九州説の皆さんのための古代史掲示板


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明けましておめでとうございます 蔚山人 投稿日: 2020年01月03日 08:56:36 No.2228 【返信】

皆様

明けましておめでとうございます。

今は日本にいて日本の正月をこちらで過ごさせていただいています。やはり日本はいいですね。

書店をのぞいたりネットを見ていると、歴史的な新しい発見、見解が数多くみられ、今までの常識が大きく変わってきているのを感じます。こういう時にそれらを自分なりに再考できるのは、知的な楽しみを与えられたようで嬉しく思っています。

皆様、そしてご家族のご健康とご多幸をお祈りします。


投稿日: 2020年01月07日 10:49:28 No.2229
蔚山人さん、オヤジッチさん、粗忽屋さん、山の肥後人さん、そしてこの掲示板をご覧になっている皆様、本年もよろしくお願いします。

最近は書店を覗くこともなく、なので本を読むことも買うこともなく、むしろ蔵書リストを作成して古書店に引き取ってもらおうかと思っているところです。

マスメディア(ことにA新聞はひどいですが)のミスリードで、いかにも大和説が定説であるかの如き風潮です。嘆かわしいですね。

あとは考古学的な新資料、新発掘がなければ先に進めないのが現状のようにも思えます。

蔚山人さんもオヤジッチさんも、僕よりいくつか年上ですよね。
どうぞご自愛されて、今後ともよろしくお願いします。

私事ですが、年末、ポリープを9個切除してもらいました。幸い、悪性ではなさそう。
歯医者にも通ってます。

久しぶりにゆっくりしていますので、もう飲んでます。(^o^)
年末、泡盛の古酒造りの第一弾で、松藤粗濾過44度を瓶から素焼きのカメに移しました。

ウイスキーは樽で寝かせますが、年月を経ると徐々に減るらしいですね。減ったところを天使の分前というそうですが、泡盛も寝かせていくうちに蒸発するのか徐々に減って行くらしく、それを埋めるのに新酒というか、より新しいのを注ぎ足すらしい。仕次ぎと言うそうです。

孫が二十歳になったら飲んでと渡そうと思ってますが、さて、その頃、もう僕は彼岸に渡っていることでしょう。

ま、何事もなければあと10年はこの世にいるでしょうから、僕用の古酒も作らないとね。
(^o^)
蔚山人 投稿日: 2020年01月07日 14:42:38 No.2230
郭公さん

お久しぶりです。

邪馬台国大研究が閉じられて、何となく古代史ブームが去ったような寂しさを覚える毎日です。今まで集めた蔵書を、ブックオフとかの極々安い買値に叩かれなくてはならないという気持ちは、十分に理解が出来ます。

A新聞は確かに酷いように思えます。近頃縄文時代がブームになっていた時に、いや弥生時代の方が縄文時代よりより進んだ文化があったと、盛んに縄文時代をさげすむ特集をしていたように記憶しています。半島からの文化が素晴らしかった、日本の文化の基礎が半島からの文化で築かれたと、盛んに半島を持ち上げていましたね。

イデオロギーが最初にあり、事物はそれに従わなくてはならないという、本末転倒の思想が現代史のみでなく、古代史にも適用されていることに恐ろしさを感じます。郭公さんが言われるように、何事も近畿が中心なのでしょう。

健康診断をパスしなければ赴任が出来ないという会社の方針で、人一倍健康に気を付ける毎日です。郭公さんはポリープが何もなくて良かったですね。もう酒を飲んでいるとのことですが、少々の酒は健康には悪そうでも(近頃の見解)、精神的な楽しみとなれば逆に健康的に良いのではないかと、私も検査の合間に考え楽しんでいます。

私は、仕事が終わり日本に戻れれば、ゆっくり古酒でも楽しみ、また古代の歴史を楽しみたいと考えています。郭公さんもそれまで長生きして下さい。

ところで井上さんの近況が気になりますね。何かニュースはないですか。昔、わざと邪馬台国朝倉説を批判して井上さんを怒らせたことがありますが、いつもどうしているのか気にかけています。



歴史の嘘 蔚山人 投稿日: 2019年12月18日 15:28:00 No.2227 【Home】 【返信】

粗忽屋さん、オヤジッチさん

近頃感じていることを、述べさせて下さい。

日本の戦後の歴史では、縄文時代はまだ狩猟を中心とする世界で、弥生時代になり朝鮮半島からいろいろな事物がもたらされ、日本の基礎が築かれたと今まで教わってきました。

これは正しいのでしょうか。私は縄文時代を再考してみて、弥生時代はむしろ文明的には退化していたのではないかと思えるようになりました。価値観の違いかも知れませんが、弥生時代の服装は、戦乱あるいは混乱のためでしょうか、縄文に較べて非常にお粗末なものです。弥生に較べ縄文土器は、余裕がなければ作れるものではありません。

