雑銭掲示板Ⅱ


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仙台近辺の不知銭
関西のT 投稿日:2022年12月17日 03:53 No.340
ヤフオクに先日ひっそりと出現していた強長足寶が到着しました。
宮城県仙台市の地元リサイクル店からの出現であり、元は黄色だったものが少し焼けて黒く変色しているものの、それ以外は欠点のない品です。

仙台辺りで出現したからといって仙台産なのかは分かりませんが、よくこの近辺では刔輪長足寳や刔輪反足寶が出現します。
仙台銭の魚子は母銭由来なので魚子地でない仙台銭があっても不思議では無いと思っていますが、今後の研究に期待ですね‼︎

画像は、
岩手の梁川からでた刔輪張足寳(最新記事に出てくるのと同じ物)と同時出現した仙台長足寳 (大様磨輪、肌鋳ざらい)、旧米沢領から出現した部分刔輪反足寳に今回の覆輪刔輪強長足寳です。


68式ヲヤジ 投稿日:2022年12月18日 13:59 No.344
Tさまの長足寶は見事で、これほどに長い品はなかなか得難いと思います。類品の画像をアップしてみますが足は少し短いですね。

七時雨山 投稿日:2022年12月18日 15:46 No.346
強長足寶は味が出ていていいですね。天保通寶と類似貨幣カタログの87ページ細郭手再覆輪刔輪ですね。
岩手の梁川とありますが奥州市江刺梁川ですか。或いは盛岡市簗川ですか。江刺であれば近くに鉱山があるので密鋳の可能性もあります。南部貨幣誌の簗川銭座は盛岡市東中野門にあったとされています。天保銭を作ったとされていますが疑問です。


関西のT 投稿日:2022年12月19日 01:16 No.354
68式ヲヤジ様

コメントありがとう御座います。
画像のお品は私のものよりも素晴らしい風貌ですね。
iPhoneカメラの補正機能でやや長く見えますが、刔輪形状や保人先端の小さな鋳だまりから同じ母銭の産物でいいと思います。
(七時雨山様の指摘で類似貨幣カタログを見返してようやく共通の特徴に気付けました)
今スキャナーの調子が悪く携帯で代用しましたが、見え方が変わるのは考えものですね...

細郭手強長足寳
縦:49.00mm / 横:33.05mm / 文:40.85mm
/ 面縦内径:44.70mm


関西のT 投稿日:2022年12月19日 01:19 No.355
七時雨山様

ご指摘頂きありがとう御座います。
実は私も全然気付いていませんでした。
仙台長足寳と長郭刔輪張足寳が梁川出と書いた件について追記します。

出品者に確認した場所なのですが、町名は失念したもののGoogleマップで検索した結果、梁川ダムから盛岡市へ流れる梁川の中間辺りでした。(マップ上に梁川という河川名がでてきたので非常に印象に残っています)
この品々はヤフオクの2020年11月7日と21日に同一出品者から25枚づつ落札したもので、未選別、東北地方蔵出し、明治初期の豪農の蔵から出現品とのタイトルでした。

内容はどれも状態の悪いものばかりでしたが、水戸銭の接郭や短足寳が多く含まれていました。梁川天保の事は耳にしていましたので短足寳をよく確認しましたが、状態が悪く製作も通常の短足寳と差はありません。一方で全体的に焼けて覆輪跡があり、鍍銀されたような接郭が1枚出現しています。

内訳:
仙台長足寳 1枚
長郭手刔輪反足寳 1枚
水戸短足寳 3枚
水戸接郭 4枚
水戸正字背異 1枚
薩摩広郭 5枚
土佐額輪細字 3枚
久留米深字 2枚
久留米正字背異替 2枚
本座長郭 7枚
本座細郭 3枚
本座広郭 15枚
不知広郭手 粗造銭 1枚
不明瞭 4枚

