郭公の四畳半ふうの四方山掲示板


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こんにちは!
山の肥後人 投稿日:2019年10月21日 12:06 No.20
久し振りにパソコンの前です。

「水行」「陸行」はマイ本に譲るとして、「渡海」は陸続きではないことを表現しているので、「女王国東 渡海千餘里 復有国皆倭種」は畿内説では成り立ちません。

もうひとつ基本的なことで「至」と「到」の使い分けです。
ほとんどの人がこのふたつの漢字をわかっているようでありながら、理解できていません。
郭さんは山登りをされるようなので、マイ本の「ハイキングコース」の説明が容易に理解できると思います。
もっと一般的に言えば「至」が省いてありますが「道路案内表示板」を、よ~く理解すればわかります。
結果、魏の使いは「邪馬台国」へは、行っておりません。

>末盧國は、呼子から唐津にかけてでしょう。
>伊都国まで船で行ったことがわかる。

同じ考えです。

ここ数日で、山はずいぶん涼しくなりました。
薪ストーブの出番です。


投稿日:2019年10月22日 10:51 No.21
山の肥後人さん、こんにちは。

>「渡海」は陸続きではないことを表現しているので、「女王国東 渡海千餘里 復有国皆倭種」は畿内説では成り立ちません。

 畿内説の皆さんの中には、それは伊勢湾だって言う人もいますね。

>結果、魏の使いは「邪馬台国」へは、行っておりません。

 同感、私もそう思います。つまり、倭の女王卑弥呼は邪馬台国にはいなかった。
 だけど、
・正始元年、太守弓遵遣建中校尉梯儁等、奉詔書印綬、詣倭國、拝假倭王、并齎詔、賜金帛錦ケイ刀鏡采物、倭王因使上表、荅謝詔恩

 この一文から、梯儁一行は、倭の女王卑弥呼の居館へは行っている。ただし、直接会ったどうかは不明ですが。
 いづれにしても、卑弥呼は、邪馬台国にはいなかったと考えます。狭義の卑弥呼の都とする所としての女王国≠邪馬台国。

 で、魏使一行は、伊都国で上陸して卑弥呼の居館まで陸行した。
 なので、九州の(北部九州の)どこかでしょうね。

 倭国の意としての広義の女王国もまた北部九州、その余の傍国の南限は菊池川ではないかと。

 牛すじの煮込み中。あとはじっくり待つだけです。
 ブルーベリージャムがそろそろ切れるので、きのうりんごを買ってきたのでりんごジャム。
 珈琲の焙煎も。
 飲みながらやってます。(^o^)




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