復活=子羊村


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せっかくダニエルがでてきましたから
スナフキン 投稿日:2022年11月09日 22:38 No.451
ダニエル書9章の従来の解釈について簡単にお話しいたしましょう。最近他のネット上でもダニエル書9章について様々な解釈が出回っているようですけれども私には従来の解釈が一番スッキリするような気が致します。

さて、ダニエル書9章、その中でも特に焦点になるのが最後の24節から27節であることは言うまでもないことでしょう。この短い文章をめぐって様々な解釈が入り乱れているのが現状のようなのです。

では従来の解釈とはなんなのでしょう。ネット上で見かける新しい解釈で触れられないのが9章26節のはじめのこの一文です。

9:26その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。

そうです。イエス様の公生涯について福音書に書かれているとおりにメシアであるイエス様は一度断たれるのです。しかも驚くべきことに次の一文でなぜ断たれたのか、その理由までもが感動的な形で記されています。

9:26その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。

イエス様は自分のことで断たれたのではないのです。私のため、この掲示板を見ているあなたの罪の身代わりとして断たれたのです。

ですから、この後に出てくる次の27節の一文、

9:27彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。

この「彼」はメシアであるイエス様とは別の人物だということになるのです。
イエス様が十字架にかかられたことによって犠牲と供物が必要なくなった、とする解釈もあるようですけれども、この順番からいくと無理があるでしょう。なんてっってメシアは既に断たれた後のことなのですから。
ここは素直にアンティオコス・エピファネスの再来のような人物が現れる、と解釈した方が無理がありません。

そこで人を惑わせるのが27節の後半だと思われます。

9:27また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです」。

ここで「また荒らす者が憎むべき者の翼になってくるでしょう」と書いてあるために「彼」と「荒らす者」とが別の人物であるかのような錯覚を起こさせてしまうのです。

しかしここは日本語訳聖書の限界というか訳者の解釈がというかそういったものが色濃く入り込んだものだと考えるべきです。
英語訳聖書New King James Versionでは次のように記されています。

9:27 And on the wing of abominations shall be one who makes desolate,

「また」ではなく「And」なのです。27節の前半から流れが続いている、と解釈しても何ら不思議はない文章です。
あえて日本語に直訳するとこうなります。

9:27そして憎むべき者の翼に乗っているのが荒らす者です。

ですから「彼」を「荒らす者」と解釈しても特に違和感はありません。
ではなぜ「彼」が「荒らす者」になるのでしょうか?

ここで皆さん黙示録の13章3節の「獣」について書かれた箇所を思い起こしましょう。「獣とは終末に現れる「荒らす者」のことであり「反キリスト」のことでもあります。この「獣」について黙示録ではこう書かれています。

13:3その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。

そうなんです。「彼」であり「荒らす者」である「反キリスト」は一度致命傷を負って、そこから復活するのです。
それが恐らくは艱難時代7年間の中間地点すなわち3年半の時点のことだと思われます。この時点を境にサタンである龍が獣にその権威を授けます。ですから「彼」は人が変わったように暴虐をふるいはじめるのです。

13:4「また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」。」

これでお分かりいただけたでしょうか。従来の解釈で何ら矛盾も不自然な点もないのです。

もう一度おさらいします。ダニエル書9章で7+62=69週つまり483年後にメシアが現れ、その後断たれます。
そしてユダヤ人がメシアを拒んだため二千年間の中断、私たちにとっては「恵みの時代」が挿入され、その後反キリストである「彼」が現れるのです。
そして「彼」は致命傷を負って回復した後でサタンである龍から権威を受け、「荒らす者」としてユダヤ第三神殿にて自分を神であると宣言するのです。

この自分を神であると宣言することが、いにしえのアンティオコス・エピファネスと異なるところです。アンティオコス・エピファネスはユダヤ第二神殿にギリシャの神であるゼウスの像を持ち込みました。自分を神だとは宣言しなかったのです。
この2つが続けて書かれているのがダニエル書11章で、ですからこの解釈は難しく感じられるのです。前半はアンティオコス・エピファネス、後半は反キリストについて語っているのです。
参考までにその箇所を引用して終わりにしましょう。

11:36この王は、その心のままに事をおこない、すべての神を越えて、自分を高くし、自分を大いにし、神々の神たる者にむかって、驚くべき事を語り、憤りのやむ時まで栄えるでしょう。これは定められた事が成就するからです。

自分を高くするのが「彼」であり「荒らす者」である反キリストの特徴なのです。
と、まあこれも一つの解釈に過ぎません。本当のことはその時が来てみないと分からないか、携挙の後でイエス様に教えていただけるのでしょう。
それまで楽しみに待ち望んでいましょう。マラナタ!




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