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あさや~ん 投稿日:2018年09月14日 18:19 No.1833 【Home】
名古屋城・本丸御殿・完成

復元工事は3期に分かれ、これまで第1期工事で「玄関」「表書院」が、第2期工事で「対面所」「下御膳所」が完成し、随時公開されていた。そして第3期工事で「上洛殿」などがついに完成し、公開された。
10年に及ぶ復元計画、最終章。豪華絢爛、上洛殿公開。一流の技術を注ぎ込んだ、近世城郭御殿の最高傑作。 名古屋城本丸御殿は、尾張藩主の住居かつ藩の政庁として慶長20年(1615年)、徳川家康の命によって建てられました。昭和5年には、天守閣とともに国宝に指定され、屈指の名城として知られていましたが、昭和20年の空襲により建物の大部分が焼失しました。
復元が待ち望まれた本丸御殿は、平成21年から復元工事が始まり、平成30年6月8日、いよいよ完成公開を迎えました。 本丸御殿は、日本を代表する近世書院造の建造物で、総面積3,100㎡、13棟の建物で構成されます。優美な外観とともに、室内は山水花鳥などを画材とした障壁画や飾金具などで絢爛豪華に飾られ、建築・絵画・美術工芸史において高く評価されています。 城郭建築における国宝第1号(昭和5年)であり、世界に誇ることができる城郭御殿です。平成30年の完成公開では、江戸幕府将軍が宿泊するために建造された、最も豪華絢爛な「上洛殿」や「湯殿書院」などを公開します。一般的に、本丸御殿は城主の住まいと政庁を兼ねた場であることが多い。しかし名古屋城の本丸御殿は、徳川将軍が上洛する際に宿泊する特別な建造物だった。
1616(元和2)年、名古屋城主となった徳川義直は本丸御殿に入ったものの、1620(元和6)年には二の丸御殿に移っている。
1626(寛永3)年には、2代将軍徳川秀忠が上洛の折に滞在している。1634(寛永11)年に3代将軍徳川家光のため「上洛殿」が増築されると、本丸御殿は完全に将軍専用の宿泊所となった。
将軍が寝泊まりする建造物ともなれば、贅(ぜい)が尽くされた最高格式の御殿であったのは間違いない。
・完成したのはいいですが、今まではできた都度、襖を仮に入れて、オープンに見られたのですが部屋毎に襖が入り、部屋が襖で区切られて、部分的にしか見られないの、今でみたいにオープンに襖がみられ無くなり、物足りない感じすね!!

御深井丸展示館(懐かしくて・新しい・玩具)

御深井丸展示館では、「なつかしくて あたらしい おもちゃ」を開催しています。 「愛知の郷土玩具と土人形 -懐かしくて新しいおもちゃー」開催時期:7 月~9 月 内 容:昭和 40 年代から 50 年代に第 2 次郷土玩具ブームがおきました。 いまから半世紀近く前のことです。当時愛知県内では各地で郷土 玩具や土人形が作られていました。その後、世代交代がうまくで きた産地はごくわずかで、廃絶してしまった産地も少なくありま せん。そして今、また郷土玩具に目が向けられています。新しい モチーフとして、様々な雑貨となって街で見かけます。懐かしく て新しい、そんな郷土玩具と土人形の展示です。

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