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日本の街道歩き〔103〕黒鍬街道 ( No.70 )
日時: 2023年09月28日 22:27
名前: 小林 潔
【街道の概要】 黒鍬街道(くろくわ)は別名、大野街道と呼ばれ、知多半島の西海岸の大野(常滑市)と東海岸の亀崎(半田市)を結ぶ街道である。黒鍬とは土木工事用の鍬であり、その土木技術集団を黒鍬衆と呼ぶ。昔、大野の町には鍛冶師が多く「大野鍛冶」と呼ばれた。12世紀頃、近江国(滋賀県)から数人の鍛冶職人が大野に移り住み、この地で武具や農具作りが発達した。黒鍬衆は知多半島の溜池、海岸、川岸などの堤造りに従事し、この街道を往来した。
【大 野】 出発は、まだ厳しい猛暑が続く令和5年9月23日。出発時期は矢勝川に咲く彼岸花の満開に合わせた。名鉄常滑線の大野町駅で下車して歩き出す。大野町には、これまで何度も訪れている。古代から伊勢湾を航行する船舶拠点の大野港、戦国時代に築城された大野城、そして世界最古の海水浴場と言われる「大野るりが浜」などがあり、歴史豊富な町である。今回は駅から徒歩15分の大草城を見学する。
駅から北の方へ向うとNTT大野電話交換所、大草御嶽大神を通り、小高い丘の上の大草城に着く。織田信長の弟で茶人としても有名な織田長益(茶道では有楽斎と呼ばれ、東京・有楽町の地名の由来の人物)は信長から大野地区に領地を拝領して、大草に城を築き始める。しかし完成直前に「本能寺の変」が起こり混乱のため廃城となった。現在は堀や曲輪の保存状態が良く、模擬天守閣もあり史跡公園として市民の憩いの場所である。私が訪れた時は近所の子供会の児童と親たちが大勢で清掃作業をしていた。見学を終えて本来の街道筋へ向う。
【小 倉】 矢田川に架かる上皇橋を渡るが道を間違え、現在地が分からなくなりスマホのマップ検索をしたが、かなりのタイムロスをした。国道155号を横断して小倉の集落に入るが気温は30度を遥かに越えているので汗だくになり、頻繁に休憩と水分補給をする。前山川に沿って東へ向うが人や車の通行は全くない。青海グランド近くの前山川堤防では草が伸び放題である。青海公民館を過ぎると県道266号に合流する。暫く東へ進むが道標を見過ごし、西前田に出てしまい旧道ルートに戻るため、またタイムロスした。
【久 米】 久米公民館あたりで休憩したあと、道は狭くなり人も車も通行が全く無くなる。少し寂しい田園地帯を進むと愛知用水の暗渠を越し、再び県道266号に合流する。 舟刈を過ぎると道幅が広くなり車の通行量が増える。途中、神秘的な籠池、濁池を見ながら進むが幅1mほどの歩道は異常なほど草が生い茂り、完全な藪漕ぎ状態となる。歩くのが困難になり蛇に何度も遭遇する。歩きにくいだけでは無く危険を感じたので反対側の歩道に移る。こちらは草が刈ってあり安心して歩ける。御林の集落の「新鮮たまご直売養鶏所」を過ぎると常滑市から半田市に入る。
【矢勝川】 市境を過ぎると、まもなく左手に大きな半田池が見えてくる頃だが、見当たらない。歩いていると鼻をつまみたくなる牛糞の強烈な臭いがして不快になる。ところが進めど進めど半田池が見えてこない。道を間違えたかと思いスマホのグーグルマップで確認するが道は正しい。ミステリーな気分で進んだが最後まで半田池を見る事はなかった。帰宅してから調べたら、現在は水を抜いて池は消滅している事が分かった。1695年に築造された農業用水の溜池だが、2010年頃から水を溜めなくなり、埋立てて太陽光発電施設が建設された。確かに太陽光パネルは見かけた。
 まもなく宝来町バス停に差掛かり、矢勝川の側道に入ろうとするが、道が分からなくて宝来町の集落の中を歩き、平井町の手前付近でやっと矢勝川に出た。狭い歩道と思いきや、掲示板に「知多半島サイクリングロード」と表示してある。しかし自転車も人もまったく通行がなく、しかも彼岸花も咲いてない。たまに蛇を見るだけの寂しい道を進む。
 知多半島道路の高架を潜り平成橋まで来ると、前方に大勢の人が歩いているのが見える。そして矢勝川に架かる弘法橋を渡ると、あっと驚く光景に出くわす。ちょうど「ごんの秋まつり」が開催中で、美しい真っ赤な彼岸花が300万本も延々と続いている。圧巻で俳句が詠めないほど感嘆する。地元の「矢勝川の彼岸花を守る会」の人々が丹精込めて手入れをしている。現在の会長は4代目の大島広信さんであるが感謝である。
 土手を歩くが観光客が多く、三脚を立てるのも苦労するが絶景の写真が撮れて安堵する。これまで何度も矢勝川を訪れているが、これほどドンピシャの彼岸花満開は初めてある。新美南吉記念館の近くの広場に仮設の休憩所や売店があり、ここで弁当のおにぎりを食べる。その後、堤防沿いに歩くと「田圃アート」に着く。今年のアートは新美南吉の童話「でんでん虫のかなしみ」のモチーフであった。まもなく彼岸花群生地の終点の「ででむし広場」に到着する。
【半 田】 狭い曲がりくねった道を行き常福院を参拝する。ここは永禄年間(16世紀後半)に徳川家康の叔父の中山勝時によって築かれた岩滑城があった所である。現在でも周囲は低い石垣で囲まれている。本堂前には大きな「蘇鉄」が植えられ半田市天然記念物に指定されている。次に新美南吉生家へ立寄る。南吉は大正2年に畳屋の次男として生れるが、学校の成績は抜群で知多郡長賞を授与されている。雑誌「赤い鳥」の童話作家であるが、他に童謡、詩、短歌、俳句の才もある優れた文芸者である。代表作は童話「ごん狐」である。しかし生来、体が弱く29歳の若さで亡くなる。死後は半田市名誉市民になった。この後、阿久比川に架かる住吉橋を渡る。ここからJR乙川駅付近は平成28年に歩いた師崎街道のルートと重なるので懐かしかった。
【亀 崎】 乙川を過ぎ、海が近づいて来ると「尾張三社」に着き参拝する。尾張国を代表する3つの神社「津島神社」「熱田神宮」「真清田神社」を祀っている。毎年5月に開催される神前神社の亀崎潮干祭では尾張三社が御旅所となり、人形技芸が奉納される。次に海沿いに進むと潮風の丘緑地を過ぎ、亀崎港に着く。ここはハゼ釣りが有名な所で、釣り人で賑わうと聞いていたが、私が行った時は3人しかいなかった。港には小さなレジャーボートや釣り船ばかりで、大きな船は係留していなかった。その先の亀崎海浜緑地では、毎年5月に亀崎潮干祭が行われる。300年の伝統があり2016年にユネスコ無形文化遺産に登録されている。祭神である神武天皇が東征した時、海からこの地に上陸したとの伝説にちなみ、5輌の絢爛豪華な山車が海の中に曳かれる勇壮な祭りである。ここで黒鍬街道のゴールとなり、汗をかきながら坂道を登りJR亀崎駅に到着した。この日は猛暑でペットボトル5本を飲み干した。


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