縄文時代がブームになっていますが、今の日本人に取り大切なものがその時代に見られるからではないでしょうか。我々のルーツと認識できるからの共感ではないでしょうか。

文明的な生活、平和、鉄の発見、稲作での定住生活など現在の価値観に最も近いものが、縄文時代です。中国史などで見られるようなでっかい建物が出来たなどは、民衆を搾取した印でしかありません。文明という言葉を間違って使っているのではないでしょうか。そういうことから縄文時代こそ文明というに相応しい時代と思うようになりました。

事実関係でも正さなければならないことが多いのではないでしょうか。一例ですが、稲作文化は朝鮮からもたらされたと言われてきましたが、稲については縄文時代にプラントオパールが出現しており、それを食う虫もいたようです。中国の河姆渡遺跡よりずっと昔です。ジャポニカ種は、日本から中国に渡り、そこから広がったと考える方が、遺物の証拠からは素直に理解できます。まして朝鮮半島からの渡来など、夢物語です。中国、朝鮮半島の発表は、プロパガンダと考えてよいものが多くあるように思えます。

歴史を見る場合の価値観を再考する必要があると考えますし、歴史の嘘を見破る目を養うことが重要だと感じます。





ネパールの状況 蔚山人 投稿日: 2019年11月22日 15:44:29 No.2219 【Home】 【返信】

オヤジッチ様

お元気ですか。近頃はオヤジッチさんからの写真の投稿がなく、寂しく思っています。そこでネパールの写真でも付けたいと思います。

こちらは朝夕の寒さが日を追うごとに厳しくなってきていて、暑い日が懐かしくなる時があります。しかしヨーロッパ人はタフで、昼間は少し春のような気温ですので、ノースリーブの女性も見かけます。


粗忽屋 投稿日: 2019年11月25日 18:35:28 No.2220
蔚山人 様

お久しぶりです。
一番右の写真、遠くに写っているのはアンナプルナのとんがり頭ですね。
こんな標高の高いところには、私はとても住めない!
標高10メートルにも満たないダッカで、年中、蚊に悩まされつつ暮らしております。
すっかり考古学ともご無沙汰・・・・。

真ん中の写真は、洪水で流された道路か何かですか?
だとしたら、こんなのの復旧も大変そうですね。
粗忽屋さん 蔚山人 投稿日: 2019年11月26日 19:05:29 No.2221 【Home】
お久しぶりです。

ダッカとは、近そうで遠いですね。そこはインドと同じように暑いところでしょうが、蚊に悩まされておられるようでその苦労はお察しします。ネパールは現在冬に入り、朝夕は少し寒く、ジャンバーがないと外を歩く事が難しくなってきています。12月はもっと寒そうです。しかし暑いよりははるかにマシですので、申し訳ない気持ちです。

鋭鋒はアンナプルナの三角形のとんがり頭です。今年はモンスーンでの雨が少なかったせいかどうか、山の頂に雪が少ないように思います。

真ん中の写真は、工事用として河川を横断するルートで、大型のダンプとかはこの川を渡り他岸に渡ります。渡河地点は一応川を整地していますが、それでも途中突き出た石があると、ガクンと止まることもあります。しかし川にサブンと入るのは豪快ですよ。

考古学は近頃は覗く程度ですが、縄文時代の見直しが行われ、今まで考えられられないような生活の進歩があったことが段々分かってきているのは良いですね。日本人の差別をせず、かなり平等な社会であるその日本人の考えの原型がそこにあるようです。文化的にも、ファッションなどを楽しむ余裕があったようですね。ただ幼児の死亡率が高く、悲しみはどの時代も同じようだったようで、亡くなった子供の足型を取り、それを家の横に飾っていたりしていたようです。足型をみると涙が出てきます。

その他は、関東地方でよく発見される三角形の帽子の横に髪を下に垂らす埴輪は、ユダヤ人がいたことを示していることが段々と分かってきています。秦氏はまさにそうだったようで、家内の旧姓が秦ですので、余計興味を増しているところです。

暑さにも、部屋を飛び回る蚊にも負けず、ダッカの人と接し、美味しい食べ物屋を探し生活を楽しむような、粗忽屋さんのように皆さんに好かれるようなりたいですね。私もそうなりたいと願っています。
粗忽屋 投稿日: 2019年12月01日 02:06:52 No.2222
何をおっしゃられているのか(笑)。
気がつくと周りは若い人ばかりになって、小言をつぶやくしか能のないトシヨリは煙たがられているだけですよ。

