私も東日本大震災を経験した一人として書き留めて置きたいと思います。 地震当日、断水による生活障害をもろに受けました、水の確保が急務となります。 身近なところでいえば、トイレの水が流せません、食器も洗えません、もちろん数日経ても洗濯も風呂に入る事すらできません。 洗濯で唯一助かったのはフィリピン人妻の慣れた手洗いでした、比国の山中でゲリラ生活を送っていた時代の頃は、電気がなかったので、家内と毎日湧水場へ朝晩でかけ洗濯物の手洗いを見るのが普通でしたが、それが東日本大震災時とても発揮したのを今でも忘れません。 ともかくじっとしていてもどうにもならないので、給水を求め、ありったけのポリタンクやペットボトルを持って山麓に向かい水を汲もうと訪れますが、「無駄」でした。 M7クラスですの大地震の場合、湧水が「濁り」飲用はできません!! 回復するには2~3日かかりその後は問題ありません、ただし場所によっては地震を境に永久的に止まる場所も御座いました。 でもせっかく向かったのならば、汚くともトイレに流す水には使えますので調達されて下さい。 その内公機関の給水が始まりますのでそれまでの間頑張って下さい。 気づいたと思いますが、水を確保するにも基礎となるのがマイカーを動かすガソリンです、おそらく本日の午前中中心にガソリンスタンドへ我先へと集中するのではないでしょうか。 東日本大震災時は翌日の夕方には何処のスタンドからもガソリン販売は消えました。 もちろん、無鉛プレミアムガソリン(ハイオク)ですら消え、石油も底をつきました、 特に軽油が消えると物資が動きません、従ってコンビニ供給ができませんから、翌々日には閉店するコンビニすら当たり前でした、仮にオープンしていても、殆ど品切れで買うものなしでした。 ところで、コンビニが閉店すると、銀行ATMが使えなくなり金銭供給ができませんので、急ぎ10日間程度の生活費確保をされた方がよろしいです。 それで緊急事態のガソリンを溜める方法を模索すべきです、 超早く鉄製の携行缶20L一つを求め(所持がない方は)、ポリタンクへ移しては再度購入を繰り返す、もちろん自家用車へ満タンの他にということです、一方石油も暖を取る為ですが、長期ともなれば冷える日も多かったので、、、 こうして振り返ると一番必要だったのは、「ガソリンと水」 水は多少の汚れ水でもなんとかなりましたが、ガソリンは県全域でほぼ底をつきました、新潟や茨城・栃木等の県外へ行ったとして満タンにできても、携行缶は一人20Lまでとかの制限すらかけられました、 半月以上たった頃には、見かねた事からはるばる遠く離れた千葉県の製油所から20kL超の大型タンクローリが一日かけて納入しに来ると、我先にと、、、、 とてもとても焼け石に水というかんじでした。 ガソリン不足を一日もはやく解消させたのは、歪がみきった無残な鉄道レールを復旧させ、命いっぱいのガソリン専用貨車を連結しまくって、一日数往復して走らせてからでした、 芯に底をつき過ぎたガソリンは簡単に戻れる状況ではありませんでした。 この時、初めて日々の生活にマイカーがあまりにも密着し過ぎているんだなぁ、、 感じましたね。 |
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それで、全世界に向け報道された大地震、TVでも実映像が何度も流され見ているにも関わらず、、、、 フィリピン人も母国で殆ど知らない人がいないくらい、 そんな状況下であっても、仕送りの強請りが数多くあった報告を受けております。 非常事態、送る在日比人が苦しんでいる状況下であっても送金を強請る、 これは、もう域を超えた次元(自分の事しか考えない)、本当に呆れますよね。 |