雑銭掲示板Ⅱ


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あけましておめでとうございます
68式ヲヤジ 投稿日:2023年01月01日 20:19 No.379
紅:南部中字 
白:薩摩広郭

南部中字は栗林かなと思い譲って頂きましたが、栗林とされる小字とは違う感じもします。銭文径は41.2mmです。


七時雨山 投稿日:2023年01月02日 17:09 No.381
紅白の天保銭はめでたいですね。大迫銭座開設の際に紅白の天保型七福神絵銭を来賓者に配ったといわれています。
栗林銭座の南部中字が見つかったらすごいです。栗林座で銅山手を鋳造したという説は雑銭の会のK氏によるものと思いますが、栗林座極印が打たれた銅山手は見たことがありません。もともと極印が不鮮明なものが多いのでひょっとしたらあるのかもしれません。

栗林座で慶応3年10月から盛岡銅山の鋳造が開始され、山内鉄山(後の山内柏木座)で天保銭が鋳造開始されたのが慶応3年秋となっています。ほぼ同時期に天保銭密鋳に着手したことになります。
鋳造順は諸説ありますが、小字、中字、大字の順だと思っています。もし栗林で中字が鋳造されているなら、小字以上に母銭が存在していいはずです。中字の母銭は過去に一枚あったことが知られているだけです。大字の母銭は浄法寺の小林家に銭座職人が残していった物として鋳造道具と大字母銭が入っていた御種銭箱が保管されていました。慶応4年4月に幕府の密鋳取り締まりにあい、盛岡藩士松岡練治は閉門となり鋳銭道具一式は全て没収されたようです。しかし、これにめげることなく慶応4年5月には天保銭密鋳を再開したとされています。この際の盛岡大字の原母は木型だといわれています。取り締まりを見越して母銭を作ることなどありえないという考えです。
因みに、盛岡銅山銭が鹿角鉱山(尾去沢銅山)の山内通用銭だという説に反対する意見も見られます。あまりにも贋造品が多いですから、明治、大正時代の贋作説があります。


68式ヲヤジ 投稿日:2023年01月02日 23:49 No.382
詳しくご教示頂きありがとうございます。
私はこの銅色の中字は持っていなくて、浅はかにも小字の色(所有するのはもう少しオレンジ色寄り)に似ていると感じ八つ手極印が打ってあればと凄いぞと思ってのことでしたが、現物は桐極印であり誇大妄想もいいところでした。

※八つ手極印と六出星極印は同じと読んだことがありますが、四文母銭に打ち込まれている六出星極印は葉脈のない画像のようなイメージを持っていました。八つ手極印は窪みが五つしか見えず「星」にも見えないのですが。。。盛岡銅山の極印はどうなんでしょう。側面の画像は見たことがありません。


七時雨山 投稿日:2023年01月03日 08:07 No.383
六出星極印=やつで極印としたのは雑銭の会の会員だと思います。しかし、六出星極印とやつで極印は別物です。
私はやつで極印を変形桐極印と呼んでいます。
六出星極印は明治、大正期の岩手の古泉家の間で言われていたものだと思います。新渡戸仙岳氏が著作物に記述したのが始まりかもしれません。六出星なので角が六個ある星いわゆる六芒星のことだと思います。
浩泉丸氏のホームページの古銭関係へのリンクの中にめんどう氏のブログ「南部藩、藩札岩手関係の貨幣のお話です。」がありますので、そのブログの2016年9月18日の記事をご覧ください。小笠原白雲居氏の南部鋳銭考メモが掲載されています。六出星極印と変形桐極印のスケッチがあります。この極印が栗林座の極印です。これ以外は贋作だと思います。摩耗により損傷した極印も使用されているため変形桐極印をやつで極印したのだと思います。
残念ながら六出星極印の盛岡小字は持っていませんので、壽比南山大黒銭の極印と盛岡小字の変形桐極印を掲示しますので参考にしてください。
因みに盛岡銅山の桐極印は、壽比南山大黒銭の小極印と同一であることはO氏の蔵品と対比して確認していなす。盛岡銅山の変形桐極印の方は昭和泉譜の原品をお持ちの方の現物で確認し、同一極印であることの証明のため変形桐極印の盛岡小字をお譲りしました。


七時雨山 投稿日:2023年01月03日 08:09 No.384
入力ミスがありました。お許しください。

68式ヲヤジ 投稿日:2023年01月03日 11:40 No.385
六出星極印については拓本だとよくわからず、画像として確認できる資料がハドソンの「東北・北海道の貨幣」だけでした。そのP37に掲載された極印銭のうち、丸みがあって葉脈が見えない極印が六出星なのだと思っていたのです。今回ご教示のあった極印は盛岡銅山との整合性もあるとのことで大変勉強になりました。重ね重ねお礼申し上げます。

七時雨山 投稿日:2023年01月03日 16:56 No.387
68式ヲヤジ 様

南部中字の銭文径41・2ミリはかなり大きいもので私の蔵品にもありません。長径は49ミリ以上あると思いますが、いくらあるでしょうか。
六出星とされる極印が打たれた四文銭母銭の極印は、新渡戸仙岳氏が花輪にキと表現した極印なのですが、水沢の故K氏により、全て贋造盛岡銅山銭に打刻された極印であることが明らかにされています。これは想像ですが、新渡戸氏は贋造品を本物として売ろうと考えたのではないかと思います。栗林座の六出星極印を橋野銭座で擦り減った母銭に打刻して使用することは考えられないのです。
めんどう氏のブログは資料も豊富でとても参考になります。ただし、盛岡銅山の拓本はほとんどが贋造品の拓です。東京大学の蔵品の画像も参考になります。


68式ヲヤジ 投稿日:2023年01月03日 19:40 No.388
ノギス計測で長径は48.56mm、短径は32.6mmです。浩泉丸さまのHPですと銭文径が41mmを超える物の長径は49mm台に達しているようですね。
盛岡銅山の拓のほとんどが贋造品の拓とは驚きます。しかしブログ主さまは盛岡銅山については懐疑的な立場であられるようですのでご承知の上なのでしょう。

※画像サイズが小さくてわかりづらいかもりれませんが、直尺を当てた画像でも同様の数値を得ています。私はノギスで銭文径を測るのが下手なので、銭文径だけは画像計測しています。


七時雨山 投稿日:2023年01月03日 19:52 No.389
68式ヲヤジ 様

ありがとうございます。
私の盛岡中字の画像を掲示します。盛岡中字の極印はほぼこの極印だと思います。大桐極印もありますが、山内柏木座かどうか分かりません。
この天保銭は、称浄法寺銭の中字と一致しています。




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