縄文時代は、各種作物の縄文農耕の存在が明らかになるにつれ、狩猟・採集だけではなかったことがますますはっきりしてきて、そこへの新規移住者も、概ね友好的に受け入れられていますね。
かえって、弥生も後期になってからの青谷上寺地など、後発の移住者を拒絶して殺戮したとも受け取れるし、集団が大きくなるとギスギスしてきたような印象です。
現代を見てもそうですが、人間は増えすぎるといかんのでしょうね。

三角帽子の埴輪はソグド人と思っていました。

そのほかでは、百舌鳥・古市古墳群の登録名が「○○天皇陵」になっていることに欺瞞を感じる今日この頃であります。
車のボディーで卵焼きが出来そうですね 蔚山人 投稿日: 2019年12月01日 18:15:18 No.2223 【Home】
ダッカは、12月でも平均気温が20度以上あり、最高の平均でも26度とか。昔ジョークで「インドの気候はどんなものか」という問いに対して、「インドの気候は、hot..hotter..hottestの3つしかない」という返答がありました。ダッカも同じですね。体を壊さないようにして下さい。

考古学というのは、覆されるためにあるような学問ですね。鉄とヒッタイトですが、中近東文化センターアナトリア考古学研究所」(大村幸弘〈さちひろ〉所長)が、トルコのアナトニアで紀元前2250~同2500年の地層から世界最古の鉄を2017年9月に発見したとする新聞記事が、今年の3月にありました。

しかしこれが最古なのでしょうか。縄文遺跡からは、たたら遺跡が発見されていて、植物の中に入り化石化したものを野焼きして取り出していたようです。宮崎の瓜生野に行くと、そこら中に鉄化した葦の枝状のものから、細かく砕かれたものまでが見られます。これらを野焼きして鉄を取り出すことは縄文人の目から見ても簡単に分かりそうです。それで実際縄文時代から弥生時代後期まで、簡単なたたら製鉄が行われていたようです。私も鉄化した葦の枝をはっきり目にし、また自宅に持ち帰り保存しています。これをどう評価するかですね。

縄文時代が後期になると、人口が増えて来たために、争いが発生することもあったのでしょうね。農作物の他、こういった鉄のようなものも入っていたかも知れませんね。

埴輪の三角帽子のおじさんは、弓月からの移住者と記録にある方々と思いますが、ソグド人の住む中央アジア地域に近く、その影響を受けているのかも知れません。神社等での建物、幕屋、神輿など、明らかにユダヤの影響を受けていることが判ってきていますが、考古学者の狭い知識ではそのことを理解することがまだまだ不可能のようで、歴史の真相に迫るのは難しいでしょうね。

大型の前方後円墳に誰が埋葬されているかは、実際に詳細な調査をしないと分からないかも知れません。それでも難しいかも知れません。それを「○○天皇陵」とすることに欺瞞を感じる粗忽屋さんの気持ちも分かります。

常識はどきどき間違えることもあります。例えば「中近東でクルド人がトルコから攻められ、ISから攻められ生きるか死ぬかの世界にいる。」という報道を耳にします。しかし、実はイラク側にいるクルド人は非常に安全な地帯に住んでいて、JICAの援助で下水道の整備をしていたりします。日本人も安全に渡航して、業務に従事していて、非常に平和な世界にいると皆さんが感じられています。普通の日常があるのです。

いろいろな意味で、頭を切り替えることが、歴史を勉強しようとするものには必要でしょうね。
鉄の発見? 粗忽屋 投稿日: 2019年12月04日 15:22:09 No.2224
最近のダッカは、最高気温でも30℃を超えなくなったのでずいぶん過ごしやすいですよ。朝晩は20℃を切ることも。
ただし、南西モンスーンの雨期が終わって北東の風(乾期)に変わったとたん、風速が遅く空気が滞留し、大気汚染がひどいです。
ガキの頃の「四日市ぜんそく」なんぞという言葉が頭をよぎります。

さて、
> 縄文遺跡からは、たたら遺跡が発見されていて、植物の中に入り化石化したものを野焼きして取り出していたようです。

ここがよく分かりませんでした。
これも、後段の瓜生野のことですか?
縄文まで遡るとすると、画期的な発見ですね・・・。
少し調べてみましたが、報告としては見つかりませんでした。

> 宮崎の瓜生野に行くと、そこら中に鉄化した葦の枝状のもの

これは、いつぞや蔚山人さんご紹介の「笠置山」近隣でみられた、「葦の根元の『スズ』」のことですね。
土器を焼くために大量の葦を刈り取って燃やしたら、その根元に付着していた酸化鉄がまとまって小鉄塊が得られた、というような展開でしょうか?
この「偶然」が、縄文期にすでに起こっていたことになるわけですか。

もし、北部九州から南下した人々が阿蘇山を通過するルートをたどったら、そこでみられるリモナイト(褐鉄鉱)も、製鉄の原料として気づいたんでしょうかね。
(どこからか福島さんが出てきそうだ・・・・)
蔚山人 投稿日: 2019年12月05日 16:11:59 No.2225 【Home】
福島さんが出てこられると、ちょっと嬉しいですね。

