴォル村(Izboru Crisului Korosfo)などに出掛けた。
街道を外れると、荷馬車が走り、野辺には羊と羊飼いがいて、ルーマニアの原風景が広がっていた。



民芸品を売っているイズヴォル村


kiya 投稿日:2020年06月12日 14:40 No.39
<シク村>
クルージ滞在後、憧れのマラムレシュ地方に向けて出発した。
小雨の中をシク村(Sic)に立寄った。ちょうど日曜日で、村の老若男女が民族衣装を着てミサをするという。
ミサのジャマをしないように、おごそかなミサを物陰からじっと見ていた。

教会を出て、村を出発するときに、私のヨーロッパドライブの中で、最大の失敗が起きた。
車が、動けなくなってしまったのだ。

ルーマニアの村の道は、舗装道路の両脇が1mほど未舗装で、その脇は側溝になっている。
私は、側溝にハマらない程度に、タイヤの片側を未舗装の上に乗せ、脇に車を寄せて、坂道の途中に止めておいたのだ。

出発の時、雨とドロで、片側のタイヤがぬめって空回りを始めた。

これはまずいなー!と思っているうち、側溝の方向に傾斜している道のため、タイヤはゆっくり溝の方にすべり出した。
坂道なので、車はすべり出したら、アー!もう止められない。そして、ズルッと右前輪が側溝にハマってしまった。
前輪は駆動輪なので、1本はまると、もう自力での脱出は出来なかった。

少しして、この様子を見ていた村人が2人、家から出てきた。
タイヤに布を敷いて、2人は車を押してくれたが、それでも脱出は出来なかった。
あー!だめかー!と思っていた時、、1人の男が私に待つように仕草して、どこかに行った。

少し待っていると、なんと、トラクターを連れてきた。
車にロープを繫ぎトラクターで引っ張ると、あっという間に側溝から脱出できた。
私は、2人とトラクターの合計3人の男の親切に、とても感謝した。

お礼に何かを!と思ったが、何も持っていなかったので、お礼はお金にした。
私は「サンキュー」と言って、感謝を込めて、手を握るように多めに100レイ札(約2,300円)を渡した。
彼らは、ものすごく喜んで、手を振って去っていった。
きっと、ぼく達のことを肴にしながら、ルーマニアの物価は安いので、3人で美味しいランチを食べた事だろう。

写真:今回のレンタカー。
  ヨーロッパのナンバープレートには国名が入っている。ROはルーマニア


kiya 投稿日:2020年06月12日 15:40 No.40
<マラムレシュ・バイアスプリエ>
北に向かうと、バイア・マーレという大きな町がある。その東のバイア・スプリエに僕達の泊まるペンションがある。

バイア・マーレの外れで、車の窓を開けて、横断歩道を渡る人にバイア・スプリエの道を尋ねた。
男は寄って来て、なぜか窓に腕を乗せて、覗き込むような仕草で、道を教えてくれた。

そしてそのあと、指輪をうっかり車の内側に落としてしまったと言う。 ドアを開けて座席の脇を見始めたが、すぐに怪しい事に気が付いた。
下に注意を引かせて、その間に座席の荷物を盗むのである。

これと同じ手口を、日本の特急列車に中で目撃したのを思い出したのだった。
直ぐに車のドアを閉め、指輪は落ちてないよ! と走り去った。[スリの手口のリスク管理]だ、アブナイ、アブナイ!


バイア・スプリエに着いたが、細い脇道がたくさん有り、ペンションの場所が分からなかった。
酒場のそばでオヤジさんに、ペンションを聞くと、知っているから一緒に車に乗って連れて行くと言う。
下手な英語と、ルーマニア語の会話だから、身振りで判断するのだ。 しかしオヤジさんは酒臭いから、妻があぶないから止めろと言う。

仕方なく自分で探したがやはりペンションを見つけられなかった。
やむなく、途中で出会ったご婦人に聞き、彼女を乗せて案内してもらい、ようやくペンションに到着した。

道の向かい側を見ると、お婆さんがにっこり会釈してくれた。なんと、その横には、先ほど道を聞いた酒臭いオヤジさんが居るではないか!
偶然、ペンションの向かい側の人だったんだ、余計な時間を喰ってしまった。

ペンションでの夕食のとき、若い女性の旅行者も数人いて、カタコトの日本語でぼく達に話し掛けてきたので驚いた。
日本語を覚えようとしているのだろうか。ルーマニアもこれから、変わっていくんだなーと感じた。

ペンションの向かい、お婆さんと酒臭いオヤジの家、


kiya 投稿日:2020年06月12日 15:52 No.42
<バドウ・イゼイ村>
マラムレシュでは、バドウイゼイ村(Vadu Izei)のペンションに3泊した。
ここのペンションの駐車場で、先日ドブにハマって泥だらけになった車を洗った。幸いキズは無かった。
この村はマラムレシュ地方の中心の町シゲット・マルマティエイから車で15分ほどで、手頃な場所だ。
ペンションの入り口には、木にナベが沢山ぶら下げてあった。なにか意味のある飾りらしい。


写真:ペンションの看板、ペンションの前の街道、一日じゅう佇む羊飼い、木にぶらさげてある鍋


kiya 投稿日:2020年06月12日 16:02 No.43
バドウ・イゼイのペンションに泊まりながら、近郊の村々を巡った。
周囲には田園風景が広がり、藁を積んだ畑は、昔の日本のような風景で、羊や羊飼いもいる。
羊飼いは長い棒を持って、朝から晩まで、一日じゅう野辺に立って羊を見ている。 羊飼いってぼく達には想像できない人生なんだ、と感じた。

