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日本の街道歩き〔98〕鞍馬街道 ( No.55 )
日時: 2023年04月10日 20:52
名前: 小林 潔
【街道の概要】 鞍馬街道は奈良の平城京から京都の平安京へ遷都された頃からの古道である。京都御所から鞍馬寺、貴船神社を結ぶ道である。御所から見て北方の山奥にあって、風水上の都の守護の要であった鞍馬寺と、平安遷都以前からあった貴船神社へ延びる参詣道である。
 また、丹波国、若狭国から都へ物資を運ぶ若狭街道(別名、鯖街道)のルートとも重なっている。往時の起点である「鞍馬口」は「出雲路口」とも呼ばれ「京の七口」の一つである。現在の地下鉄烏丸線の鞍馬口駅の近くに位置する。
【鞍 馬】 出発は令和5年3月28日。新幹線は京都駅で下車してJR奈良線に乗換え東福寺まで乗車する。そこで京阪電車に乗換え出町柳駅へ。ここから叡山電車に乗換えて、ようやくスタート地点の鞍馬駅に到着する。
 平日なのか電車は空いている。車窓の景色は満開の桜で溢れ、心が躍る。電車は勾配がきつくなると、スピードダウンするのでより景色が楽しめる。終点の鞍馬駅に着くと駅前に大きな天狗の像があり、乗客が次から次へと写真を撮るので暫く待ってから横幕を出して街道写真を撮る。雲一つない快晴で寒さも感じない。少し坂を登ると鞍馬寺の山門に着く。
 鞍馬寺は唐の鑑真が日本へ来た時、随行した高弟8人の内、最年少の弟子である鑑禎が宝亀元年(770年)に創建し、現在、新西国三十三ヶ所第19番札所である。豊かな自然環境を残す鞍馬山の南斜面に位置し、平安時代末期には牛若丸(源義経)が修行した事で有名である。寛平年間(9世紀末)鞍馬山の麓に宮中から由岐大明神が遷され由岐神社が建立され、鞍馬寺の鎮守社となる。
 11世紀には白河上皇や関白の藤原師道が参詣し信仰を集めた。枕草子は「近うて遠きもの」の例として鞍馬寺の九十九折り(つづら)の参道を挙げている。最盛時には十院九坊が建ち並んでいたが、度重なる火災に遭い衰退する。現在は復興して昭和29年に天台宗から独立して鞍馬弘教の総本山となった。なお、鞍馬山は山岳信仰で山伏による密教も盛んとなり山の精霊である天狗も鞍馬に住むと言う。
 さて、ここで写真を撮り街道歩きをスタートする。小さな鞍馬川に沿って、緩やかで曲がりくねった下り坂を歩くと、由岐神社御旅所、十王堂、地蔵堂を見ながら気分よく進む。
【貴 船】 たまに車が通る狭い道を進むと徐々に道路幅が広くなる。まもなく小さな石寄社の前を通り叡山鉄道の貴船口駅が丘の上に見えてくる。ここに三差路があり、京都から登って来ると、左が貴船へ、右が鞍馬へ行く分岐点である。この三差路に朱色の「貴船神社一の鳥居」が立っている。以前、私は家内と一緒にバスツアーで貴船を訪ね、貴船川の桟敷で川床料理を食した事がある。
 貴船神社は全国に450社以上ある貴船神社の総本社である。地名の貴船は「きぶね」と発音するが、神社は水神である事から濁らず「きふね」と発音する。
貴船山と鞍馬山に挟まれた森林が鬱蒼する山峡に鎮座する社殿の前には、賀茂川の上流に位置する貴船川が流れ、古代から祈雨の神として信仰されてきた。歴代の天皇は旱魃の時に黒馬を、長雨の時は白馬を奉納して祈願したと言う。現在の「絵馬発祥の地」と言われる。また、全国の料理人、調理業、水関連の商売をする人々から厚い信仰を集めている。
さてここから路線バスが走る県道38号を歩く。まもなく「二の瀬トンネル」があり、ここで旧道は右の細い道に入る。すると車や人影が無くなり、鞍馬川のせせらぎが心地よく聞こえてくる。
山合いの狭い道を抜けると二ノ瀬の集落に入る。小さな守谷神社を過ぎると、右手に二ノ瀬駅が見える。その先に有名な白龍園がある。見学しようと入口に進むと係の人が「予約してみえますか?」と言われ「いいえ、予約はしてません」と応えると「残念ですが入場出来ません」と言われたので、塀越しに写真だけ撮る。
昔、白龍園の地は安養寺山が霊場とされ、不老長寿の白髪白髭の翁が住んでいたと言われた。しかし、いつしか熊笹や竹藪に覆われ、荒れ果ててしまった。昭和37年、故青野正一氏が、この一帯を所有した時、この地の歴史伝説と信仰を知り巨費を投じて東屋、太鼓橋、石段、苔などを配し、茶室も備え四季を通じて自然が楽しめるように整地、開発に尽力した。この夢のような楽園は「白鬚大神」(不老長寿)と「八大龍王」(商売繫盛)を祀る祠と大鳥居が建てられた。その「白」と「龍」の二文字を取って「白龍園」と名付けられた。そんな楽園を見学したかったが、予約が必要とは知らず、またいつか京都へ来る機会があったら、ここを訪れたいと思った。
【市 原】 街道は二ノ瀬を過ぎ、専称寺を通過すると市原の集落に入る。この辺りは新たに開発された団地があり、コンビニのローソンも街道筋にある。山合いから開けた平地に入るが、街道の面影はなくなり、県道40号をひたすら南へ向って歩く。二軒茶屋駅付近には洛北病院や京都産業大学の学生寮がある。