縄文時代の鉄については再考すべき時にきているでしょうね。縄文時代は1万年間続きましたが、この間に縄文人が鉄というものに気づかなかったというのは、考えにくいように思えます。

縄文の住居の火を使っていた炉の個所(囲炉裏など)は、赤い色が土に付着していていることが多いそうです。それは、木を燃やしたりして出来た灰などでは長い年月をかけても赤色にならず、鉄が酸化して出来た酸化鉄が残されて赤色になっていると言われています。そうであれば、この時点で既に鉄があったことが証明できるように思えます。

青森県の三内丸山縄文遺跡では、赤い色のおわんが出土していますが、そこでは赤色の顔料として、酸化鉄の赤色チャート(粘土質微粒酸化鉄)が使われているそうです。そこで使われている酸化鉄は、「沼鉄」(パイプ状酸化鉄)と呼ばれ、植物の根で吸い寄せられた渇鉄鉱と呼ばれるものです。このことから、古代に日本では、「たたら製鉄」が始まる前に既に製鉄材料が存在していたようです。

これらの材料は、水酸化鉄を朱とした褐鉄鋼で、800~1,000度で焼けば、鉄としての素材が手に入るようですし、500度でも低質のものであれば、溶解したものが得られるようです。縄文土器は800度で焼きますので、鉄を得ることは十分可能だったでしょう。炭も使われていたでしょう。三重県四日市の中野山遺跡からは、縄文時代早期(約8,000年前)の煙道付炉穴が見つかっていますが、このような施設があれば、高温を得ることが容易だったでしょう。

これらの材料はベンガラとして、顔や石棺を塗ったりすることに使われていますが、宮崎県の弥五郎どんは赤色の顔をしていることで有名ですが、魏志倭人伝での倭人も赤色の顔料を使っていることが書かれています。粗忽屋さんも既にご存知のように、宮崎県の瓜生野では、「スズ」と呼ばれる葦の茎にしみ込み化石化して鉄の素材が出土します。これは見られたら分かりますが、鉄素材そのものといっても良いものです。当然これらを焼けば、鉄が得られることを承知するのは感覚的に容易です。このベンガラは「縄文の赤」とも呼ばれることがあるそうです。

阿蘇山の北側は、弥生時代の褐鉄鋼の非常に豊富なところで、それが熊本県の遺跡のベンガラとして使われていましたが、これは縄文時代から知られていたと思います。阿蘇山は宮崎県の邪馬台国に行く道筋に当たりますので、交通の要所でこれを縄文時代から目にしていたものと思います。
縄文の鉄 追加 蔚山人 投稿日: 2019年12月06日 16:05:18 No.2226 【Home】
粗忽屋様

縄文時代に鉄が使われていた間接的な証拠として、青森県三内丸山遺跡での栗の木での木材加工があります。栗の木は固くて、巨木であれば石器では切ることが不可能です。これを行っているのは、鉄器が使われた証拠ではないかと考えられます。

古代の丸太船を刳り抜くときに火で炙ることをします。それで内側が掘りやすくなります。この方法を太い立木に適用することも可能ですが、石器の刃は丸いですので大変な労力時間が必要で、三内丸山では切り取られた面が鉄斧でなければ出来ないと専門家は述べておられます。

古くから用いられてきた赤色顔料は、「朱(辰砂)」、「ベンガラ(赤鉄鉱)」、「鉛丹(四三酸化鉛)」の3種類があります。富山市域の縄文遺跡から出土した赤色に彩色された土器を、蛍光X線で分析したところ、5つの土器サンプルのうち4つがベンガラで彩色され、残りの1つが朱を使われていたようです。ベンガラは日常的なものだったのでしょう。

鉄というと弥生時代朝鮮半島からその技術がもたらされたと今まで教わってきました。しかし縄文人は既に鉄を作る技術を持ち、朝鮮半島には鉄の素材を探しに行っていたのではないでしょうか。縄文人の行動半径は非常に広いものです。ただ縄文時代は、砂鉄を使うまでの技術はなかったでしょう。植物の中に潜む鉄で十分だったと思います。

宮崎市の瓜生野では、8つの池があり子捨池もあり、それぞれを丘から大蛇(オロチ)が降りてきても良いような十分な環境があります。これが後のヤマタノオロチ伝承となったと思います。

朝鮮半島から文化を伝えられたというような、プロパガンダから開放されても良いのではないでしょうか。欧米人が発掘しているということでヒッタイトばかりに目が行くのも、これも問題です。

私は技術屋ですので、いつも問題を見つめ何が最適な答えかを探ることをしてきました。考古学は、深窓に閉じこもった学者が、一度大きな前提を崩してみて、そこから何が得られるか考える良い学問だと思います。



