岸和田高校22期生の掲示板


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世界史の山森先生と地理の都志先生の思い出
虎野吉彦 投稿日:2022年09月10日 10:02 No.13
HPの岸高新聞に世界史の山森先生の記事が載っていて思い出した。
面白い授業をされる先生だったが、一番覚えているのは十字軍の話で「船行く行く煙は出ない、出ないはずだよ帆掛け船」だった。思わず吹き出してしまった。
地理の都志先生はいつも自分の準備されたファイルを棒読み状態で授業をされていて面白くなかったが、1度だけ正反対の授業があった。それは戦時中の南方戦線の話だった。うん〇を編んだ藁で拭いていたが温度が高いのですぐ乾燥するため、棒で叩いてそれを落とし、また使うだとか、風邪薬を歯磨き粉で薄めても薬をほとんど飲んだことがない現地の人には効いたとかであった。みんな興味津々だった。いつもこのような授業をしてくれればと思ったものだった。
大学の教育実習の授業で母校の岸城中学に行ったときに担当したクラスに山森先生のお嬢さんがいた。とっても優秀で山森先生にはあまり似ていなくて(失礼)、作文なども非常に良い文章で大人びた生徒だったの覚えている。
歳を取ると懐かしく思い出される。


和D 清 投稿日:2022年09月15日 11:38 No.14
都志先生の授業は単調で午後の1時間目の授業では満腹と相俟って眠ってしまったことがあった。最前列だったにも関わらずいびきをかいて眠ったようで、同級の神谷君に起こされたことがあった。
試験で大阪から北海道の稚内まで国鉄を乗り継いでいくときの駅名と線名を記せというのがあった。田舎者だったため難しかった。
シンガポール方面に行かれていたようで現地人(「土人」と言っていた。今は差別用語なので使いません)はタロイモを主食にしていると話されていたのが記憶に残り、のちにハワイでポイを食べたときに懐かしく思い出した。
当時のシンガポールやマレー半島はモームの短編小説にあるようにゴムの木の栽培くらいしかない未開の熱帯地方に過ぎず、日本人から「土人」と蔑まれていた現地人が今やアジアで断トツの金持ちになり日本は5位に沈み、さらに落ちていきそうだ。そう遠くない将来日本人は「島土人」と呼ばれるようになるかもしれない。




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