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rikugyo33
太田健介 投稿日:2023年02月19日 09:39 No.6514
●その1

1944(s19)
〇春ごろ、 千葉県下に縁故疎開。(教員をしていた母の教え子の別荘で姉弟がいた。その弟とうまくゆかず、そこを離れる。姉は私より一級上ぐらいだったが、かなりしっかりしていて、私のこともよく面倒を見てくれた。そのことで弟がヤキモチを焼いたかも知れない。)
〇講談社の絵本やアルス文庫(母の勤務先の図書)など読む。
〇映画「鳥居強右衛門」を隣家の青木さんに貯金局の撮影会に連れていかれて見た。また「あの旗を撃て」を上京した長崎の3兄とみる。
〇同級生の綾部肇がピアノ演奏をNHKで放送。学校の職員室のラジオで、生徒たちに聴かせた。 
〇〇父親が木版の日本外史何冊かを持っていて、勿論読めなかったので玩具のように扱い、友達に貸してその親から我が家に返された。
〇当然読めないが父親の持っていた活字本の「大日本野史」を見たおぼえあり。      

○夏、国民学校5年生、栃木県下都賀郡の小高い山寺に集団疎開。冬,雪の積もった寺の庭で、チャンバラごっこをした。
東条内閣総辞職。    
○11 サイパンよりのB29東京空襲始まる。
1945(s20)
○3月 東京大空襲で麻布の住居焼失。その夜疎開先の寺の縁側から、赤らんだ南の東京方面が見えたが、空襲とまでは思わなかった。約一か月後に広島県豊田郡の瀬戸内海のそばの母の実家に縁故疎開。(母は10年余り務めた教職員を辞めた)
○この頃 軍歌「露営の歌」「空の神兵」「英国東洋艦隊壊滅」等々。
     戦時歌謡「隣組」「お山の杉の子」「明日はお立ちか」等々。
○呉から疎開してきた友人から、<天皇批判>を生まれて初めて聞く。(この友人の父親は、呉の海軍工廠でストライキ活動のため逮捕されていた。)  
○8月  広島・長崎に原爆投下。敗戦。 


●戦後期

/11 朝鮮から引き揚げてきた父の新しい仕事で、栃木県那須郡の山村に転居。(以後高校中退まで暮らす。但し殆どは30キロ以上離れた大田原市に下宿していた。)

1946(s21)
/4  県立中学入学。翌年新制中学に変わる。
     歌謡曲「啼くな小鳩よ」「あこがれのハワイ航路」「東京ブギウギ」「 異国の丘」
1947(s22)
/2 2.1スト 中学校が近隣の私鉄役員を呼んでスト批判の講演をさせた。 
  / 映画「わが青春に悔いなし」「カサブランカ」等々。
    歌謡曲「湯の町エレジー」等々。
    この頃小説を読み耽る。改造社版「現代日本文学全集」(中学の同級生が管理していた親戚のもの)新潮社「世界文学全集」(別の同級生の実家にあったもの)
  /5   新憲法施行。
  /秋ごろ エンゲルス「空想から科学へ」をたまたま農学校の教師が自宅で貸本をしていたが、そこで目にして、自然科学のものと勘違いして読んだ。
 この後、そのことを知った同級生にスターリンのテキスト勉強会に誘われた。その会場は戦前からの無産党系の家で、其処にあった政治思想関係の戦前の伏字だらけのシリーズの何冊かを借りた。
 この辺りが、社会主義的な問題に関心を持ったきっかけ。
それから何かと関連する本を読み漁った。「ソ同盟共産党史」「レーニン主義の諸問題」等々。
  /この頃 映画「美女と野獣」「安城家の舞踏会」「若草の歌」「シベリア物語」
 「われらの生涯の最良の年」「青い山脈」等々。田舎の古い(2階は畳敷き)映画館で観た。
 歌謡曲「リンゴの歌」「青い山脈」

1950(s25)
/1   コミンフォルム批判。以後所謂<50年問題>で、共産党の分裂。

1651(s26)
/年末  東京都北区に転居。中学時代の同級生の、兄が外大学生で社会的な運動をしていたことにも、いろいろと影響を受けた。
  /この頃 長谷部文雄訳「資本論」を読みかけたが、第一部で挫折。