書き込みは初めてです 山の肥後人 投稿日: 2019年08月25日 17:32:52 No.2209 【返信】

もう何年も以前から、のぞかせていただいておりましたが、書き込みは初めてです。
初めまして、山の肥後人と名乗っております。
久しぶりに「古代史」関連の掲示板を見渡しましたら、随分と変わってしまったようです。

ひとりで考えておりましたが、今月本を出版しましたしましたので
、書き込みさせていただきました。もちろん「九州説」です。

著書は「魏志倭人伝の路」(ぎしわじんでんのみち)

副題は”あなたも訪れてみませんか、魏使や倭人たちが通った路を”

著者は「山の肥後人」としてます。

佐賀・福岡・熊本の見え方が変わります。
Amazonサイトで「魏志倭人伝の路」と検索してください。

パソコンだと「なか見!検索」で、冒頭から20ページ読むことができます。
Googleからでも検索できます。

リンクを張っておきます。
https://www.amazon.co.jp/dp/481501308X/ref=cm_sw_r_li_apa_i_McznDb9E3HYYR

突然、失礼いたしました。


蔚山人 投稿日: 2019年08月25日 21:05:17 No.2210 【Home】
山の肥後人様

何となく私の名前に似ているので、ちょっと親近感があります。技術屋さんが書いた邪馬台国の本は、それなりに得るものがあるように思えます。そこで期待してネットでの文章を拝見して、凡その山の肥後人さんの描いているイメージを捉えられたと思っています。

しかし残念ながらやはり満足するものに至っていないように感じました。その理由は、北部九州だけに範囲が留められている点にあります。書籍を見ていませんので、間違った評価であれば謝ります。もうちょっと小出しがあれば、嬉しいですが、これは無理でしょうね。
山の肥後人 投稿日: 2019年08月26日 18:20:53 No.2211
蔚山人さん、こんばんは。オヤジッチさんと同じく「様」は、ご遠慮申し上げます。^^;

早速、リンクを見ていただきありがとうございます。

> 北部九州だけに範囲が留められている点にあります。

正に当時の「倭国」は、北部九州でしかも中央部に限られておりました。
有名な「吉野ヶ里遺跡」さえ、当初は参加していればと期待もしましたが、「魏志倭人伝」を読み解きますと、「倭国」の連合国家には参加しておりませんでした。
当時の西日本には、倭種が住んでいたと考えられますが、魏の使いたちには認識されていなかったようです。

著書では多くの倭国の現在地を説明しております。
著書を読んでいただければ、当時の「倭国」を垣間見ていただけると思います。
セールストークになってしまいました。m(._.)m
蔚山人 投稿日: 2019年08月27日 15:59:25 No.2212 【Home】
山の肥後人さん

弥生時代、殺傷人骨が多いのが筑紫野市や小郡市などの福岡県の中心部のあたりです。吉野ヶ里遺跡は、その場所から離れています。しかし何らかの関連性があるのでは考えています。

吉野ヶ里遺跡は、昔メタ国と呼ばれていて、人を閉じ込める区画を持つように人攫(さら)い国家ではなかったかと考えています。そのためその東側の諸国の人々とは、いつも諍いを起こしていたのでしょう。当然倭国連合とは、別な場所に位置しており、魏の使者が寄らなかったのもその理由です。

私は遠い異国にいますので、帰る機会があれば書店をのぞいてみます。
山の肥後人 投稿日: 2019年08月29日 09:52:42 No.2213
蔚山人さんは、ネパール在住なんですね。

イタリア在住の知り合いに出版のことを話したら、Amazonから即2冊注文してくれました。
ただ日本国内だけの販売なので、届け先は我が家にでした。
来年、日本に来たときに受け取るとのことでした。
半年以上あります。ということで「国際eパケットライト」で送ってあげました。
来週には、届きそうです。読後の感想を楽しみにしているところです。^^

ちなみにAmazon独占販売なので、本屋から発注はできますが、置いてはありません。^^;

読むのが早ければ早いほど、倭国の真実を見ることが早まるかもしれません。
またまたセールストークになりました。m(._.)m

異国の地で、健やかにお過ごしください!
山の肥後人 投稿日: 2019年08月29日 11:06:59 No.2214
>倭国の真実

「倭国の概要」が適当かもしれません。
投稿日: 2019年09月08日 21:40:32 No.2215
 山の肥後人さん、はじめまして。郭公と申します。
 私は、有明海に近い産なので、さしずめ、海の肥後人になりますかね。
 郭公というHNは、山仲間の影響です。
 下記は、私のHPですが、古代史もちょこっと書いてますので、よろしければご一覧ください。
 ちなみに私は、邪馬台国≠女王国、卑弥呼の墓は平原一号墓説です。

http://kakkou1210.stars.ne.jp/index.html

 この掲示板は、どこにもリンクしてませんし、宣伝もしてませんので、ごくごく限られた方たちの書き込みです。
 古代史論もよし、情報交換もよし、気楽に書き込んでください。
 今後ともよろしくお願いします。
山の肥後人 投稿日: 2019年09月12日 20:03:16 No.2216
郭さん、はじめまして。

