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舞鶴引揚記念館
tomo(トモ) 投稿日:2024年05月28日 10:56 No.667
こちら雨です

先週四国へ行って来ました(マイカーで)
行く時も帰る時も舞鶴市を通りましたので、ずっと前から見学したかった引揚記念館に寄って来ました
父のシベリアでの抑留中の生活は聞いてましたので、特別新しい発見は無かったのですが、当地での生活をリアルに表現してありいろいろ考えさせられました

食事の風景です、父からはほとんど黒パンと肉の少し入ったスープのみと聞いてました
隣で見張りしてるのはロシア兵でしょうか

3枚目は寝室でしょうか、よくもこんな環境で3年半生き延びて来たと実感しました
父の口ぐせは寒い寒いでした
毎日鉄道の敷設の仕事と伐採と聞いてました
館内には伐採に使われた巨大なノコギリも展示してありました

館内では父の名前は見つける事はできませんでしたが、帰還船の船の模型がずらりと並んでました
父が帰って来たのは昭和23年の晩秋と聞いてましたが、その頃は毎月のように帰還船が入ってたようです

私の10歳上の姉は母のお腹の中に入ってる時父が赤紙で出征、福島駅に帰還した時は小学2年生だったそうです
親戚の人にあれがお前の父ちゃんと言われてもわからなかったそうです
そのことは今でも姉は覚えてるそうです
その姉も80超えても元気です

館内の写真撮影はOKでした


tomo(トモ) 投稿日:2024年05月28日 11:02 No.668
館内には電子掲示板があり遊べるようになってました
ちなみに私は全問正解でした(笑)、館内の他の人からはおっー!とどよめきが・・・
実は俺のオヤジは~(^-^;


チャッケ 投稿日:2024年05月28日 16:11 No.669
tomoさん、ようこそ~♪

四国旅行いいですねぇ(^^)/ ちょこちょこお邪魔して沈下橋の様子など拝見していました♪

舞鶴の引揚記念館の写真、ありがとうございます。
トモさんのお父様も御苦労なさったのですね。
映画やドラマで当時の様子をなんとなく知ることはできますが
実際に体験された方達は本当に大変な思いをしていたのですね。
こういう過酷な場所で3年半もの間を過ごされて・・・
生きて帰れた事は奇跡のようなものだったかもしれないですね。
10歳上のお姉さまが元気に過ごされているのがホッとします。

こちらからは山野草の花など
紅花ヤマシャクは久しぶりの開花です。よく肥培してやらないと株が小さくなるようです。
もう一枚は今年花が少ないチシマギキョウです。そろそろ植え替え時なのかもしれません(^^ゞ


tomo(トモ) 投稿日:2024年05月29日 08:51 No.670
おはようございます
引揚記念館、平日にも関わらずたくさんの人が入ってました
もう抑留経験者は生きていれば100歳以上、もう昔の話ですね

チャッケさんちの庭にはチシマギキョウがあるんですね、ビックリです
これは鳥海山の山頂付近で見かけたチシマギキョウです


チャッケ 投稿日:2024年05月29日 16:52 No.671
こんにちは

自生地のチシマギキョウはさすがに奇麗ですね!!
それに花の数も多くてビックリです♪
鉢植えでは窮屈そうですが地植えだと直ぐに消えてしまいそうな気がします。
鳥海山ですか! 登るのは無理でも近くへ行って見てみたいです。
今咲いているイワチドリなど(^^)




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