◇         『わたしの戦中・戦後』決定版

●戦中期
時期不詳
  幼稚園の傍を通り、雪で柵が濡れていた。 
  
1944(s19)
/有栖川公園に母に連れていかれ、竹刀を腰に当てた写真をとった。それを母の田舎に送ったようだった。 
/講談社の絵本やアルス文庫(母の勤務先、愛宕尋常小学校の図書)など読む。
/映画「鳥居強右衛門」を隣家の青木さんに貯金局の撮影会に連れていかれて見た。また「あの旗を撃て」を上京した長崎の兄(仙十郎)とみる。
/4月麻布小学校に入学。馴れずに学校から泣いて帰ったりした。同学年に肢体不自由な同級生もいて、体操の時間には体調の好くない私と二人で教室にのこされた。 
/綾部肇という同級生がピアノ演奏をして、そのラジオを小学校で聴かせた。
/担任の杉山先生には同級生たちと、二子玉川の方に連れて行ってもらった。
/春ごろ 千葉県下に縁故疎開。(教員をしていた母の教え子の外山の別荘で姉弟がいた。その弟とうまくゆかず、そこを離れる。姉は私より一級上ぐらいだったが、かなりしっかりしていて、私のこともよく面倒を見てくれた。そのことで弟が焼きもちを焼いたかも知れない。わたしが<吾輩は猫である>を読んでいるというと、まだよくわからないだろうといって<坊ちゃん>を紹介してくれた)
/夏 外山の海の家が逗子の海岸にあり、母親と二人で出かけ水遊びをした。  
〇父親が木版の日本外史何冊かを持っていて、勿論読めなかったので玩具のように扱い、友達に貸してその親から我が家に返された。
〇当然読めないが父親の持っていた活字本の「大日本野史」を見たおぼえあり。      

1945(s20)

/夏 国民学校5年生一学期の終りころ、栃木県下都賀郡の小高い山寺に集団疎開。冬になると雪の積もった寺の庭で、チャンバラごっこをした。
東条内閣総辞職。    
/11  サイパンよりのB29東京空襲始まる。
      
1945(s20)
/3 東京大空襲で麻布区箪笥町の住居焼失。その夜疎開先の寺の縁側から、赤らんだ南の東京方面が見え空襲かと思ったが住まいが焼けているとは知らなかった。
約一か月後に広島県豊田郡の瀬戸内海のそばの母の実家に縁故疎開。(母は10年余り務めた教職員を辞めた)
/この頃 軍歌「露営の歌」「空の神兵」「英国東洋艦隊壊滅」等々。
       戦時歌謡「隣組」「お山の杉の子」「明日はお立ちか」等々。
   呉から疎開してきた友人から、初めて天皇批判を聞き軽いショックを受ける。(この友人の父親は、呉の海軍工廠でストライキ活動のため逮捕されていた。)  
  /8    広島・長崎に原爆投下。近所の親子が知り合いを尋ねて広島を訪問。親子とも二次被爆して帰宅。
      深夜もそのうめき声が聞こえた。やがて娘が家の前に出てきたが、頭の髪は殆どなくなっていた。
    
やがて敗戦を祖父のラジオで知る。祖父はそのことでは黙して語らず。わたしは日本が負けたと近所の大人に話してブーイングを受ける。 

●戦後期

/11 朝鮮から引き揚げてきた父の新しい仕事で、栃木県那須郡の山村に転居。(以後高校中退まで暮らす。但し殆どは30キロ以上離れた大田原市に下宿していた。)

1946(s21)
/4   県立中学入学。翌年新制中学に変わる。
      歌謡曲「啼くな小鳩よ」「あこがれのハワイ航路」「東京ブギウギ」
      「 異国の丘」

1947(s22)
/2 2.1スト 中学校が近隣の私鉄役員を呼んでスト批判の講演をさせた。 
  / 映画「わが青春に悔いなし」「カサブランカ」等々。
    歌謡曲「湯の町エレジー」等々。
    この頃小説を読み耽る。改造社版「現代日本文学全集」(中学の同級生が管理していた親戚のもの)新潮社「世界文学全集」(別の同級生の実家にあったもの)
  /5   新憲法施行。
  /秋ごろ エンゲルス「空想から科学へ」をたまたま農学校の教師が自宅で貸本をしていたが、そこで目にして、自然科学のものと勘違いして読んだ。
 この後、そのことを知った同級生にスターリンのテキスト勉強会に誘われた。その会場は同級生の実家で戦前からの無産党系の家だった。其処にあった政治思想関係の





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