後ほど、お邪魔します。
オヤジッチ 投稿日: 2019年09月14日 09:31:21 No.2217
山の肥後人さん、はじめまして、こん○○は。
ご本、早速アマゾンで検索したら、「3個の評価」で5点が100%付いていますネ。すごいです。

ところで、吉野ヶ里にて「特別企画展シーリーズよみがえる邪馬台国(邪馬台国と豊の国豊前)」が9月21日から11月11日まれ開催されます。西日本新聞の宣伝ポスターをアップします。
ついでに、一昨日晩夏の北内郭と同じく秋間近かの古代水田(赤米)をアップ。


山の肥後人 投稿日: 2019年09月14日 10:20:55 No.2218
オヤジッチさん、はじめまして。

>すごいです。
ありがとうございます。
オヤジッチさんも、是非読んで、レビューを書いてください。^^

情報と写真をありがとうございました。



支石墓 オヤジッチ 投稿日: 2019年08月24日 11:30:22 No.2207 【返信】

1998年10月20日志摩町歴史資料館特別展『支石墓が語るもの』
「支石墓の源流」より

支石墓の祖形をたどっていけば、フランスのブルターニュ地方に数多く点在するドルメンに発端をみることができる。
・・・
中略
・・・
現在、ドルメンは紀元前4.000年から2,000年にかけて構築されたと考えられ、ヨーロッパで最初の農耕民が建設者とされている。
・・・
中略
・・・
ドルメンは、農耕文化の伝播とともにユーラシア大陸を東へと進む。
 インド全域に分布するドルメンは、紀元前1,000年ごろから建設され、インドで鉄器が使用され始めた時期と一致する。
・・・
中略
・・・
中国東北部に分布が知られるドルメンは、ようやく「支石墓」という名前を与えられる。
 遼東半島という限定された地域に300基以上確認されている支石墓は、地上に埋葬施設が露出した卓子形(石柵)と、地下に埋葬施設を持つ大石蓋墓の二つの形式に分けられる。
 先行するのは卓子形で、最も古いタイブで紀元前二千年紀から見られ、大石蓋墓はこれに追従するように現われるが、卓子形が集団墓の形をとっているのに対し、大石蓋墓は個人葬用のものとして造られている。
 卓子形は遼寧省から朝鮮半島北部まで広く分布し、そのため北方式ともいわれている。
 一方、大石蓋墓のように地下に埋葬施設を持つが、地上に置いた支石に大きな上石を置く碁盤形は主に韓国に集中して分布することから南方式と呼ばれる。
日本の支石墓に直接影響を与えたのは、この碁盤形である。しかし、朝鮮半島のものに比べ小型であることと、地下の施設が朝鮮半島のものがその多くが石室であることに対し、日本のものは木棺、甕棺、石棺、土壙などと多様な内部主体を持つなど、日本独自の支石墓として発展したことがわかる。
 ヨーロッパを出発したドルメンはここ日本が終着駅となったが、それは西北九州から広がることはなく、稲作受容期の短期間で終焉した。

最後の「中国東北部に」以下以外は証明されたものとは言えませんが、それ以下は考古学的定説です。


蔚山人 投稿日: 2019年08月24日 20:28:39 No.2208 【Home】
韓国に住んでいた時に、高敞、和順の2つの支石墓を訪ねたことがあります。特に景色がいい所にある訳でもなく、ある間隔をおいて並んでいて、どこからこの石を運んできたのだろうと不思議に思っていました。石のサイズも大きなものですね。

丘陵の上に石を取れる場所があり、大きな石はそこから滑るような方法で、運ばれたのではないかと説明を受けました。大変な労力をかけて作ってもどれほどの効果があったのでしょうか。日本のものはそれより小型のものが多そうで、作り始めた最初から形も身の丈にあったものであったようで、影響というより独自の取り入れ方であったように思えます。埋葬されている方が縄文人が多いように聞いています。朝鮮からの渡来ではないような気がします。

日本では、甕棺や石槨墓が似合いですね。小学校の頃、曰佐原でこの石槨墓を見学に行きましたが、中が朱に塗られていて、ちょっと異様な感じにショックを受けたことが、私が古代史を勉強しようとするきっかけになりました。



