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つぶやき
KIKI 投稿日:2016年05月24日 23:12 No.19
*オバマ来る。
去る5/10に確定したオバマ来広。何年も前からオバマ来いオバマ来い!と広島のローカル熱は結構熱かった(被爆者や市民がオバマに手紙書いたりローカル番組で特集組んだり)が、実現の可能性が一気に高まったのはケリー国務長官の来広や資料館来館でなかなか感触良く…それ以前からのケネディ駐日大使への広島猛アピール仕掛けも功を奏したのもあるし伊勢志摩サミット開催のついでというのもあるしオバマ退任前のレガシーってヤツもあるし日本政府が出張らず静観を決め込んだのもあるし…まぁ挙げたらキリが無いというか幸運に恵まれたというか。概ね広島市民は歓迎ムードです。私も歓迎しますよ。被爆地として意義のあることだと思います。
しかし県警や平和公園周辺、市内各所のあらゆる現場は「マジかよ!」とてんてこ舞。先日は予行演習とかでバラバラとヘリが飛びまくっていたしオスプレイや軍用機も飛んでたし、普段はさびれている西飛行場の現場も整備や点検や清掃に大慌てだろうな…(笑)ここ数日は近所のあちこちで警官やら役人やらが交通規制の看板設置や設備の点検や見回りをしていて、交通機関のコインロッカー封鎖したり忙しそうで物々しい。うちの職場も警備の対象。無事に巧く実現することを願います。
原爆投下の是非だの謝罪だの…にわかに言われていますが、このテの話題は広島では生まれた時から日常茶飯事です。「戦争」「原爆」「復興」と言ったワードに超敏感なお土地柄。原爆投下どころか太平洋戦争の流れどころか第二次世界大戦は悪夢!コテンパンにやられた!負けた!感が、恐らく人一倍強い育ちかたをしている私達。今の平和教育は少し趣向が変わっているのかも知れませんが、私が小中の頃はとにかく戦争や原爆投下の「恐ろしさ」を植え込まれた。体験してないけど酷く怯えさせられ、今も怯えています。資料館も陰気で正直気持ち悪かった…。今は小奇麗になっていて昔ほどの衝撃は受けない見せ方ですが。初めて読んだ漫画単行本ははだしのゲンだったし。恐怖は与えられたが今思えばあのころは原爆投下の是非や人道性を問うことはあっても、ハッキリ”悪”だと主張したりなぜ投下されたかという経緯には触れられなかった。ボカしてあったのかなぁ…どちらかと言うと、アメリカよりも日本が間違ってた、日本のせいで原爆落とされた、という様なニュアンスで教えられていました。今はどうなんだろう…。当時日本を含め原爆の開発は色んな国で試みられており、それは戦争において大都市を壊滅させ民間人を大量虐殺することが目的だったハズだが、実戦で非戦闘民相手に使用するのは人道に悖る、という意見はアメリカでも挙がっていたらしいし、じゃあ日本が国民に掲げた「本土決戦!」「国家総動員!」は何なんだ?だし。アメリカでは戦争を早く終わらせるためだったという認識が多数を占めており心底そう思っているだろうし、私も平和学習で学んだ事は「戦争は恐ろしい」「おろかな日本は引っ込みがつかず国民の最後の一人まで戦わせ、玉砕するつもりだった。なんとおろかで恐ろしいことか…日本の軍部が悪かったんだ。軍部を支持した日本国民にも責任があるのでは」ということだった…。GHQに仕向けられた平和教育だったのか。どっちが悪いかなんて議論したところで仕方が無いし(だから戦争でケリをつけることになる…政治の限界)極東裁判で決着はついているからか、戦争の是非や戦犯たちの悪口やアメリカの悪口をあまり聞いたことが無い。ここ広島でさえ不思議なほど。まるで禁忌のように…。対米感情をコントロールされ表面上友好的な関係を結んでこられたのは戦後政府とGHQの報道統制・教育指針に拠るところが大きかったのか。
私の母方の祖母は19の時両親を原爆で失った。軍都呉の中心部、そこそこ繁盛した食堂を営む一人娘として甘やかされて育ったという祖母。昭和20年、田舎に家族で疎開していたが呉の空襲で食堂も焼け、疎開中の手続か何かで両親が広島に入ったのが8月5日。その日の内に帰る予定だったが、遅くなったので急遽広島に1泊することになった。翌8月6日、直爆。父は即死。母(継母だったとのこと)は数日後亡くなった。祖母は父の遺骸を探しに投下2日後に広島入りし入市被爆。遺骸はみつからなかったそうだが、祖母曰く両親が泊まった爆心地近くの宿付近に綺麗な遺骨を見つけ、「父は几帳面な人だったから…」と誰とも分からぬ綺麗な遺骨を持ち帰り、先祖の墓に埋葬したという。そんな経験、日本中のあちこちで日常的だったあの時代。戦地に赴き帰ってこなかった大勢の民間人。人も街も焼き尽くされあらゆる悲劇に見舞われ、敗戦を屈辱だと思う気力すら残らず…。負けたというより絶望的な日常から、恐怖から解放された終戦。終戦後、被爆地の情報は米軍管理下に置かれ、報道規制が敷かれた。被爆地や被爆者に対する風評・差別・偏見等…暗黒の10年と言われている…。今も一部の被爆者(被爆者団体等)を除き、うちの祖母を含め当時の事はあまり語られない。祖母は当時はとにかく大変過ぎて細かいことは覚えていない、と言う。アメリカの悪口はついぞ聞いたことが無い…。暗黒の10年とやらがそうさせたのか、意図的なのか、本当に記憶がすっ飛んでいるのか、謎。アメリカはアメリカで東西冷戦に突入してゆく過程で、原水爆使用の人道性が大っぴらに取り沙汰されるのはよろしく無かったし、落としておきながら日本人にすら被爆地の実情を公的に明かすことは無かった。まさに新時代の革新的な兵器…これを使えば戦争はあっという間に終わる。勝てば自国の被害を最小限に抑えることが出来る。負ければ…。そんな中現時点でまだ実用はヒロシマ・ナガサキ2発で済んでいるのはこれまた奇跡的とも言える。ヒロシマは人類の負の遺産であり、負の象徴。良く言って平和の象徴などと言うが、悲しみの象徴、悲劇の象徴です。被害者にとっては憎悪の象徴なのかも知れない…憎しみは人間が持つ自然な感情であり、いたたまれなさ、自責の念、かつての敵国への憎悪を呼び起こす象徴かも知れない。ドイツ敗戦後に戦勝国がドイツ国民にアウシュビッツを見せたというが。ヒロシマ人も、日本人も、オバマも、みんな広島を見るがいい…というわけで広島に危害を加えないかたならどなたも歓迎しますよ。
市役所前の交差点で「オバマ来広を断固拒否する!!」云々のビラが配られていました。色んな意見・複雑な心情が渦巻くなか、ビラ配ったり演説したりする団体さん含め現場の方々は慌ただしく動いています。皆さま、お疲れ様です。


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