ピアノコンクールで入賞できないのは教師の責任かというYouTubeを拝見して、そこで3人の先生の回答は、先生に責任はないという回答でショックを受けました。 そもそもが聞いた話ということで、詳細は分からず、2年間一度も入賞できないということしか分かりませんので、そこからの憶測ですが。 本番で大きなミスをした、練習に身が入っていなかった等明らかに本人に要因があれば、そもそも保護者側もこんな不満は抱かないと思うんですね。 また、門下の他の子がそのコンクールやもっと上位のコンクールで入賞しているなら、先生のせいにもできないでしょう。 素人からしてみれば、 過去に一度も入賞者を出せないのであれば、その先生に生徒を入賞させる力がないのでは? と思ってしまうのですが、 この話を聞いて、どう思われますか? またそのようなレベルの合わないコンクールに生徒を出し続けるのは、 先生からすると、コンクールはビジネスであって、結果は知ったことではないという感覚なのでしょうか。 |
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> 風鈴 さんへ そうですか、うちの子だったら、もしも賞から外れたら、何がいけなかったか反省して、また入賞者の演奏を聴いてどんな演奏が好まれるのか、自分に足りなかったものは何だったかを考えて、次回に生かしますけど、コンクールには向いていない性格かもしれないですね。 そんな審査が不公平だと感じるようなコンクールなら初めから出場しなければいいと思いますし、実際に、出るコンクールは厳選します。 我が家は先生への不満は特にありませんし、ピアノ教室も探してはおりませんし、 コンクールに出場することの是非となると、また違うお話かなと思います。 色々ご意見も頂きましたので、これにて締めさせて頂きたいと思います。 回答いただきました方、ありがとうございました。 |
> 風鈴 さんへ コメントありがとうございます。 勿論、コンクールにでる目的が全て入賞とは限らないと思います。そもそも入賞できるのは、全体の参加者から見れば僅かでしょうし、そこで入賞したからといってそれが続くとも限らないし、逆もそうかと思います。 入賞はしなくても、子どもの大きな成長が見られて三者満足がいっていれば、そもそもが先生の指導力を疑うような話にもならないかと思います。 ただ、その動画は、そもそもタイトルが、入賞できないのは講師の責任か?と謳われていまして、 ある保護者(自分の生徒ではない)からコンクールに入賞できないのは講師の責任だという話を聞いたけれど講師の責任なのかどうかという問いに対して、 先生側にあたる人が先生の責任ではないよねと言い切ってしまうことに保護者としては不信感を覚えまして、 これが一般的な先生の感覚であるのかどうかを知りたいと思い、質問させて頂きました。 保護者の感覚としては、子どもを通わせている教室の立ち位置というのは把握した上で、距離や金銭面や先生の人柄等考慮した教室選びをしていると思うので、 責任という言葉までは使わなくても、 今の先生では入賞までは導いては貰えないだろうなと感じつつも通わせている(それこそコンクールが全てでもないですしね)というのは、実際に周りでも聞く話なので、そういうこともあるだろうなとは思うのですが……。 |
> 小さな町の教師 さんへ コメントありがとうございます。 確かに、電子ピアノでコンクール出場を希望されていたら、本人がいくら努力して指導が適切だとしても、入賞は難しいですね。 その場合は、子どもでも先生でもなく、保護者の責任かと思います。 個人的には、コンクールは先生の力が殆どなんじゃないかと思うくらい、先生に創り上げられているように思います。 ですので、先生に力量がなければ入賞は厳しいようなケースも普通にあるのでは……と思うのですが、 YouTubeでは、3人の先生が3人とも、先生の責任と思われているなんて……みたいなお話しでしたので、 どうなんだろうと思った次第です。 |
ビジネスと割り切っている先生は、少なくともここの掲示板に出入りしている先生にはいらっしゃらないのではないでしょうか。 ピアノ教師も街のピアノ教室の先生から大学教授までいるので、どのレベルを考えるかによって話も変わってくると思います。 私は基本コンクール参加はしないで日々のレッスンを中心に仕事をしています。 そういう私が思うことは、先生と生徒/保護者のお互いの積極的な合意によりコンクールに参加させて、過去に一度も入賞者を出せなかったのであれば、それは先生の力量も疑ってしまいます。 しかし、最近、私がこの生徒は入賞は絶対無理と思っていても、生徒や保護者に参加したいと言われれば、せっかくやる気になっている人間に不参加を勧めるのもどうなのか?と思うようになってきて、音楽性もない、技術もない、ピアノも持っていないような人でも、コンクールに参加を許す場合は増えてきました。そもそも参加を許す許さない権限など現代のピアノ教師にはないような気がします。 そういう人達に、なぜ、ピアノも持っていなくて練習もままならない状況でなお参加させたいのか?とたずねると、参加させるだけで勉強になるからだと話してくれました。最初から入賞する気なんかないのです。万が一入賞すればラッキーであって、参加することによって得られる、本番の自分の緊張であるとか、会場の雰囲気であるとかいうものを、大切な我が子に体験させたいと言われれば、私は個人的には嫌でもその人達の気持ちに寄り添いたいと思います。それは正しい寄り添い方ではないと思う先生方も多くいらっしゃるかもしれないです。 昔の話をしても始まらないのに持ち出しますが、参加したくてもできなくてコンクールを見学に行って勉強していたタイプの人達が自分の子どもを参加させるようになってきたということかと思います。参加するお金があるのだったら、その前に、まず身なりを整え、住居を整え、ピアノを習う環境を整えるのが先だろうと思うのですが、そういう発想はないようです。分相応であるとか、身の丈にあったレベルよりも、志が少しでもあれば参加させたいという気持ちなのでしょう。 それに伴うコンクールの地区大会の規模の拡大、一日がかりの選考、審査員の負担の増加、などを考えると申しわけない気持ちで一杯になりますが、大変であっても規模が拡大すればコンクールの価値も上がるでしょうから、それなりにバランスは取れたりしているのかな?と思ったりもします。 |