奴國の丘から オヤジッチ 投稿日: 2019年07月27日 10:54:26 No.2198 【返信】

ご無沙汰していますm(__)m
奴國の話題ではありません、伊都国です。
今年初めて伊都國歴史博物館に行きましたら、常設展示(2F)及び自前の資料を使った企画展(伊都国発掘‐令和元年‐)での写真撮影がOKになっていました。でゃんサイン表示されています。


蔚山人 投稿日: 2019年08月03日 15:07:31 No.2199
ご無沙汰しています。

オヤジッチさんには、昔の掲示板で私の不用意な言葉で気分を害されたのではないかと思っています。丁度よい機会と思いますので謝らせて下さい。申し訳ありませんでした。

今はネパールにいます。滞在はかなり長くなるでしょう。日本のことはいつも思い出していますが、戻ったら伊都国歴史博物館にはぜひとも寄りたいと考えています。

ネパールは人種のるつぼの国で、コーカサス系、中東系、インド系、黒人系、モンゴル系、チベット系、ネワール系(ネパール系)など、多種多様な人種の方が、身近なところ、狭い中で混じりあって生活しています。日本のように、単一民族の雰囲気というのとは違っているため、興味が尽きません。

掲示板が寂しくて残念にいつも思っています。オヤジッチさんの蓄積された知識を、以前のように時候の挨拶のようなものでも結構ですから、時々は皆さんにご披露して頂けると、有難いと思います。楽しみにしています。
オヤジッチ 投稿日: 2019年08月05日 13:28:52 No.2200
> オヤジッチさんには、昔の掲示板で私の不用意な言葉で気分を害されたのではないかと思っています。
↑何のことでしょうか。何にも気にしていませんが。
> 申し訳ありませんでした。
↑どういたしまして、と言うか、何も謝ってもらうようなことは無いです。 (・・?)
 なんにしろ、私が忘れていると言うか、気になってもいないので、蔚山人さんもお忘れください。

挨拶代わりに
1.先月(まだまとまった雨が降る前)の平塚川添遺跡の復元環濠
2.吉野ヶ里北内郭(定点観測的に行く度にとって増す)
3.おまけ、朝倉三連水車


蔚山人 投稿日: 2019年08月10日 15:03:21 No.2201
オヤジッチ様

いつも風景写真を頂いていますので、こちらのネパールの風景を送ります。

観光地の町はカラフルですし、そこに歩く女性もカラフルです。近くにヒマラヤの山も見えます。(アンナブルナ山)カトマンズ以外は空気が綺麗ですので、歩くのが楽しみです。

歴史はどこにいても常に頭に入れています。古代では日本から朝鮮半島にものが移動していたことが分かってきつつあり、朝鮮半島からのものは殆どないでしょうね。その視点で見直すと、古代の状況がよく分かるようになって来ました。


オヤジッチ 投稿日: 2019年08月16日 14:58:37 No.2202
蔚山人さん、こん○○は。
> オヤジッチ様
↑“様”はやめてください。(*^.^*)

> 古代では日本から朝鮮半島にものが移動していたことが分かってきつつあり、朝鮮半島からのものは殆どないでしょうね。
↑私は浅学にて、唐辛子と前方後円墳くらいしか知らないです。(・_・?)
 教えてください。

写真は、どちらも平塚川添です。


蔚山人 投稿日: 2019年08月18日 11:34:42 No.2203
オヤジッチさんのご指摘には、鋭いものが冷や汗がでています。まあ暑い時期だから良いかというところです。

私が最初に疑問に思ったのは、新羅や高句麗の王の冠には、必ず勾玉がついていることです。これがついているということは、朝鮮の王は倭国の支配下にあったのではないかということです。中国の歴史書には、倭国が朝鮮の支配者であったことを示しています。そうなると勾玉だけではなく、文化的なものも倭国から渡っていったのではないかと思っているところです。新羅の王朝の基本的な王は、倭国から来た人々です。

王仁博士が日本に千字文を伝えたとされていますが、朝鮮には王姓を名乗る人は一人もいません。朝鮮には元々文化がなかったのではないでしょうか。朝鮮は紀元前5千年ことはほぼ無人の地でした。何故なのか、韓国に長く住んでいると、よく分かりますが、作物を育てる環境や居住環境が非常に悪いですね。表土がありませんし(南はややマシ)、中小河川は石ころだらけ、寒さは厳しく、生活するのが精一杯といったところです。渡来人と称されている方々の、何割が正真正銘の朝鮮人でしょうか。秦さんは朝鮮人でしょうか。

ここでは、文化というものが育ちません。そこから日本に渡ってくるのは、飢えに苦しんだ人々位でしょう。この状況は基本的に今まで変わらず、終戦前後まで続いています。稲の文化が朝鮮から渡ってきたのであれば、稲に関する朝鮮語が日本に伝わっているはずです。ありません。日本の稲作遺跡は、朝鮮よりはるか昔です。渡ったと考えるのが自然です。石包丁もその流れでしょう。百済では、1世紀になり人々が始めて稲作を許可されました。稲作は朝鮮では、扱いが違っていたのではないでしょうか。