 さらに南下すると丘の上に京都精華大学が立っている。丘の下に学生が利用する自転車置き場があり沢山の自転車が置いてある。時期的には春休みなのに学生が校舎に向って歩いている。なぜか分からなかった。その近くに叡山電鉄の京都精華大学前駅があり、この付近で街道は右折して狭い道に入る。これまで電車を見ながら歩いてきたが、線路は宝ヶ丘方面へ向うので、線路沿いから外れて歩く事になる。
【圓通寺】 街道は平地に出ると思いきや、山合いに入って行く。家はまばらに建っている。車はほとんど通らない狭い道である。街道らしい雰囲気に戻ったのが気分を高揚させた。暫く行くと三差路があり、どちらの道を行くか迷っていると、近くで道路工事している土木作業員に尋ねたら右側の道だと教えてくれた。
 まもなく圓通寺に到着する。広大な境内で参道が長い。山の中の寺なので参拝者は見かけない。ようやく山門に着くが、拝観料500円と表示してある。有名な日本庭園を見たかったが、時間的余裕がなく見合わせた。
 圓通寺は後水尾天皇が寛永16年(1639年)に造営した山荘幡枝離宮であり、枯山水庭園も同時に造られた。この庭園は国の名勝に指定されているが、苔を主体に大小40余りの庭石は後水尾天皇が自ら配したと言われる。比叡山を借景とした美しさが有名である。見学したかったが、後ろ髪を引かれながら寺を出た。
【上賀茂】 街道は予想外に登り坂となり、峠に差掛かる。地図では判読できなかったが、森の中に入り寂しい道を歩く。峠を越えて下り始めると「あっ!」と声を上げた。その下り坂の急な斜面が、生半端でない。もし転んだら、どこまでも転がってしまうのではないかと怖くなった。
 何とか無事に坂を下ると上賀茂の町に入る。家がビッシリと建っており、その町並みから京都の町に入ったと言う印象を受ける。
 まもなく名勝の「深泥池」(みどろがいけ)に着く。満開の桜が出迎えてくれた。一目で泥沼の池と分かるが、およそ1万年前に賀茂川の扇状地堆積物によって堰き止められた自然堤防が深泥池を形成したと言われる。平安時代、菅原道真によって編纂された「類聚国史」によると、淳和天皇が「泥濘池」(でいにょういけ)なる所に行幸して鳥網を使って小鳥の猟をしたと記述がある。
 この池の西端に鞍馬街道が通っており、丹波や若狭から物資を運んで来た商人や旅人が眺めた池である。このあと、上賀茂の町から下鴨の町に入り、車も人も一気に通行量が多くなる。
【下 鴨】 峠越えを含む長距離歩行で足がかなり疲れたので、腰掛ける所を探した。浄福寺の前のバス停にベンチがあったので、チョコレートやクッキーを食べながら長めの休憩を取る。
 足を回復させて歩き始めると、地下鉄北山駅あたりで昼時になる。食事処はどこも行列が出来ている。諦めて歩き続けると広大な京都府立植物園があったので寄り道しようと入口へ行く。植物園は24万平方mで12,000種類の花や木があり、四季折々に鑑賞できる。また鑑賞温室は日本最大で4500種類の植物が展示してある。さらに「府立陶板名画の庭」もあるが、すべて有料である。お金も掛かるし、時間もないので取りやめた。しかし帰宅してから調べて分かったが、70歳以上はすべて無料だと分かった。
  街道に戻って狭い道を行くと、京都コンサートホールの裏手を過ぎ、食事処を探していると、京都府立大学下鴨キャンパスの近くに小さな京うどん店「下鴨・旨味ひとつ」を見つけた。行列がないので迷わず入店した。目立たない店で店内も15人くらいしか席がない。京都らしい食事をしたかったので「京うどん」が食べられると胸を弾ませた。注文は、かき揚げうどんに稲荷寿司2個が付いて1628円であった。京風の薄味で出汁が良く効いて大変美味しかった。
 空きっ腹に美味しいものを食べ満足して下鴨の町を歩く。しかし下鴨神社へ行く曲がり角が分からずスマホのグーグルマップで検索して何とかたどり着いた。広い境内には参拝者はチラホラしかいないので写真は撮りやすかった。
 下鴨神社は正式には「賀茂御祖神社」(かもみおや)で山城国一宮の官幣大社である。創建は不詳であるが古代の崇神天皇(日本武尊の曾祖父)の御代と言う。ユネスコの世界遺産「古都京都の文化財」の一つである。上賀茂神社と共に賀茂氏の氏神を祀る神社で両社を総称して「賀茂神社」と呼ぶ。両社で催す賀茂祭り(通称、葵祭)は毎年5月15日に行われる。なお、この近くで賀茂川と高野川が合流して鴨川となるが、この三角州に広がる「糺の森」(ただすのもり)は下鴨神社を守る神聖な森である。
 さて、下鴨神社の参拝を終えて、西へ向い賀茂川に架かる出雲路橋を渡る。橋から河川敷を眺めると、満開の桜が連なり、大勢の人々が散策している。私が三脚を立てて横幕を持って写真を撮っていると、中高年の二人の外人女性がニッコリ笑って話し掛けて来たが、どこの国の言葉か分からず、笑顔で会釈した。
 橋を渡ると鞍馬口町の狭い道を進む。途中、上善寺と言う由緒ありそうな寺を通り、烏丸通(からすまどおり)に出る。ここに地下鉄鞍馬口駅があり、鞍馬街道のゴールである。ここから南へ少し行くと、今出川通(いまでがわどおり)に出て京都御所へ行ける。さて、鞍馬街道は無事に歩き終えたが、次に計画していた「加茂街道」の出発地へ行くためタクシーに乗って西賀茂へ向う。


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