写真:藁を積んだ畑、農夫、道の向こうにカルパチア山脈


kiya 投稿日:2020年06月12日 16:07 No.44
未舗装の道も多く、家の前に置かれたベンチには老人たちが座り、雑談しながら道行く人を見ている。
こういう村の様子は、初めて目にする光景だし、鄙びたルーマニアを感じる。
ああ、この老人たちは毎日が穏やかではあるが、悠久の老後を送っているのだと思う。
いかにもルーマニアの寒村の、印象的な風景だ。

シゲットの町への街道でも、藁を積んだ荷馬車が往来し、どんどん増えてゆく車社会との、はざまにある。
まもなく荷馬車は、街道からも消えてゆくのだろうなー!と感じさせられた。


門の前に座っている老人たち、藁を積んだ荷馬車、畑


kiya 投稿日:2020年06月12日 16:10 No.45
シゲットの町はとても賑やかで、商店も多いし、市場も立っている。
この町はルーマニアの北端にあり、ティサ川の向こうはもうウクライナだ。
近年、この町とウクライナの間に、木製の友好橋が架かり、国境が開かれた。

ウクライナには将来も行くことが無いので、ちょっとウクライナを覗いてみたいと言う気分になった。
車で行こうとしたが、車はチェックが厳しく長蛇の列で、渡るのには相当な時間が掛かる。車を止めて徒歩で行く事にした。
ルーマニアの出国ゲートに並ぶと、来い来いと手招きされて、日本人はすぐ渡れるからと列に並ばずに出国出来た。

橋は長くもないので、徒歩で渡ってウクライナ入国。
少し歩くと、物乞いが多く居て、なんだか怖いからもう帰ろうと妻がいい、町まで行きたかったが諦めて引きかえした。
ウクライナは、入出国スタンプをもらっただけ、そして初めて徒歩での出入国。

ウクライナと聞くと、20代の頃に2人で見た映画「ひまわり」を思い出す。
ソフィアローレンとマルチェロ・マストロヤンニの映画で、戦争に行った夫のマストロヤンニが記憶喪失になり、結婚していた記憶も無くウクライナで美しい女性と結婚する。
ヒマワリ畑が美しい。 国に戻ったとき、・・・そんな映画だったかな?

この映画で、ウクライナには美しい女性がいっぱい居るんだ!と、私の頭に刻まれた。
しかし、国境の橋を渡って、物乞いのオジサンを見て引き返した私は何も見なかった。そんな旅の記念だった。

写真:クライナ国境の橋を徒歩で渡る。


kiya 投稿日:2020年06月12日 16:13 No.46
バドウ・イゼイの小さなペンションは4室で、部屋毎に設備が整っている。イースター休暇で小さな女の子たちのグループが泊まっていて、
食事の時に一緒になった。みんな可愛らしかった。食堂には、ルーマニア刺繍がいっぱい掛けてある。

ペンション棟にはWi-Fi環境が無く、パソコンが繋がらない。10才と12才の娘の部屋を使ってくれとマダムに言われ部屋に入ると、
子供の洋服が掛けてあった。、子供たちに部屋を空けてもらうのが申し訳なくて、2回しか使わず、あとは町の高級ホテルで繫いだ。

マダムが洗濯しているのを見て、妻はぼく達の洗濯物も洗ってとお願いした。
村でバンドエイドを買おうと薬局に入ったら、「何枚?」と言われてエッ?と驚いた。1箱ではなくて1枚幾らで売っていた。
夕方町から戻ると、僕たちの洗濯物がヒモに干して、ひらひらしていた。
ペンション棟と母屋は100m離れていて、食事が出来るとエッこらさと持ってくる。
バドウ・イゼイの田舎感は良いなー!と思う。

写真:ペンションからの風景と、同宿の子供たちと一緒に食事。


kiya 投稿日:2020年06月12日 16:48 No.47
サプンツァ(Sapanta)の陽気な墓にも出掛けた。
ウクライナ国境のティサ川に沿って西に行く。
電柱の上にコウノトリの巣があったり、羊の群れに道を塞がれたりしながら、その先に陽気な墓があった。
故人の生前の様子の絵がペイントされていて、なるほど暗さは無い、陽気な墓だった。

写真:電柱の上のコウノトリの巣、羊の群れに道を塞がれた、陽気な墓


kiya 投稿日:2020年06月14日 16:13 No.70
<カルパチア山脈を越えて、ブコビナ地方に。>

マラムレシュ地方から、幾つかの村を見ながら東へ。
木造教会がいくつも保存されているブラサナ(Barsana)、ボティーザ(Botiza)では、通りのベンチで羊毛を紡ぐお婆さんの横に座って、言葉にならない会話をする妻。

ブコビナ地方に行くには、カルパチア山脈を越える。峠には教会があり、4月中旬だが、雪で覆われていた。山を下るとCarlibaba村があり、街道のホテルに泊まった。20部屋位あるが、泊客はぼく達だけで、広いレストランでポツンと夕食。ウエイトレスのお姉さんたちは、とても暇そうに、チラチラとアジ人アのぼく達を、それとなく見ていた。静かな夕べ。


   ・・・ルーマニア・ブルガリア・・その② NO.49 に続く・・・


写真:羊に道を塞がれ、ブラサナ木造教会群。
   ボティーザの寒村、羊毛を紡ぐお婆さんの隣に座る妻と 典型的な夫人の服装。