※添付画像は出品当時の画像、及び件の水戸接郭等

水戸接郭
縦:49.15mm / 横:32.95mm / 文:39.95mm
刔輪反足寳
縦:48.60mm / 横:31.75mm / 文:41.25mm
仙台長足寳
縦: 49.05mm/ 横:33.20mm / 文:40.60mm


七時雨山 投稿日:2022年12月19日 06:33 No.356
関西のT様

バラエティーに富んでいるので、差しで流通したものでしょうね。また、この簗川付近では米はあまりとれないので、豪農と言われている家はないと思います。肝入り(関西では庄屋)をした家でしょう。北上川流域なら豪農はありますが。
仙台長足寶は、銭文径から小様ではなく、大様ですね。
またいいものを入手したなら画像をアップしてください。
私は年金生活者になってしまったので、天保銭収集からリタイアしました。


関西のT 投稿日:2022年12月19日 16:46 No.357
七時雨山様

種類が多い理由は挿しで流通したというのは納得です。会津以北に進軍していない土佐軍の品が混入しているのもそのせいでしょうね...
仙台銭の銭混入の件は飢饉で民が仙台へ出稼ぎに行ったという話を聞いたことがあったので肌や銅色の共通点から刔輪張足寳も仙台では?とそう認識していました。
ただ出品者の情報が解釈違い、或いは誤情報、認識違いという理由で事実と異なるのは考えものですが、古銭の根拠は有限ですので確認の方法についても考えたいと思います。

ところで梁川天保について少し述べられましたが、何かしらご存じでしょうか?
私の聞いたところによると短足宝や濶字退寳の拓図が新渡戸氏によると梁川天保であるとされたところまでは聞いています。
が、鋳造規模からして大半は水戸鋳で、虎銭や大黒銭と同じく母銭を借り受けて試鋳したのではというのが雑銭の会 工藤氏の意見で、私も多分そうだろうと思っています。
七時雨山様はこの拓図の件に否定的と述べられましたが、どのようにお考えなのでしょうか?

もし宜しければお聞かせ頂けないでしょうか?


七時雨山 投稿日:2022年12月19日 21:41 No.358
関西のT様

簗川天保銭は、新渡戸仙岳氏が著述したと思われている、「盛岡藩造貨」に記述がある訳ですが、盛岡藩鋳砲場の鋳物師であった鏑理八の妻「キサ」が、別家五六堂主に話したとされていることを仙岳氏が五六堂主から聞き取って記述したようなのです。所謂また聞きです。
嘉永元年の前期は、「表面の文字縮少し宝の字の脚短縮して外郭に接着せらるるもの是なり。」として、短足宝の拓図を、嘉永三年の後期は、「文字稍大にして宝の字の両脚は殆んど外輪に接着し、書体また豪宕の気を帯べり。」として、濶字退宝の拓図を添付しているのです。
母銭と極印は芝辻八百治と国友宗五郎が係わったとも記述されています。
伝聞でここまで詳細に記述できるものでしょうか。
また短足宝と濶字退宝の母銭を水戸藩から貰い受けたのいう考えもあり得ますが、盛岡藩が鋳銭を試みようとして砂子田源六が水戸藩から母銭を持ち帰ったのは、慶応になってからです。
所謂不知天保銭を鋳造した可能性は否定できませんが、はなはだ疑問なんです。
因みに、20年くらい前に天保銭の挿しを四国の方から入手したことがあります。ほとんどが未使用で、高知額輪が主で他に山口曳尾、縮通、方字細字細郭、琉球通宝中字、広郭異制などでした。広郭異制は、広島藩ではないかと思っています。坂本龍馬が「広島の密鋳天保銭は本座と変わらない。」と言ったと何かで読んだ記憶があります。
天保銭の鋳造地が確定しているものは、本当に少なく面白いですね。私は、不知天保銭の種類が多過ぎて、資金不足で収集するのを止めました。


七時雨山 投稿日:2022年12月19日 22:34 No.359
関西のT様

追記です。
水戸藩が幕府から天保銭の鋳銭許可を得たのは、慶応二年二月のようなので、水戸藩から母銭を貰い受けたという説は成り立ちません。




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