青銅器の材料が、日本から渡ったのではないかと、成分の分析から言われてきています。終戦後唱えられた(今もそうですが)朝鮮から日本へという流れは一部を除いてありえません。しかし鉄の材料は朝鮮で取れますので、周りの人々が群れて収奪していたようです。そうゆう流れはあったでしょう。

住宅の形である花弁式住居跡が南朝鮮にあり、日本のものは朝鮮から渡ってきたのではないかと言われていますが、果たしてそうでしょうか。朝鮮ではその形式はその後途絶えますが、日本では長く使われています。本来の起源の場所が倭国にあったためでしょう。

北朝鮮の国宝展が韓国で開かれた時、あるいは慶州の国立博物館を見学した際に、民衆レベルのものは展示物がないか、非常に貧しいものでした。王朝としての若干の文化はあっても、民衆の文化はありません。そのような所から文化の伝播はないと思います。逆に「珍しいものがたくさんある」日本にこそいろいろなも文化として伝わるに相応しいものがあったのではないでしょうか。

支石墓というものがあります。これは南朝鮮(地下式)と北朝鮮(地上式)で形式が違うことは有名ですが、南朝鮮のものは日本の長崎県辺りを中心とする形式と同じです。この支石墓は、対馬と壱岐では見つかっていません。それは何故か、江南に発したこの支石墓が黒潮にのり、長崎と済州島等の方面に分かれて伝わったためと言われています。朝鮮から日本へという流れがなかったためです。そうゆう形での、文化の伝わり方もあったでしょう。
オヤジッチ 投稿日: 2019年08月22日 10:37:56 No.2204
> 新羅や高句麗の王の冠には、必ず勾玉がついていることです。
↑初めて聞きました、半島の王冠自体何も知りません。m(__)m
 写真などお持ちですか、西谷先生の「古代日本と朝鮮半島との交流史」と武田幸男の「古代を考える・日本と朝鮮」程度しか読んでませんが、半島の王冠に勾玉が付いているというのは初耳(初読)です。

> 朝鮮には王姓を名乗る人は一人もいません。
↑百済に渡来した中国人であるとされ、この場合姓である王氏から楽浪郡の王氏とする見解があるそうです。

> 朝鮮には元々文化がなかったのではないでしょうか。
↑これは言いすぎでしょう。(・_・?)

> 朝鮮は紀元前5千年ことはほぼ無人の地でした。
↑日本も紀元前5千年は縄文時代前期末ですけどね。

> 日本から渡ったのではないかと、成分の分析から言われてきています。
↑これまで私が学んできたことの真逆ですね。 (¨!

> 朝鮮ではその形式はその後途絶えますが、日本では長く使われています。本来の起源の場所が倭国にあったためでしょう。
↑花弁状住居跡は宮崎県中南部から鹿児島県大隅半島にかけて多く分布し、熊本、大分両県でも数カ所で見つかっているが、北部九州(福岡、佐賀、長崎県)では2008年に三養基郡みやき町原古賀の西寒水(にししょうず)四本柳(よんほんやなぎ)遺跡で、弥生時代中期とみられる「花弁状住居」跡の発掘が初めてで。同町教委は「内部構造を含めた特徴が一致している。弥生中期の九州北部と南部の文化的交流を示す」発表しています。
 また、文化形式は発祥地では次々に変化し、古い形式は周辺部に長く残存すると言われています。

 いずれにしても、考古学的検証、資料検討が必要ですね。
 頑張ってください。楽しみにしています。
 写真は8月21日の平塚川添。干上がっていた環濠にいくらか水が溜まってました。


蔚山人 投稿日: 2019年08月22日 23:53:57 No.2205 【Home】
オヤジッチさん

私が不思議に思うことは、朝鮮半島では青銅器の鋳型が見つかっていないことです。日本では、福岡市だ琵琶湖だと騒がれますが、これは何を意味するのか。

鉛を通した青銅の成分は、弥生初期は朝鮮からもたらされたかもしれませんが、それ以降は全て中国です。今学者の間では、ある種の小武器などは、朝鮮に輸出されたのではないかという話が出てきているそうです。

新羅の王冠の写真をつけますが、URLで出したのでうまく添付されているか不明です。なかったら御免なさい。



奴國の丘から オヤジッチ 投稿日: 2019年07月27日 10:51:03 No.2196 【返信】

ご無沙汰していますm(__)m
奴國の話題ではありません、伊都国です。
今年初めて伊都國歴史博物館に行きましたら、常設展示(2F)及び自前の資料を使った企画展(伊都国発掘‐令和元年‐)での写真撮影がOKになっていました。でゃんサイン表示されています。





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